2015/12/21

展覧会(2015年8月-12月)


 今年が終わってしまう前に整理したかったので、足を運んだがこちらに更新することができなかった展覧会をメモしておく。(殆どTwitterに残してはいるけれど。)おそらく、今年の8月ぐらいから。基本的に要領が悪いので、今年も本当にどうしても興味のあるものにしか行けずに終わった。
 他にもし行ったのを思い出したら追加。気が向いたら各々の展示についてコメントを加筆する予定。

■「アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋」 国立新美術館


■「日本のアニメ・マンガ・ゲーム展」 国立新美術館


■「動きのカガク展」 21_21 DESIGN SIGHT


■「機動戦士ガンダム展」 森美術館


■「ディン・Q・レ展」 森美術館


■「画鬼暁斎展」 三菱一号館美術館


■「蔡國強展:帰去来」 横浜美術館


■「No Museum, No Life? これからの美術館事典」 国立近代美術館


■「寺山修司 劇場美術館」 東急百貨店本店


■「にっぽんだぁいすきてん vol2.」 八芳園


■「ニキ・ド・サンファル展」 国立新美術館


■「万華鏡展2015」 Bunkamuraギャラリー


■寺山修司記念館


■安蘭個展「Baroque Pearl」 森崎里菜展「dress」 ヴァニラ画廊


■「ウィーン美術史美術館 風景画の誕生」 Bunkamuraミュージアム


■「トレヴァー・ブラウン&三浦悦子二つの聖餐 -闇から光へ-」 Bunkamuraギャラリー


■「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる」 東京都現代美術館 


■「オノ・ヨーコ|私の窓から」 東京都現代美術館


■「天野可淡展」 マリアの心臓


■「SHUNGA 春画展」 永青文庫


慶應義塾大学文学部創設125年記念展示「モノがたる文学部 資料にみる人文学研究」 三田図書館展示室


2015/11/15

「FOUJITA」、MOMAT コレクション特集・藤田嗣治全所蔵作品公開

 
 昨日はモネさんの誕生日でもあったので、丁度開催中の「モネ展」を観に上野を訪れようと思ったけど、激混みだろうと予想してやめた。代わりに日中は、藤田嗣治に会いに行った。ユーロスペースで、昨日公開の映画「FOUJITA」の後に、国立近代美術館の全所蔵作品展示。彼は、なぜなのかわからないけど、妙に惹かれてしまう画家のひとり。

 国立近代美術館に収蔵されているフジタの作品の中には、第二次世界大戦の最中に描かれた戦争画が多くを占めている。
 私はたった去年くらいまで、フジタの絵については、かつてポーラ美術館でみたことのある、愛くるしい猫たちや乳白色の肌を持つ女性、子どもたちといった柔らかくて優美な作品を描く画家だという印象しかなく、初めて彼の戦争画を見た際には両者のあまりの落差に、酷く衝撃を受けたのを覚えている。


 その落差というのは、両時期の色彩の差異を示すような形で、映画「FOUJITA」のなかでも明示的、意識的に描き出されていた。ただ、作中ではその差は単なる断絶としてしか描かれていないような気もした。パリ時代と戦争画時代の間には彼の中で何らかの心境の変化もあったのは当然であろうが、しかしそう考えたくなる一方で、ドラクロワのような巨匠に憧れていたということからもわかるように、とにかく絵に対する、描くことに対する底知れぬまでの貪欲さという、彼の中での一貫した何かがあるようにも思う。戦地に従軍し取材をした後に綴られたフジタの言葉は、目の前で見た凄惨な光景に対して発するにはあまりに無邪気な感嘆であって、戦争さえも自分の絵をさらなる高みへと至らせるための素材と霊感を与えてくれる、ひとつの手段としか考えていないふうにもうかがえた。
 ともあれ、とても気になる存在だから、いつか色々と読んでみなくてはと思う。
 
 同時開催中の「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」と、メルロ=ポンティを案内人とした小さな展示「てぶくろ|ろくぶて」も面白かった。後者は一点透視図法、「さわる」こと、といった人間の行為を作品を通じてあらためて考え直すという趣旨の企画。

2015/10/11

「最後の吉原芸者の記録~GEISHAとは何かを学ぶ講演と展示~」

 
日吉の来往舎で行われた講演会とドキュメンタリー上映。講演者は江戸文化研究家の安原眞琴さん。
 来場者はご年配の方が多い印象だった。お着物を召していらっしゃっている女性も。

 ご講演は色々学ぶことがあった。まず芸者の概念の説明。芸者というのは、舞踊や音曲などの芸を売りにして客をもてなす者のこと。
 吉原は政府公認の遊郭であり、遊女がいたからこそ芸のみを売りにする芸者という在り方が可能だった。逆に他の盛り場では芸者と称していても裏では身を売ることもあったので、本当の(?)意味での「芸者」が存在したのは、吉原のみだったという。

 続いて、みなこさんという最後の吉原芸者だった方に安原さんが密着して撮影したドキュメンタリー。すでに危機に瀕していて、芸を継ぐ人がほとんどいなくなっている状況で、まとまった映像に残されることは本当に貴重であると思う。約5年間にわたり取材が続けられ、みなこさんはこの映像の撮影が終了して数年後にお亡くなりになった。

 展示のパネルも興味深かった。これまで遊女の研究は多くあったのに対して、芸者については一部の好事家による趣味的なものを除いてはほとんど行われてこなかったとのこと。今後、色々な視点から研究する余地があるようです。もとより個人的には遊女のほうに主要な関心があったので、そちらでまず色々と読むべきものがあるのだろう…。
 初めて知ったのは、日本における遊女の起源は神話に遡るともいえるらしく、平安ごろまでは祭儀とも結びついて、ある種の「聖」性を纏っていたという。
 それから明治以降、西洋的価値観の流入によって建前では禁じながらも江戸以前の寛容さをずるずると引きずって暫くの間は黙認していたのだが、その政府の方針はダブルスタンダードであり、頭ごなしに否定することよりもたちの悪いものだったのではないかという指摘もされていた。


