2015/11/15

「FOUJITA」、MOMAT コレクション特集・藤田嗣治全所蔵作品公開

 
 昨日はモネさんの誕生日でもあったので、丁度開催中の「モネ展」を観に上野を訪れようと思ったけど、激混みだろうと予想してやめた。代わりに日中は、藤田嗣治に会いに行った。ユーロスペースで、昨日公開の映画「FOUJITA」の後に、国立近代美術館の全所蔵作品展示。彼は、なぜなのかわからないけど、妙に惹かれてしまう画家のひとり。

 国立近代美術館に収蔵されているフジタの作品の中には、第二次世界大戦の最中に描かれた戦争画が多くを占めている。
 私はたった去年くらいまで、フジタの絵については、かつてポーラ美術館でみたことのある、愛くるしい猫たちや乳白色の肌を持つ女性、子どもたちといった柔らかくて優美な作品を描く画家だという印象しかなく、初めて彼の戦争画を見た際には両者のあまりの落差に、酷く衝撃を受けたのを覚えている。


 その落差というのは、両時期の色彩の差異を示すような形で、映画「FOUJITA」のなかでも明示的、意識的に描き出されていた。ただ、作中ではその差は単なる断絶としてしか描かれていないような気もした。パリ時代と戦争画時代の間には彼の中で何らかの心境の変化もあったのは当然であろうが、しかしそう考えたくなる一方で、ドラクロワのような巨匠に憧れていたということからもわかるように、とにかく絵に対する、描くことに対する底知れぬまでの貪欲さという、彼の中での一貫した何かがあるようにも思う。戦地に従軍し取材をした後に綴られたフジタの言葉は、目の前で見た凄惨な光景に対して発するにはあまりに無邪気な感嘆であって、戦争さえも自分の絵をさらなる高みへと至らせるための素材と霊感を与えてくれる、ひとつの手段としか考えていないふうにもうかがえた。
 ともあれ、とても気になる存在だから、いつか色々と読んでみなくてはと思う。
 
 同時開催中の「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」と、メルロ=ポンティを案内人とした小さな展示「てぶくろ|ろくぶて」も面白かった。後者は一点透視図法、「さわる」こと、といった人間の行為を作品を通じてあらためて考え直すという趣旨の企画。

0 件のコメント:

コメントを投稿