2015/10/11

「最後の吉原芸者の記録~GEISHAとは何かを学ぶ講演と展示~」

 
日吉の来往舎で行われた講演会とドキュメンタリー上映。講演者は江戸文化研究家の安原眞琴さん。
 来場者はご年配の方が多い印象だった。お着物を召していらっしゃっている女性も。

 ご講演は色々学ぶことがあった。まず芸者の概念の説明。芸者というのは、舞踊や音曲などの芸を売りにして客をもてなす者のこと。
 吉原は政府公認の遊郭であり、遊女がいたからこそ芸のみを売りにする芸者という在り方が可能だった。逆に他の盛り場では芸者と称していても裏では身を売ることもあったので、本当の(?)意味での「芸者」が存在したのは、吉原のみだったという。

 続いて、みなこさんという最後の吉原芸者だった方に安原さんが密着して撮影したドキュメンタリー。すでに危機に瀕していて、芸を継ぐ人がほとんどいなくなっている状況で、まとまった映像に残されることは本当に貴重であると思う。約5年間にわたり取材が続けられ、みなこさんはこの映像の撮影が終了して数年後にお亡くなりになった。

 展示のパネルも興味深かった。これまで遊女の研究は多くあったのに対して、芸者については一部の好事家による趣味的なものを除いてはほとんど行われてこなかったとのこと。今後、色々な視点から研究する余地があるようです。もとより個人的には遊女のほうに主要な関心があったので、そちらでまず色々と読むべきものがあるのだろう…。
 初めて知ったのは、日本における遊女の起源は神話に遡るともいえるらしく、平安ごろまでは祭儀とも結びついて、ある種の「聖」性を纏っていたという。
 それから明治以降、西洋的価値観の流入によって建前では禁じながらも江戸以前の寛容さをずるずると引きずって暫くの間は黙認していたのだが、その政府の方針はダブルスタンダードであり、頭ごなしに否定することよりもたちの悪いものだったのではないかという指摘もされていた。


 見世物小屋の時にも感じたことであるが、廃れ喪われていくものについて、自分はただ眺めているだけで、何にも貢献できないというのはもどかしい。残された文書の記録と頭の中の記憶だけでは、限界がある。そして後の時代に残る我々がどう向き合っていくか。
 こうした性の絡む領域はとても面白いのだけれども、扱いは非常に難しいと思う。吉原は江戸時代には文化の拠点でもあったわけであり、現在の倫理道徳観でタブーと禁じてしまうことによって、見えなくなってしまう面があるのは確か。ただ、だからといって、「日本の文化」だとして積極的に肯定的な面ばかりを見ようとするならば、それはそれで孕まれている問題を見落とすことにもなる。何と言おうと吉原は遊郭なわけで、そこではれっきとした売春行為が行われていたわけだから。逸楽が生み出されるだけ、苦悩も闇も深くあった。しかしどういうわけか、未だ引き寄せられる人が多いのはなぜだろう。人の心の中か、あるいは土地に眠る記憶においてか、その昏い奥底からあらわれるものが、鈍く強い光を放っているからかもしれない。

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