2016/06/04

遠足の記録(水戸編)




 




 茨城にはつくば市であれば何度かいったことがあるけれど、水戸市を訪れるのは今回が初めて。
朝に出発し鈍行でノロノロと向かい、まず向かうは偕楽園。5月は躑躅が燃えるように咲いていたけれど、梅園が素晴らしく、シーズンに来たらきっとさらに美しい姿が見られるのだろう。けれど、その代わりにと言ってもよいのか、タンポポの花が絨毯のように咲いていて、じっと佇んでいたら夢幻へとのみこまれてしまうかのような錯覚に陥る。
 続いて水戸芸術館まで歩き数時間滞在したのち(きちんとあのタワーにも上った)、水戸城関連の史跡、最後に水戸第一高校を外から眺めて散策は終わり。気候もほどよく、とても気持ちの良い一日だった。
 
 水戸芸術館で開催されていたのが、田中功起さんの個展「田中功起 共にいることの可能性、その試み」。現代社会と芸術の関係性や現在のアート界でのその動向等については、目下勉強中。だが作品の趣旨、テーマは率直でストレートであり、特別に知識もない状態だったとしても、ひとつひとつの作品に見入ってしまうことは間違いないと思う。ワークショップの記録はドキュメンタリーとして映像にまとめてしまうこともできるけれど、そうではなくひとつの展示室の中で来場者が移動をしながらそれぞれの作品を好きな順番に鑑賞できる「展覧会」として提示しているという点に意味がある、ということを読んだけれど、まさにそうなのだろう。実際に会場へ足を運ぶことの大切さを改めて感じた。
 

本展は、田中功起による国内初の大規模な個展です。田中は、映像記録、インスタレーション、執筆、パフォーマンスおよびイベント企画といったさまざまな方法を通して、現在の社会状況や既成の枠組みに対し、別の視点やあり方を模索する活動で近年、注目されています。2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレでは、5名の陶芸家がひとつの陶器をともにつくる様子をとらえた映像作品などで、複数の人びとがひとつのことにともに携わるときの、その行為の美しさと難しさを表し、国際的に評価されました。
 本展では、協働による営みに関心を抱くようになった2010年以降の田中の活動に焦点をあて、新作を中心に、近年の取り組みとあわせて紹介します。
 本展のために制作された新作は、一般参加者とファシリテーター、撮影チームらと一つ屋根の下をともにした6日間の滞在とそのなかでのワークショップがもとになります。朗読、料理、陶芸、社会運動にまつわるワークショップ、ディスカッション、インタビューなどで構成された6日間を通して、移動や共同体についてそれぞれが考え、また対話し、実践する機会が設けられました。本展では、これらのワークショップの記録映像をもとにつくられた複数の映像に、作家が制作中に書いたノートなどが添えられ展示されます。

※ 新作映像は全編でおおよそ230分になる見込みです。


【2015年11月8日のメモ(ステイトメントとして)】

あなたはどのような場面でまったく初対面のだれかに心を開くだろうか。
あなたは隣にいるだれかとどのようなとき、共に助け合おうとするだろうか。
あなたは何を根拠にだれかを信頼し、あなたの傷つきやすさを預けようとするだろうか。

山の中での非日常的な共同生活とワークショップ。そこには撮影隊も共に寝泊まりをしていて、その光景を記録している。ぼくも、あなたもそこにいて、私たちは、まだそれが何を意味するのかを知らない。私たちは、料理をし、朗読をし、発声し、動き回り、会話をし、社会について考え、陶芸を行い、話し合う。そして私たちは、その小さな社会の中で、自分の位置を確認し、自分の役割を問い直し、ときに自分を見失う。そのようにして他者に出会い、その相手を気遣う。ほとんど見ず知らずのだれかと、もしかすると理解しがたい他者と、共にいることを試みる。それはあるひとからすれば当然の、あたり前の状態であり、別のひとからすれば受け入れがたき状況だろう。この状況は、仮の、作られた、一時のものでしかないかもしれない。だけれども、一時的にでも可能であるならば、それはいつ、どこで、どんななにものかとであっても、可能ではないだろうか。(田中功起) 
http://www11.arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=438[2016/05/30]
 

 

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