2015/05/21

旅の記録(青森県弘前市・金木町、2015/05/17~18)



  記号学会の大会を少し早引きして、そのまま青森へ。秋田駅から奥羽本線に乗り込む。もともとは三沢にある寺山修司記念館を訪ねることが目的だった。だが生憎、予定していた月曜日には休館日とのこと。急遽、津軽の太宰治を訪ねるルートに変更し、中継地として弘前へ泊ることにした。(わたし的には寺山も太宰もそれぞれ別の方向性で、どちらも同じくらいに愛おしい存在。)この日は到着した時間が遅かったのでホテルに直行して一晩を過ごす。もちろん、夜の8時という時間帯なんて、街はすでに真っ暗である。

 翌朝、少し早起きをして弘前城公園まで散策。平日の月曜の朝ということで、自転車通学中の数多くの中高生の少年少女たちとすれ違う。30分くらいしたところで弘前城公園に到着、さすがに朝の時間はほとんど人がいなくて、お散歩や体操をしにきているおじいさまやおばあさまがたが何名か。弘前城の天守閣は場所を移転するといって工事の最中だったために、見学は外観のみだった。




 せっかくだから、弘前城公園の植物園も見学。この時季の東北で見ごろの花というと牡丹くらいしかなかったけれど、とにかく植物園自体の面積がとても大きく、なかを散歩するだけでもその価値があると言うものだろう。





観光会館で唯一見ることができたねぷた


  緑に囲まれて整備された公園で新鮮な空気を体内に充満させたあとは、観光ガイドなどには「レトロ洋館」などとして掲載されている、いくつかの建築物を見に行った。ここは元来、外国人が多く住む街だったといい、キリスト教の教会もある。次の予定のために時間が限られていたので、そのうちの旧図書館と外国人の家だけ見学…。いずれも小ぶりな建物だが、かわいらしくて、趣がある。

 弘前には本当はもっと色々と見て回りたいところもあったし、たとえばアップルパイ食べ比べ歩きなどもしたかった。あとは、桜の名所として知られているけれど、確かにその季節に来たらさぞ美しいことだろう。だがほんの短い滞在ではありながら、その魅力は十分に味わえたように思う。またぜひ再び訪れたい、と思わせる場所だった。




   弘前から、今度は予定通り、太宰の生まれの地を訪ねるためにふたたびJR線に乗り込む。太宰治の故郷である金木町へゆくには五所川原から、日本の最北の私鉄であるという津軽鉄道を使う。この鉄道はローカル線というかそれが行きすぎた結果もはや観光路線と化しているといったふぜいで、おそらく現在の用途としては地元の人というよりも観光客向けが主…なのだろうか。中にはガイドさんがいて、車窓からの景色を説明したり、乗客と話をしに来てくれたり、車内販売などもある。

 窓から一面に広がる田園風景を眺めているうちに、金木駅に到着。駅からは徒歩で斜陽館へ向かう。この町は太宰の故郷の地ということで売り出しているようで、駅の周辺には徒歩で回れる距離に、太宰に関連する建物がいくつか点在している。
 こうした有名人のゆかりの地の記念館や文学館の類というのはどうも大々的に喧伝するほどにはたいしたことないことが多いようなイメージがあって、この斜陽館に関してもすごく期待していたというわけではなかった。太宰も自らがあちこちを転々としていただけあって、文学館やら記念碑やらが日本中にいったいいくつあるのかという感じがする。


JR五能線で座席を独占するしな


津軽鉄道




 しかし実際に斜陽館を目の前にすると、かなり立派で大きい建物であることに驚かされた。さすが大富豪であったという、彼の生家というだけある。
 太宰が自身の作品で、彼の父親が建てたという家を『苦悩の年鑑』という作品においてこのように評していたことはよく知られている。「…父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。」 
 なるほど第10番目の子として特に大きな責任を背負うわけではなく、だから期待をかけられることもなく育ったという太宰が、この「ただ大きい」だけの空間のなかで宙づりになっているその違和感やフラストレーションを徐々に募らせていったことが想起される。東京に飛び出し、こことを行き来したという太宰…。
 もしも私が根っからの太宰の崇拝者だったなら、おそらくもうすでにこのあたりで感極まって目頭が熱くなっていたに違いない。情景が幻視できるかのようなのだ。太宰の作品といえばそのうちのほんのわずかしか読んだことがなく、彼に対しては「入水」にちょっと破滅の甘美な響きを感じ取ってしまうののほかは、まあ人並み程度のシンパシーしか覚えることのない私でさえも、彼の生涯を追想しその思いを辿るうちに、異様な心の動きに捉われた。






2階


 館の中も、総じて見どころはかなりたくさんあり、充実していた。あまりたくさん写真を貼ることはしないけれどひとつだけ。この部屋は太宰やその兄弟たちが遊んでいた部屋だという。この壁の左から2番目にかけられた漢詩のなかに、「斜陽」という二文字がある。彼が育った環境にはいつもこの二文字があり、彼のなかの自覚せぬところに染みついていたに違いない。この記憶がやがて、あの作品に結びつくようになるということ。これには少し鳥肌が立ってしまった。








太宰があちこちに出現しすぎである


 そして最後に、見ごたえがあったのはかつて米蔵として使われていたという、太宰関連の資料の展示室。彼の自筆原稿も、さすがに『斜陽』やら『人間失格』やらのものを出してこられると唸ってしまう。それらの外国語訳本なども数多く展示されている。他には学生時代の太宰の落書きノートやら。知らなかったけれど彼はヴェルレーヌが大好きだったようで(たしかに好きそう)、彼の碑にはその一節が刻まれている。

“J'ai l'extase et j'ai la terreur d'être choisi. (選ばれてあることの恍惚と不安と 二つわれにあり)”


 受付の近くにある、訪れた人の感想ノートには多くの太宰への愛のメッセージが。関東やら近畿やら、みんなけっこう遠くから来てるみたいだ。最近では某お笑い芸人がそうであったというのが知られているが、太宰に心酔する熱狂的なファンというのはこれからもきっといなくなることはないだろうし、太宰の作品を愛するひとがいる限りは、この斜陽館もずっとこの地に在りつづけて、訪れた人々に彼の魅力を与えるに違いない。


 この日は青森駅に行ってひととおり観光しようと思っていたのだけれど、時間が遅かったし、やりたいことを済ますには新青森でも充分そうだったので、次回に取っておくことにした。新青森で降りて新幹線とともに開設されたというお土産館をあるきまわる。

(※この後2時間ほど、青森に来てうずまいていた欲望を解消する時間。(ごちそうさまでした。))

海鮮丼と利き酒セットをいただいたよ

最後はリンゴで〆だよ

 思えば、東海道新幹線のほかに新幹線に乗るのは東北新幹線が初めてだ。ぴかぴかえめらるどぐりーんのかっこいい車体に乗り込んで、青森を後にした。
 できることならあと2泊くらいしたかった。まだまだ南東部の半分くらいしか行けていない。青森駅にも降り立ってないし、奥津軽に、白神山地、恐山、八戸や三沢のほうまで…青森はとにかく広い…。


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