 見世物小屋の時にも感じたことであるが、廃れ喪われていくものについて、自分はただ眺めているだけで、何にも貢献できないというのはもどかしい。残された文書の記録と頭の中の記憶だけでは、限界がある。そして後の時代に残る我々がどう向き合っていくか。
 こうした性の絡む領域はとても面白いのだけれども、扱いは非常に難しいと思う。吉原は江戸時代には文化の拠点でもあったわけであり、現在の倫理道徳観でタブーと禁じてしまうことによって、見えなくなってしまう面があるのは確か。ただ、だからといって、「日本の文化」だとして積極的に肯定的な面ばかりを見ようとするならば、それはそれで孕まれている問題を見落とすことにもなる。何と言おうと吉原は遊郭なわけで、そこではれっきとした売春行為が行われていたわけだから。逸楽が生み出されるだけ、苦悩も闇も深くあった。しかしどういうわけか、未だ引き寄せられる人が多いのはなぜだろう。人の心の中か、あるいは土地に眠る記憶においてか、その昏い奥底からあらわれるものが、鈍く強い光を放っているからかもしれない。

2015/07/25

「アール・ヌーヴォーのガラス」展 パナソニック汐留ミュージアム




 アール・ヌーヴォーのガラス展。デュッセルドルフ美術館のゲルダ・ケプフ・コレクションの展示。
展示は2部構成で、第Ⅰ部 パリ、第Ⅱ部がアルザス・ロレーヌ地方。

 第Ⅰ部のパリのガラス工芸は、作品における東アジア、とりわけ日本からの影響が強調されている。実際にこの展示においてはモチーフは竹、双鯉、キクなど日本で作られたのかとも見紛う作品ばかりであったけれど、じっさい、この時期のパリのガラスって本当にここまでオリエンタリズム・ジャポニズム丸出しだったのだろうか。作家はウジェーヌ・ルソー、アベール兄弟、ウジェーヌ・ミシェルなど。
 第Ⅱ部のアルザス・ロレーヌはナンシー派の定番どころが主であり、エミール・ガレは展示室のひとつを占めているほどの作品数。他はドーム兄弟、シュヴェーラー商会、デズィレ・クリスチャン、アンリ・ベルジェ、ポール・ニコラ、ミュレール兄弟など。自然、特に植物をそのまま写し取りガラスの中に閉じ込めるかのような表現はナンシー派の特徴であり、作家によって抽象性の度合いや技法など表現方法はさまざまでありながらいずれの花や葉、茎も美しい。変わり種でいえば、甲虫やカタツムリなどの虫や蛇、キノコなど。それから目についたのはガレのタコや水棲動物たちが表れた作品。そうか、ガラスは透明だから、水との神話性が高いんだ…と今さらのように気づく。まるで水面から顔を出しているようなのだもの。

 いずれの作品も基本的にはケースに入れて陳列されていたけれど、中には照明を工夫して、その明るさや当て方を調節しているものもあった。人工的な光に照らされたガラスは様々に模様や色の出方を変化させていたけれど、本来の工芸品の在り方のように、部屋の中に生活の一部として存在していたならば、部屋に射し込む太陽の光を受けて、あるいは夜の暗がりにおいて移ろいゆく表情を愉しむことができるのだろう。もっといえば彼らの本来の(?)用途として、お花を活けてあげたい。ガラスの植物と生の植物とのコラボレーション、植物フェチの人間にとっては夢想するだけで幸福な気分。

 今回の展示のコレクションはゲルダ・ケプフさんというのは実業家の女性によるもので、彼女は19世紀末のガラス工芸を蒐集していたという。19世紀末という時代に思い入れがあったわけでも、文学や絵画がとりわけ好きだったというわけでもない。ただガラスの作品に惹かれてコレクションをしているうちに、いつしか数が大きくなっていった―。蒐集の途中から、作品にコンセプトを設定するようになってゆく。趣味から始めて、これほどまでに充実させることができるとは、何かに憑かれるってすばらしい。

 それから、パナソニックのミュージアムは規模はそれほど大きくないながらも展示の要素が凝縮されていて身の引き締まる空間であると再びの訪問で実感した。おそらくパナソニックのなかにあるからというのがあるだろうが、少し気を利かせた可愛らしい展示がかならずひとつあるようで、今回もガラスの花器に描かれた三味線(かな?)の奏者が演奏をしている姿が映像で壁に投影されていたところがあった。「アール・ヌーヴォーとメディア・アートの融合」とのことだったけれど、微笑ましくてつい見入ってしまう。(そしてガラスとプロジェクションといえば独身者機械、と要らぬことも思い出したのでした。)


 今回の展覧会図録にはエミール・ガレに焦点を当てた論考が掲載されていたので、購入はしなかったけれど、大学が早く図書館に入れてくれることを祈る。

「高橋コレクション展 ミラー・ニューロン」東京オペラシティアートギャラリー




精神科医であるコレクター・高橋龍太郎さんのコレクションの展示。現代美術にはまったく明るくない私でさえも知っている作家さんの名前がずらりと並んでいたから、現代日本を代表するアーティストのオールスターの作品が集結していると言っても良さそうだった。
 草間彌生、森村康昌、名取晃平、村上隆、横尾忠則、会田誠、やなぎみわなど挙げてゆけばきりがない。1フロアの広々としたスペースの展示室をめぐってゆき、順に並べられた作品と向かい合う。観ていて感じたのは、ひとつひとつが重たくて、ただ漫然と眺めて歩いているだけでも頭に相当な負荷がかかるということ。作品を対象として観察するというのではなく、自らの身体も巻き込まれてゆく、精気を攪乱されてゆく感じ。モダン・アートってこんなに迫力のあるものだったのか。会場を出た時には脳と精神の満たされた疲労感にぐったりとしてしまったけれど、それが初めての感覚のように心地好くて、なんだかクセになりそう。


