2015/07/25

「高橋コレクション展 ミラー・ニューロン」東京オペラシティアートギャラリー




精神科医であるコレクター・高橋龍太郎さんのコレクションの展示。現代美術にはまったく明るくない私でさえも知っている作家さんの名前がずらりと並んでいたから、現代日本を代表するアーティストのオールスターの作品が集結していると言っても良さそうだった。
 草間彌生、森村康昌、名取晃平、村上隆、横尾忠則、会田誠、やなぎみわなど挙げてゆけばきりがない。1フロアの広々としたスペースの展示室をめぐってゆき、順に並べられた作品と向かい合う。観ていて感じたのは、ひとつひとつが重たくて、ただ漫然と眺めて歩いているだけでも頭に相当な負荷がかかるということ。作品を対象として観察するというのではなく、自らの身体も巻き込まれてゆく、精気を攪乱されてゆく感じ。モダン・アートってこんなに迫力のあるものだったのか。会場を出た時には脳と精神の満たされた疲労感にぐったりとしてしまったけれど、それが初めての感覚のように心地好くて、なんだかクセになりそう。


展示の最後、ホールにあった撮影可の草間さんの作品。


 この展覧会が個人によるコレクションであったこと、そのコレクターが精神科医という職業であることは注目すべき点だろう。作品の一つ一つを私が「重い」と感じたのにもそこにひとつの要因があるのかもしれない…とも思う。それから、私自身は現代における芸術の在り方や流通形態といったことを詳しく把握してはいないのだけれど、受容史研究の現在、のようなものを見ているような気がして、覗き見をするようなうしろめたさと好奇心とをいっぱいに味わった。
 今回集められた作品たちをとりまとめて付されたキーワードは「ミラー・ニューロン」であった。この単語を耳にするだけで頭に浮かぶ時代はモダン以外の何物でもなかったが、しかしそれが絵画の古典的な根源のひとつである「鏡」、そして「模倣」を想起させる点は非常に興味深い。過去との連続性。現代アートにも、もっと積極的に関心を持ってくるべきであったという反省が本展覧会を見た大きな収穫の一つでもある。

今回新たにタイトルに選ばれた「ミラー・ニューロン」とは、他者の行動を見て「鏡」のように自分も同じ行動をしているかのように反応する神経細胞を意味し、それは他者との共感や模倣行動をつかさどるとも考えられています。本展においては、日本の現代アートに広く見られる「なぞらえ」の作法が、「模倣」「引用」などを重要な手段とする現代アートの世界的潮流だけでなく、「見立て」や「やつし」といった伝統的な日本の美意識とも通底していることを意識させるキーワードとなります。


しかし人間にとって最大の模倣は自然への模倣だろう。アリストテレスは、芸術は自然を模倣するとして、模倣(ミメーシス)を人間の本質と高く評価した。1980年代以降現代アートは模倣と引用によるシミュレーショニズムの影響なくしては語れない。しかしシミュレーションといえば、日本には本歌取り、見立て、やつし等、千年の歴史がある。とするなら日本の現代アートシーンは、正面に西欧のアートミラーがあり、背後に千年の伝統ミラーを見据える合わせ鏡の只中にあることになる。
それは世界のアートシーンのなかの稀有な痙攣する美になるのか。はたまた無限に映し返される煉獄に過ぎないのか。 
http://www.operacity.jp/ag/exh175/j/exh.php [2015/7/25 アクセス]

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