2016/06/14

「aestheticism~耽美~」ヴァニラ画廊


 


「beautiful.bizarre×ヴァニラ画廊 特別企画展『aestheticism~耽美~』」
2016年 4月4日(月)~4月23日(土)

 「beautiful.bizarre」という、海外の幻想耽美系のメディアとヴァニラ画廊とのコラボレーション企画。海外の「これ系」のアーティストはほとんどフォローしていないけれど、気に入った作品は多かったし、良い出逢いもあった。この媒体、少し意識してみてもいいかもしれない。


 展示のタイトルは思い切り直球、という感じであるけれど、ここで「耽美」という言葉を用いた理由はもう少し明白にしてもらえたらよかったかも。

 この展示に限ったことではないが、「耽美」という言葉の示すのが余りにもに偏った類のものであるようのは以前から疑問である。決まって頽廃的で、破滅的で、ときに残酷で、グロテスク。なぜ忌まわしく悍ましく醜いものが「美」なのか。
 今回の展示作品で言えば、たとえば次のようなワードが思い浮かぶ。
身体、死、機械、人形、裸体、髪、緊縛、溢出、巣、絡まり、拘束、森、花、蔦、蝶、変身、奇形、変工、眼球、増殖、夜、月、ヴェール、解剖、内臓、髑髏…

 これらが「美」なのだというのではなく、「美に耽る」という行為があらわすもの、なのだろう。おそらくは19世紀末の西欧芸術の流れをそのまま汲んで。(日本の幻想芸術の系譜は一度整理しなくてはならない。すでに何か良い本があるかしら?)
 美を信奉するという態度は、現実における「健全さ」とは相容れず、それに否が応でも逆行せざるを得ないようなもの。「反地上」への志向。「美」の絶対的な基準というものが失われた近代以降の世界において、存在しないはずの「美」を追い求める、あるいはそれに縋るという姿勢はそれ自体として矛盾を孕まざるを得ず、カタストロフィを招くものなのかもしれない。「機能美」なんて言葉は絶対に、相容れないんだろうし。

 それにしても、この言葉で集められた作品たちのモティーフは、お決まりという感じがあって、「それっぽい」ものをあらわすときはたいてい「幻想」と「耽美」を使っていれば良いだろうという雰囲気もあるのは、己の信奉する「美」に対する怠慢なのでは、とも思ってしまうけれども。不健全じゃない「耽美」が仮にあってもおかしくはないと思うけど、それはこの時世においてはきっと天国や極楽のような宗教味を帯びるユートピアでしかなく、それはあまりにも非現実的(奇妙なことに)だということなのか。

 「耽美」はなぜデカダンか。『夜想』の「耽美」特集はどんなだったっけ。

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