展示の最後、ホールにあった撮影可の草間さんの作品。


 この展覧会が個人によるコレクションであったこと、そのコレクターが精神科医という職業であることは注目すべき点だろう。作品の一つ一つを私が「重い」と感じたのにもそこにひとつの要因があるのかもしれない…とも思う。それから、私自身は現代における芸術の在り方や流通形態といったことを詳しく把握してはいないのだけれど、受容史研究の現在、のようなものを見ているような気がして、覗き見をするようなうしろめたさと好奇心とをいっぱいに味わった。
 今回集められた作品たちをとりまとめて付されたキーワードは「ミラー・ニューロン」であった。この単語を耳にするだけで頭に浮かぶ時代はモダン以外の何物でもなかったが、しかしそれが絵画の古典的な根源のひとつである「鏡」、そして「模倣」を想起させる点は非常に興味深い。過去との連続性。現代アートにも、もっと積極的に関心を持ってくるべきであったという反省が本展覧会を見た大きな収穫の一つでもある。

今回新たにタイトルに選ばれた「ミラー・ニューロン」とは、他者の行動を見て「鏡」のように自分も同じ行動をしているかのように反応する神経細胞を意味し、それは他者との共感や模倣行動をつかさどるとも考えられています。本展においては、日本の現代アートに広く見られる「なぞらえ」の作法が、「模倣」「引用」などを重要な手段とする現代アートの世界的潮流だけでなく、「見立て」や「やつし」といった伝統的な日本の美意識とも通底していることを意識させるキーワードとなります。


しかし人間にとって最大の模倣は自然への模倣だろう。アリストテレスは、芸術は自然を模倣するとして、模倣(ミメーシス)を人間の本質と高く評価した。1980年代以降現代アートは模倣と引用によるシミュレーショニズムの影響なくしては語れない。しかしシミュレーションといえば、日本には本歌取り、見立て、やつし等、千年の歴史がある。とするなら日本の現代アートシーンは、正面に西欧のアートミラーがあり、背後に千年の伝統ミラーを見据える合わせ鏡の只中にあることになる。
それは世界のアートシーンのなかの稀有な痙攣する美になるのか。はたまた無限に映し返される煉獄に過ぎないのか。 
http://www.operacity.jp/ag/exh175/j/exh.php [2015/7/25 アクセス]

「ボッティチェリとルネサンス フレンツェの富と美」 Bunkamura ザ・ミュージアム


 少し前のことになるので思い出しつつ。惰性で行ったようなところもあったのだけれど、思いのほかとても楽しむことができたし勉強になった。最終週の土曜日だったのに人もそれほど多いというわけではなく、混雑に苛立ちを覚えることもなく観て回る。
 ボッティチェリの展示も一応何点もあるけれど、どちらかというと展示品を通じてルネサンスの経済と風俗について見てゆくというのがこの展示の趣旨だったように思う。そしてそうしたやや教育的な方向性は案外功を奏していたし、へたをすると回顧展のようにひとりの画家の作品だけを飾ってゆくよりも観る人にとっての印象は強く残るかもしれない。当時流通してた金貨と偽造貨幣から始まって、世界の拡大を示す航海図、フィレンツェの豊かさを示す豪奢な生活と奢侈禁止令後の絵画の変遷。パトロンとしての銀行家の存在。宗教や婚礼の様子をあらわすような絵画作品や日用品の展示へと移ってゆく。

 肝心のボッティチェリも、その作品をまとめて何点か見ることができたのももちろん貴重なことである。メディチ家の最盛期から没落、そしてサヴォナローラによる「虚栄の焼却」へと、フィレンツェの時間が経過するに合わせて、彼の作風の変化が見て取れる。あと、《ヴィーナスの誕生》の、裸体のヴィーナスだけが抜き出されて描かれている作品があった。背景は無地。あの背景から抜け出してきたにしても存在感がある。

 個人的に気に入ったのは、14世紀のイタリアの工房で作られたという鍵。当時、鍵は富、権力、権威の象徴とされていて、この時代にはデザインも洗練されるようになったという。

2015/07/07

「幻燈展 プロジェクション・メディアの考古学」 早稲田大学演劇博物館



 早稲田の演劇博物館で行われていた、「幻燈展 プロジェクション・メディアの考古学」。
 開催されるという報を目にしてからというものずっと行きたかった展覧会で、用事で早稲田に寄った機会に訪問する。演劇博物館自体、その中に入るのも実は今回が初めてであったけれど、静謐な重厚感のある建物で居心地がよかった。

 企画展である「幻燈展」はとても楽しい。幻燈の歴史を解説するパネルがある。展示品は幻燈にまつわるあれこれ。映し出すための機械、ステンドグラスのように裏から白い光を当てる色の付いた透明な板(あれはなんという名前なのだっけ)。実際にスライドを入れて投影してみたりと、触って動かしてみることができるような体験型のものもある。
 それにしても幻燈、名前からしてすでにステキすぎだけれど、実際に目にすると雰囲気がある。現在でも幻燈の仕組みを用いてお芝居をするような劇団もあるらしいが、夜の暗い日本家屋の一室や神社の境内で上映会をしたらどれだけわくわくすることだろう…。
  
 図録も非常によく読みごたえがありそうだったので覚えておく。
☆『幻燈スライドの博物誌 プロジェクション・メディアの考古学』青弓社、2015年。

幻燈スライドの博物誌: プロジェクション・メディアの考古学
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 本展示のイベントで絶対に行こうと思っていた、幻燈上映会付きのシンポジウムを完全に逃すという失態を犯したので、代わりに(?)会期中にもう一度行っても良いかなと思っている。

 あとは今回展示で扱っているものとは別に“幻燈”や“プロジェクション”というワードによって思い出すのは、2年生のころの独身者機械ゼミで扱ったジュール・ヴェルヌの『カルパチアの城』に出てくる、ラ・スティラという歌姫と、初音ミク(ライブの際に3Dで出現するあれ)だろうか。芸術学の授業で、スクリーンに光を投影する仕組みから、最近のスマホやらPCのディスプレイというものはそれ自体が発光体となっていて…という話を聞いていたことも。次元の違う話ではあるけれど、このテーマについてまとめてみるのは面白そうだ。

2015/07/06

「幻想耽美―現在進行形のジャパニーズエロチシズム」展、トークショー(谷川渥・恋月姫・空山基) Bunkamuraギャラリー(と、人形についての覚書き)





Bunkamuraギャラリーで開催されていた、「幻想耽美―現在進行形のジャパニーズエロチシズム」展。現代の日本を代表するエロティック・アートの先鋭の方々の作品が揃う。
 現在の日本のエロティック・アートを概観するのにとてもよさそうな書籍があったのでメモとして。

