2016/06/04

「没後100年 宮川香山」サントリー美術館



「没後100年 宮川香山」サントリー美術館
2016年2月24日(水)~4月17日(日)





 
 
 「高浮彫」の技法で知られる宮川香山。一歩間違えれば「悪趣味」にもなり兼ねない過剰なまでの装飾性の、繊細さと迫力とに圧倒される。
 
 このような陶磁器が日本で制作されていたということをこの展示に足を運ぶまでは全く知らなかった。香山の作品が19世紀末の西欧の工芸界においてはどのように受け入れられ、評価されていたのかという点はかなり重要な問題だと思うけれど、何か良い研究書はあるだろうか。今ある宮川香山についての本は、調べる限りでは展覧会図録か作品集くらい。
 
 『美術手帖』の2016年3月号では「超絶技巧」というタイトルで香山が紹介されていた(“美しい畸形”!)。明治工芸というのは日本ではあまり研究が行われず、2000年代以降再評価が進んでいるという。
 ガレをはじめとして、同時代の西欧の工芸品についてはこれほど愛好者も多いというのに、またジャポニスム研究も盛んに行われているにもかかわらず、日本国内で作られていた陶芸には注目が集められていなかったという事実はいささか奇妙であるように思われる。私としては今回の展示を見て、ガレよりも香山のほうをずっと気に入ってしまったけど。
 

明治時代から大正時代を代表する陶芸家・宮川香山(みやがわこうざん)(虎之助・1842~1916)は、天保13年(1842)、京都の真葛ヶ原(まくずがはら)(現在の京都市東山区円山公園一帯)の陶工の家に生まれました。幼少の頃より父・長造(ちょうぞう・1797~1860)から陶器や磁器の製法を学び、万延元年(1860)に家督を継ぎます。
明治3年(1870)、転機が訪れます。香山は京都を離れ、文明開化の町・横浜へと向かいます。当時、明治政府は近代産業の育成に力を入れ、外貨獲得の手段の一つとして陶磁器をはじめ、様々な工芸品を輸出することを奨励していました。香山は、欧米諸国の趣向に応える新たな美を創り出すことに尽力し、中でも、陶器の表面を写実的な浮彫や造形物で装飾する「高浮彫(たかうきぼり)」と呼ばれる新しい表現技法によって、日本陶磁における装飾の概念を覆すような、精緻で独創的な世界を作り出していきました。
明治10年代半ば頃から、香山は新たに釉薬と釉下彩の研究に取り組み、中国清朝の磁器にならった様々な技法の作品を作り始め、制作の主力を陶器から磁器に切り替えていきました。そして明治29年(1896)、香山は、陶芸の分野では二人目となる帝室技藝員(ていしつぎげいいん)に任命されます。香山が生み出した陶磁器は、眞葛焼(まくずやき)として世界中から絶賛を浴び、人気を博しました。イギリスの大英博物館をはじめ世界的に著名な美術館が香山の作品を収蔵していることからも、その人気の高さがうかがえます。
本展では、約50年にわたって、日本に少なかった香山の作品を世界中から探し出しつつ、香山研究を続けてこられた田邊哲人(たなべてつんど)氏のコレクションを中心に、平成28年(2016)に没後100年を迎える宮川香山(初代)の全貌を紹介し、超絶技巧のやきものの魅力に迫ります。高浮彫作品の目くるめく迫力、そして釉下彩や青磁などの吸い込まれそうなみずみずしさと優美な品格を、一挙にご堪能いただけるまたとない機会です。 
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_1/ [2016/05/06]

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