☆相馬俊樹『魔淫の迷宮: 日本のエロティック・アート作家たち』ポット出版、2012年。
(タイトルにやや慄くが中身をめくったらとてもまじめな本であった。いつか手に入れよう。)

 関連イベントとして、美学者・谷川渥さん、恋月姫さん、空山基さんのお三方のトークショーもあり、参加してきました。(朝早く整理券を取りに行ったおかげで最前列を確保した!)
 トークショーの内容については、おそらく著作権の問題があるように思うので、取り上げられた話題のうちから個人的に特に関心の強かったトピックについて…と思って書き始めたら完全に少女論と人形論に偏ってしまった。


◆絵画に描かれた身体や、人形の身体について。「日本人離れ」の議論。谷川先生によれば日本人が肉体に対して持つコンプレックスによるものである(これらについては谷川先生の『肉体の迷宮』に詳しい)。この意識が歴然と存在していた時には、日本の人形において、顔は日本的、肉体は西洋的、という特徴を備えている作品が多かったが、最近の日本の人形については身体に対しても意識が向いているのではないか。
 確かに、日本人は他の国と比べても身体よりも顔をよく重視する傾向が強いというのは耳にするところ。人形にもそれが反映されているというのは興味深い。人形作家の制作する人形たちは、日本人がかつてコンプレックスとして隠そうとしていた平べったい、西洋的な理想美とは程遠い肉体を再現している。あたかも開き直るかのように。
 美術史的な意味における肉体コンプレックスについては男性についての話題が多いのかもしれないが、本展覧会に展示されるような現代のエロティックアートにおいて主題となるのは、女性の身体である場合が非常に多い。西洋人の身体に対して日本人女性が幼児に近い体型だと言われることがある、という事実と関連することかもしれないが、そこで肯定的に表現されるのは大人の女性へと成熟しきっていない身体、「少女性」である。なぜ少女なのか。これについては日本に特異な、女性による少女期愛好をめぐる少女文化あるいは男性による幼女愛をめぐるロリコン文化といった問題ともあわせて考えられるような気もする。(このふたつの系譜についてはいつかきちんと整理しなければならない。)

◆球体関節人形に関しては、谷川先生は日本の人形作家たちが制作する球体関節人形に対して疑問を持っているとのこと。というのも、ベルメールは人間の肉体には有り得ないところで分断し、球体関節を埋め込み、動かそうとすることで、身体のアナグラムを形成するというきわめて暴力的でスキャンダラスな試みであった。
 これに対して現代の日本における「球体関節」というものは人間の肉体における関節をそのまま球体として可動するものとしたにすぎない。暴力性がない(から、面白くない)。 
ちなみにこれに対して恋月姫さんは、「人形だから動かないと嫌」とおっしゃっていた。

 球体関節の問題は私自身、球体関節というものの奇怪な魅力に捕えられた日以来、ずっと考えている。確かに四肢が自在に動く球体関節人形は、ベルメール人形に比べてしまえば暴力性もエロス性も見劣りする…のかもしれない。
 しかしだからといって取るに足らないものと切り捨ててしまうと、球体関節がこれほど人形界に蔓延る理由が説明できなくなってしまう。そもそも、人間の関節と人形の球体関節とでは、見た目も、構造も、根本的に異なっている。人間の皮膚には、人形のような関節における切れ込みと断絶は存在せず、球体が露出してもいない。人形において、四肢や胴体は繋がっているとはいえ見た目としてはきれいに切断されている。球体関節は皮膚に覆われているのではなく、球体関節自体が関節以外の部分と同じ皮膚を持つ肉の部位なのである。

 人形作家が制作する作品としての人形だけではなく、SDをはじめとする愛玩用の人形たちにおいても球体関節で動く仕組みになっている。あらゆる人形が球体関節を持つのは、素材として動かすためには球体関節に頼らざるを得ない、あるいはポーズを取らせるというという便宜的な理由だけではなく、何か「球体関節」そのものに対する執着のようなものがあるようにしか思えない。技術の未発達の時代にはやむを得ずこの仕組みを利用したのかもしれないが(いや、でもベルメールからのインスピレーションを受けた四谷シモンさんが昨今の人形ブームの源流であるところからして、日本の人形作家さんたちがそもそも球体関節に対して全く無関心だった作家がいるとは思えないけれども)、仮に現在、見た目はビスクにそっくりであるが自由に曲げたり折ったりできる形状の素材(!)が発明されたとして、人形作家たちは球体関節を完全に捨て去ってしまうかと考えれば、もちろんそうする人もいるではあろうが全員がそうは到底思えない。球体関節を作るために人形を生み出す人というのがいてもおかしくはない。いまや球体関節そのものがフェティッシュと化している。
 人形においても球体関節ではないリカちゃんやBarbie、Blytheといった人形たちには深刻さとは無縁のどこかおもちゃめいたところがあり、バービー人形などは西洋人的なスタイルでセクシーとはいえても、暴力的なエロスとはかけ離れている(ように思う)。あるいは、実際に人間の女性を本物そっくりに再現したラブドールも、球体関節は存在しないものがほとんどである。生身の女性との直接的な性交渉を妄想するための道具として、本来有り得ないはずの「切れ込み」は不気味さを喚起こそすれ、「リアルな」妄想のためには妨げになるだけなのだろうか。

 男性に関しては分からないが、大人の女性において特に、女性のかたちをした球体関節人形に対する愛着を抱く人が多い傾向にあるように思う。ゴスロリやロリータファッションを好む女性が「人形のようになりたい」と発言しているのはよくみかけるが、彼女たちが「なりたい」人形は子どもの頃に遊んだリカちゃんやバービーではなくて、球体関節人形なのだ。ここ数年流行している「球体関節ストッキング」というのは、あれは一体なんなのか…、よく考えなくても奇妙な現象ではある。私たちはすでに自在に動かすことのできる関節と断絶の無い滑らかな皮膚に覆われた肉を持っているのに、なぜみずからあの不自然な球体関節を欲するのか。分断されたい、暴力的に犯されたい、というマゾヒスティックな、ある意味でナルシスティックな欲望によるものなのだろうか。それは現代社会の病理に冒された少女たちの変態的で倒錯的な欲求として片付けてしまうべきなのだろうか。…このあたりは身体論はもちろんのこと少女というテーマと関連させて考えられることだと思う。 


◆近年しばしば見かける、死体を模した人形とは何なのか。人形というのはすでに死んでいる(生命をもたない)存在であるのに、それに加えてなぜ人形によって死を表象するのか?(二重の死?)。
これについてもよく感じることのあるものだった。死んだように見える人形。瞳孔の開き切った天野可淡の人形をはじめとして、永遠の眠りにつくかのように見える恋月姫人形まで、死の薫りを漂わせる人形の系譜は連綿と受け継がれ、現在では人形をさらに痛め付けるようにして苦痛を味わわせるといった、(それこそ)暴力的とも言える工夫で死を表現している人形作品というのも存在する。あとは、これは少し毛色は違うがメズコトイズから出されている、死亡証明書付きで棺桶に入ったリビング・デッド・ドールシリーズ。ああなぜ私たちはこんなにも人形を殺したがるのだろうか…。

2015/06/27

「Designing Body 美しい義足をつくる」 東京大学生産技術研究所S棟







 駒場にある東大の生産技術研究所S棟1Fギャラリーで行われていた、「Designing Body 美しい義足をつくる」展。
 東大の山中俊治先生が中心となり、その研究所の学生たちとともに最新技術を駆使してこれまで制作してきた義足を展示している。陸上競技用から日常の使用に合わせたものまで。コンセプトはタイトルにあるように「美しい」こと。
 義足の制作にあたっては3Dプリンティングと一般に呼ばれているAdditive Manufacturing技術(AM技術)というものを用いているようで、しかしこのあたりの技術的なことは1ミリも分からないので、感想のみ綴ります。




 パラリンピックなど、陸上競技用の義足。スクリーンには、走った際の義足(青色)と人間の足(赤色)の軌跡を記した映像が投影されている。人間の足が不安定な軌跡を描くのに対して、義足はほぼ完璧な弧を描きながら進んでゆく。(静止画だと分かりづらい)


 女性用の義足。これは日常の使用に合わせたものだと思う。なるほど従来の義足と比べればはるかにスタイリッシュで、洗練されたデザインだと感じた。


 気になったのが、本展のタイトルにある「美しい」という形容詞について。義足において、「美しさ」とは何なのか。パラリンピックで義足の陸上選手の走る姿を見て、「人と人工物の類まれなる関わりに、究極の機能美を見出したのはそのとき。」とHPにある。

 機能においては、完璧なことが求められるのか?そこでは「不完全さ」という「人間らしさ」は失われるという考えもできるのではないか?デザインについては、余分なものを削ぎ落としたものが望ましいのか?あるいは可愛らしく装飾を施すのはありなのか?

義肢はこれまで、失われた四肢の代替物として、健常者の身体に近づけることこそが理想とされてきました。
しかし義足アスリートたちの駆け抜ける姿は、失われたその場所こそが、
新たな可能性であると気付かせてくれます。 
この展示では、これまで制作してきた義足を一堂に会すと共に、
新しく動き出した、先端技術を駆使したプロジェクトの紹介を行います。
美しい義足プロジェクトの第二章開幕として、ご覧いただければ幸いです。
http://www.design-lab.iis.u-tokyo.ac.jp/exhibition/DesigningBody/index.html [2015/06/27アクセス] 

 欠損部分を補うことによって健常者の身体に近づけることではなく、その欠損部分に、新たな可能性を見い出すこと。その追究の過程のひとつが、あの映像にあったような、不気味なまでに美しく描かれた弧であるとするなら。
 攻殻機動隊のようなアニメがあることをおもうと、義体というのも他人事という気がしない。

 今回の展示に合わせてソマルタの廣川玉枝さんが出られたトークイベントもあったらしく、これは予定が合わず参加できなかったのだが、ぜひとも聞いてみたかったと悔やまれる。
 あとは、義足のアーティストといえば片山真理さんだ。彼女がこの展示と関与していたようには見えなかったのだが、ぜひ何かしらの形で携わっても良いのではないかという気がしたのは、私自身の個人的な要望である。




従来、使われていた義足。

「Salon d'histoire naturelle 博物蒐集家の応接間 蜜と毒 気配」

「Salon d'histoire naturelle 博物蒐集家の応接間 蜜と毒 気配」、2015/6/9訪問。

 全国からいくつかのアンティークショップが集い、合同で企画された展示会。展示されていたのは、剥製・標本・天文・解剖画・キリスト教・博物画・植物画・衣類・義眼・人形・銀器…といった、あれこれ。いずれも蒐集欲をそそるものばかりで、もちろんすべて値札が付けられている。

 これまでアンティークのものに対してはどうも抵抗があり(持ち主の霊がこもっているようで…こんなことを言う柄ではないのだけれど…)、各地でしばしば開催されている蚤の市などに出かけたことがなかった。けれど19世紀、18世紀のものが目の前にあると思うと自然と心は吸い寄せられていた。アンティークといってもとりわけこの展示のコンセプトである「蜜と毒」を纏い秘めたオブジェたちが一つの空間に集められ鎮座しているというのはよくよく考えると非常に贅沢なことであり、こんな機会も珍しいものだと思う。


渋谷神南、グリモワールが入ったビル。






スペイン語で書かれた星座早見表。
天体モノはいつまでも心惹かれてやみません。




最も心の奪われた、義眼たち。灰色の虹彩。血管もきちんと入っている。
ネットで商品情報を読んだところ、ルーアンで見つけた本物の義眼の作成キットだということ。



バンビと、くまさんのぬいぐるみ。


晩餐。

 ブローチなど。中には持ち主の遺骨が入っているというものも。
下の並んでいる銀のボタンは、フランスの博物館の制服のボタンだそうです。

2015/06/15

『シンプルなかたち展:美はどこからくるのか』 森美術館

 森美術館の1年間の工事のすえのリニューアルオープンを記念して開催された「シンプルなかたち」展。

 古今東西から、「シンプルなかたち」であると判断されたらしいものが約130点。展示はこれらが「形而上学的風景」「孤高の庵」「宇宙と月」「力学的なかたち」「幾何学的なかたち」「自然のかたち」「生成のかたち」「動物と人間」「かたちの謎」という9つのセクションに分類され、構成されている。

 「シンプルなかたち」という言葉でくくられるものの内実は、その名に反して複雑だと思う。19世紀から20世紀にかけて再認識されたという単純さの美を、石器や自然、工芸、仏像、現代のインスタレーション作品などあらゆる視点から照射して捉えなおす試み。めざしていることはとてもよく分かるのだが、この単純に「シンプル」というものの系譜を辿ることは容易なことではないだろう。実際、今回の作品群も一応テーマに沿って選択されてはいるものの、そのテーマ設定の根拠が無批判に呑み込めるものであったというわけではないのと、どのようなコンセプトで集めたのかがあまりにも漠然としており、すっきりとまとまっているという印象は薄かったように感じられてしまった。

 とはいえ、それは全部観賞し終えてからあらためて展覧会全体を振り返ってみたときにぼんやりと感じたことであって、作品のひとつひとつは観に行く価値のあるものばかりだと思う。現代アートには疎く、過剰装飾礼讃者の私にとってはどれもこれも語る言葉が乏しい代わりに新鮮で純粋な驚きを持ってみることができ、いずれについても眼も心も吸い寄せられていた。
 「シンプルなかたち」というものがコンセプトとして興味深いし、重要なのはここに古今東西から作品たちがある一定の基準に則って厳選されて集められてきたということである。今後「シンプルなかたち」というものを考えてゆく上での大きな指針になり得ることは間違いない。
 あとは、何よりシンプルでありながら上品な優美さを湛え、洗練されているこの展示が、この美術館の雰囲気に絶妙にマッチしている。パンフレットやポスターは、白地に金色の文字。カッコいい。ああ、六本木だ…今後の展示にも期待!
 

どう見ても右側のポスターの方が目立つけど、行ったのは←の方の展示です。
NARUTOも行きたいのだけど…。



オラファー・エリアソン《丸い虹》2005年

 美しい!


大巻伸嗣《リミナル・エアー スペース―タイム》2015年

 下から空気を入れてふわふわとヴェールを浮かせるというもの。見入ってしまう。

『マグリット』展 国立新美術館



 生協で前売を購入しておいてすっかり忘れていた。マグリット展をようやく訪問することができた。同時期にルーヴル美術館展を開催していて、そちらの方が未だ混雑度はずっと高いもよう。

 ルネ・マグリット。ベルギーに生まれ、王立アカデミー時代は印象派、未来派に影響を受けつつ、アール・デコ風なポスター、デザインも手掛ける。パリに移り住み抽象絵画からシュルレアリスムへ接近、デペイズマンの手法などを取り入れながら独自の表現を築き上げてゆく。しかしやがてブルトンと仲違いをし、シュルレアリスム運動からは距離を置くようになり、ふたたびブリュッセルへ戻る。
 ひとりの画家が、これほど多様なことに関心を持ち、多彩な表現を行うものかと驚いた。第二次大戦への反撥から「ルノワールの時代」と言われていた時代にはそれ以前の不条理さは見る影もなく、まさに印象派と言いきってしまっておかしくないほどの色と筆遣いの柔らかさ、パステル調の夢心地が際立つし、フォービズムをもじって「ヴァーシュ」と名付けたという後期の時代には打って変わって荒々しく、鮮烈な色遣いが映える。

 色々なことを考えさせられる展示であったけれども、なかでも個人的にとても興味深かったものが、マグリットがテーマとしていたという言葉とイメージの関係性についてであった。今回の展示でいうと、中盤あたり。「事物・イメージ・名前」の関連。「名称―明確」「イメージ―曖昧」という図式とその逆も然りなのでは、といった問いかけ。描かれた絵とタイトルとの相互関係。これらへの関心は明示的であるし、このように直接的に表現したものではなくとも、彼の作品の多くが突飛なモチーフの組み合わせや、日常の事物の有り得ざる変容(女体→木、とか)、似ているものの置き換え、などのあらゆる試みから成り立っている。あまりにもかけ離れているようにしか思えないタイトルと絵の内容との関係は小さい子どもが見ても不思議に感じるだろう。後期は彼の関心が「言葉」と「イメージ」という問題から「目に見える日常に潜む謎と神秘」といった問題へ移ったとされてはいるが、それを解決するために取られた「問題と解答」という方法論はやはり言葉とイメージの問題である。言葉とイメージに対する根源的な関心はマグリットの生涯を貫いていたことが読み取れると思う。フーコーが関心を寄せたというのも頷ける。

 おそらく彼の考えていたことを文字通りに言葉とイメージで表現した作品(?)があり、これは雑誌「シュルレアリスム革命」第12号(1929年12月15日)に掲載されたものであるらしい。“LES MOT ET LES IMAGES”というタイトルで、彼の考える「原則」のようなものがひとつひとつ、絵柄と説明付きで示されている。
 

 ポストカードがあったので、購入。とてもかわいい。でもここには全部の三分の一しか含まれていない。
(あとはこのシリーズのトートバッグと、ひとつにそれぞれひとつのイラストと説明がかかれたカップ&ソーサーがあり、衝動買いしそうになるのをようやく抑える。)


 マグリットのユーモアのセンスも光る。《Ceci n'est pas la pipe》のシリーズのひとつは終盤にきちんとあった。それから初めて見たのだが、《レディ・メイドの花束》(このタイトルがまた…!)、ボッティチェリのプリマヴェーラと、スーツを着てこちらに背を向けた男を描いた作品。その作品に付されていたのがこのキャプション。
私は《春》のイメージを選びましたが、観念を選んだわけではありません。ボッティチェルリが彼女に与えたと思われるような、寓意的な意味について読んだことはありません。それに、読みたいとは思いません。私の関心があるのは、哲学ではなくイメージなのです。
―1966年「ライフライフ誌」によるインタヴュー
 他にもいくつかこのような記述が見られた。哲学する、という行為を嘲笑い小ばかにしているようには見える。言いたいことはとてもよくわかる(と思う)。だが本当に無関心であるならわざわざそれを記述することはない。仮にそうであったならあのような、ギクッとさせられる、「思わず考えさせられる」ような絵が描けるはずもなく、むしろそれについて、葛藤があったというか、自分の中で模索していたからこそ、主題化しているのであろう。先ほど述べたような、彼がイメージに関して取っている態度が、視覚文化論やらイメージ論やらに取り組んでいる後の人からまさに大真面目に「思想・哲学的なこと」として考えられているというのは皮肉なことかもしれないし、そのあたりをマグリット自身がどう考えたのかは気になるところではある。ともかく彼の遊び心の前では、マジメな議論も滑稽なものと堕してしまうのは確かかもしれない。


 合計で絵画作品が130点ほど。かなり見ごたえがある。あとは資料がとても豊富だ。アール・デコ風のポスターや広告がある。当時の展覧会カタログがある。「ドキュマン」がある。シュルレアリスム好きの方は是が非でも行くべきだと思うし、20世紀前半パリ好きな方、また作品自体が奇妙で面白いので美術に関心はない人が見ても確実に楽しめるはずである。
 小さい子どもが親に連れられてかなり多く見に来ていたのが印象的だったが、彼らもじっと作品に見入っていた。なるほど、見ていてとても面白いのだろうし、彼らの方が私たちよりもずっと、「純粋」な眼と心で作品を観賞できているかもしれないのだ。

2015/05/31

『ビブリオテカ ヴァニラ』 ヴァニラ画廊



 GW中開催されていた、「ビブリオテカヴァニラ」。

 エドワード・ゴーリー、アリス、緊縛絵、責め絵、女体画、恐怖漫画、エログロ、妖怪、といったものたちからいろいろを集めてきてまとめたといった展示。
 今回初めて知って気になったアーティストは、ミストレス・ノールさん、山田緑さん、鳥居椿さん。

 次は「GOTH展―解剖と縫合」がヴァニラで、「幻想耽美―現在進行形のジャパニーズエロチシズム」展がBunkamuraギャラリーで開催される。 いずれも私のようなコレ系が好きな人間にとっては垂涎モノな企画ばかり。

 ただ、ここ最近ぼんやりと考えているところだけれど、アングラ系アート、カルチャー界隈では「幻想」「耽美」「怪奇」「エロスとタナトス」といったワードがどうにも氾濫しすぎている気がする。そしてそのいずれもが、寺山・乱歩・澁澤的なモノに呪縛されているかのように、それを再生産したり繰り返し語ったり、といったふう(に、私には見えてしまう)。
 彼らがあまりにも強烈で強固な世界を作ってしまったことがおそらくは原因なのだろうか。それを覆するものがなかなか出てくることができないのかもしれない。だけどそれに永遠に安住しているのなら、当の澁澤たちは辟易するにちがいない。

 もちろん、ロリータファッションやらと結びついたりして独自の発展を遂げてはいるのだろうけど、それらも延長線上でありどうにも突き抜け感がない。

 昨年のオルセーでのサド展はフランスでの21世紀的な新しいサド受容を見たような気がした(気がしただけかも?)し、日本ももっとこのあたりに革命児が現れることを密かに期待してしまうのだった。

2015/05/21

旅の記録(青森県弘前市・金木町、2015/05/17~18)



  記号学会の大会を少し早引きして、そのまま青森へ。秋田駅から奥羽本線に乗り込む。もともとは三沢にある寺山修司記念館を訪ねることが目的だった。だが生憎、予定していた月曜日には休館日とのこと。急遽、津軽の太宰治を訪ねるルートに変更し、中継地として弘前へ泊ることにした。(わたし的には寺山も太宰もそれぞれ別の方向性で、どちらも同じくらいに愛おしい存在。)この日は到着した時間が遅かったのでホテルに直行して一晩を過ごす。もちろん、夜の8時という時間帯なんて、街はすでに真っ暗である。

 翌朝、少し早起きをして弘前城公園まで散策。平日の月曜の朝ということで、自転車通学中の数多くの中高生の少年少女たちとすれ違う。30分くらいしたところで弘前城公園に到着、さすがに朝の時間はほとんど人がいなくて、お散歩や体操をしにきているおじいさまやおばあさまがたが何名か。弘前城の天守閣は場所を移転するといって工事の最中だったために、見学は外観のみだった。




 せっかくだから、弘前城公園の植物園も見学。この時季の東北で見ごろの花というと牡丹くらいしかなかったけれど、とにかく植物園自体の面積がとても大きく、なかを散歩するだけでもその価値があると言うものだろう。





観光会館で唯一見ることができたねぷた


  緑に囲まれて整備された公園で新鮮な空気を体内に充満させたあとは、観光ガイドなどには「レトロ洋館」などとして掲載されている、いくつかの建築物を見に行った。ここは元来、外国人が多く住む街だったといい、キリスト教の教会もある。次の予定のために時間が限られていたので、そのうちの旧図書館と外国人の家だけ見学…。いずれも小ぶりな建物だが、かわいらしくて、趣がある。

 弘前には本当はもっと色々と見て回りたいところもあったし、たとえばアップルパイ食べ比べ歩きなどもしたかった。あとは、桜の名所として知られているけれど、確かにその季節に来たらさぞ美しいことだろう。だがほんの短い滞在ではありながら、その魅力は十分に味わえたように思う。またぜひ再び訪れたい、と思わせる場所だった。




   弘前から、今度は予定通り、太宰の生まれの地を訪ねるためにふたたびJR線に乗り込む。太宰治の故郷である金木町へゆくには五所川原から、日本の最北の私鉄であるという津軽鉄道を使う。この鉄道はローカル線というかそれが行きすぎた結果もはや観光路線と化しているといったふぜいで、おそらく現在の用途としては地元の人というよりも観光客向けが主…なのだろうか。中にはガイドさんがいて、車窓からの景色を説明したり、乗客と話をしに来てくれたり、車内販売などもある。

 窓から一面に広がる田園風景を眺めているうちに、金木駅に到着。駅からは徒歩で斜陽館へ向かう。この町は太宰の故郷の地ということで売り出しているようで、駅の周辺には徒歩で回れる距離に、太宰に関連する建物がいくつか点在している。
 こうした有名人のゆかりの地の記念館や文学館の類というのはどうも大々的に喧伝するほどにはたいしたことないことが多いようなイメージがあって、この斜陽館に関してもすごく期待していたというわけではなかった。太宰も自らがあちこちを転々としていただけあって、文学館やら記念碑やらが日本中にいったいいくつあるのかという感じがする。


JR五能線で座席を独占するしな


津軽鉄道




 しかし実際に斜陽館を目の前にすると、かなり立派で大きい建物であることに驚かされた。さすが大富豪であったという、彼の生家というだけある。
 太宰が自身の作品で、彼の父親が建てたという家を『苦悩の年鑑』という作品においてこのように評していたことはよく知られている。「…父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。」 
 なるほど第10番目の子として特に大きな責任を背負うわけではなく、だから期待をかけられることもなく育ったという太宰が、この「ただ大きい」だけの空間のなかで宙づりになっているその違和感やフラストレーションを徐々に募らせていったことが想起される。東京に飛び出し、こことを行き来したという太宰…。
 もしも私が根っからの太宰の崇拝者だったなら、おそらくもうすでにこのあたりで感極まって目頭が熱くなっていたに違いない。情景が幻視できるかのようなのだ。太宰の作品といえばそのうちのほんのわずかしか読んだことがなく、彼に対しては「入水」にちょっと破滅の甘美な響きを感じ取ってしまうののほかは、まあ人並み程度のシンパシーしか覚えることのない私でさえも、彼の生涯を追想しその思いを辿るうちに、異様な心の動きに捉われた。






2階


 館の中も、総じて見どころはかなりたくさんあり、充実していた。あまりたくさん写真を貼ることはしないけれどひとつだけ。この部屋は太宰やその兄弟たちが遊んでいた部屋だという。この壁の左から2番目にかけられた漢詩のなかに、「斜陽」という二文字がある。彼が育った環境にはいつもこの二文字があり、彼のなかの自覚せぬところに染みついていたに違いない。この記憶がやがて、あの作品に結びつくようになるということ。これには少し鳥肌が立ってしまった。








太宰があちこちに出現しすぎである


 そして最後に、見ごたえがあったのはかつて米蔵として使われていたという、太宰関連の資料の展示室。彼の自筆原稿も、さすがに『斜陽』やら『人間失格』やらのものを出してこられると唸ってしまう。それらの外国語訳本なども数多く展示されている。他には学生時代の太宰の落書きノートやら。知らなかったけれど彼はヴェルレーヌが大好きだったようで(たしかに好きそう)、彼の碑にはその一節が刻まれている。

“J'ai l'extase et j'ai la terreur d'être choisi. (選ばれてあることの恍惚と不安と 二つわれにあり)”


 受付の近くにある、訪れた人の感想ノートには多くの太宰への愛のメッセージが。関東やら近畿やら、みんなけっこう遠くから来てるみたいだ。最近では某お笑い芸人がそうであったというのが知られているが、太宰に心酔する熱狂的なファンというのはこれからもきっといなくなることはないだろうし、太宰の作品を愛するひとがいる限りは、この斜陽館もずっとこの地に在りつづけて、訪れた人々に彼の魅力を与えるに違いない。


 この日は青森駅に行ってひととおり観光しようと思っていたのだけれど、時間が遅かったし、やりたいことを済ますには新青森でも充分そうだったので、次回に取っておくことにした。新青森で降りて新幹線とともに開設されたというお土産館をあるきまわる。

(※この後2時間ほど、青森に来てうずまいていた欲望を解消する時間。(ごちそうさまでした。))

海鮮丼と利き酒セットをいただいたよ

最後はリンゴで〆だよ

 思えば、東海道新幹線のほかに新幹線に乗るのは東北新幹線が初めてだ。ぴかぴかえめらるどぐりーんのかっこいい車体に乗り込んで、青森を後にした。
 できることならあと2泊くらいしたかった。まだまだ南東部の半分くらいしか行けていない。青森駅にも降り立ってないし、奥津軽に、白神山地、恐山、八戸や三沢のほうまで…青森はとにかく広い…。


旅の記録 (秋田県秋田市、2015/05/16~17)

   美少女の記号論を見学するために訪れた秋田だけれど、残念なことに観光の時間はほとんど取れなかった。とりあえず自由な時間を確保した、初日の午前中のぶんだけ。

 まず訪れたのは秋田県立美術館。今日は県民のイベントが開催されていたようで、美術館の前の広場にはステージが出現し賑わいを見せていた。



 突如、視界にあらわれるじばにゃん。



 人と店の間をかいくぐり、すっかりと隠れてしまった美術館の入り口を見つける。



 美術館自体は安藤忠雄の設計であるそうだ。
 常設展はほぼ、藤田嗣治。彼の油絵作品と、秋田の祭りや日常の風景を描いたという大壁画。かつて箱根のポーラ美術館だかで見た藤田の展示では、パリ時代を中心とする、西洋をモチーフにした作品が多かった。ここではブラジル、中国といった異国のエキゾチズム、そして琉球や秋田の日本の民族的な絵が半分を占める。彼の作品で代表的なあの乳白色の肌とは異なり、小麦色に焼けた、血色の良い肌色。藤田の新しい側面を知れたような気がする。


 企画展は「田園にて」とされたその題の通り、日本の戦後の50~60年代の風俗画、写真であり、田園風景が中心である。まさに、これぞ日本の農村…という、忘れかけられている情景を思い出させてくれるものだった。

 この美術館は2階がミュージアムショップとカフェになっていて、その窓の外から景色が眺められる。

 


   ここにも、テラスの水面からにょきっと顔を出すじばにゃん。

 県立美術館の後に少しだけ、千秋公園を散歩。ここは久保田城というお城の跡地であるという。このあとにすぐシンポジウムに行ってしまったので、観光は秋田市内の限られた場所しかできなかった。駅周辺を見るだけでもその空気のきれいさや街のふしぎな温かみが伝わってきたのだが、今度はぜひもっと遠くへ足を延ばして、色々と訪れてみたいと思う。






このあとは、そのままバスで秋田公立美術大学へ。こちらについてはまた別途。