2014/11/24

『反世界から半世紀ー中井英夫』展

どれほど成就してほしいと祈り、おかしくなりそうなくらいに焦がれても、叶わぬ恋というものがあります。
 
なぜ叶わないかといえば、たとえばその相手は今現在、此の世にはない存在であるため、あるいは自分の女性という性によって、彼の恋の対象にはなり得ないためです。
 
自分の努力や工夫でどうしようもないものほど、遣る瀬無いこともない。しかしながら実際に叶えられたものだけが、幸せをもたらしてくれる本物の恋であるといえるでしょうか。
まだ右も左も分からず、それを何とも気にすることさえなくふらふらと彷徨っていた時、ふとしたことをきっかけに、彼が丹念に創り上げそっと遺してくれた秘密の園へと、幸か不幸か導かれてしまった。足を踏み入れた瞬間に魅了され、そしてその主を知るや否や、彼に対する烈しい想いに囚われました。もちろんそれは叶うことはおろか本人へ届きさえすることもない、傍から見れば滑稽極まりないものです。けれど叶わぬという事実に気付き、深い絶望を味わうと同時に、其処へ辿り着いたことの、易々と充足の出来る欲望には縁遠いであろう悦楽を得、彼の築いた庭に遊ぶことの愉しみを見い出すことができたのでした。昔から世渡りの下手な私にとって、良くも悪くも、これがある意味では絶対的な庇護下にある逃避先であったと思います。
 
そんな少女時代の「幸せ」な体験は心の奥底に眠っていて、現実の彼是に追われて久しくじっくりと覗くことができていませんでした。しかし先日、彼に邂逅することができるとの知らせを目にして、今日という機会を捉えて訪れることを決めました。
昨年の同日と同じく、目に毒なんじゃないかと心配になるほどの雲一つない青々とした快晴、向かうは要町の光文社のビルの1階にある、ミステリ文学資料館。
現在開催中の『反世界から半世紀―中井英夫』展、これは彼の代表作であり、日本の三大奇書のひとつとして知られる『虚無への供物』刊行から50年を記念して企画されたものだそうです。
 
こぢんまりとした資料室の中にある小さなスペースに、あの濃密な世界が現前していました。エッセイ集の表紙の写真で馴染み深い飴色のフレームの眼鏡に愛用の万年筆やとらんぷ…、自筆原稿、澁澤や乱歩へ、あるいは名を知らない誰かへ宛てた書簡。久しく離れていたこれらのものたちに触れて、忘れてしまっていた想いが堰を切ったように襲ってきました。
 
そして何より、かつては知りさえしなかった、あるいは知ることを拒否していた彼の晩年と彼の創り上げた反世界の、本当の行方というものについても今回、じっくりと考える契機を持つことができたように思います。
永遠に咲き誇るはずの薔薇は朽ちゆき、黒鳥の館は無作法に荒れ果て、最後の心の在り処であった月蝕領は、彼の愛する人を侵した病によって崩壊する。それはおそらく私がこの歳になったからこそ、直視することができるようになったであろう、「現実」に起こったことがらの数々でした。
 
追い求めた“反地上”は所詮、絵空事でしかなく、彼ほどの生粋の幻視者そして文体者(スタイリスト)を以てしても、現実の時間には遂に抗うことができなかった――
という陳腐で単純な図式に帰着させてしまうのはあまりにも味も素っ気もない解釈でしょう。しかしここはFacebook、反論したい気持ちを抑えつつ、やや「こちら側」を重視した見解を、ひとまず取っておこうと思います。(この文章はFacebookに投稿したものなのでこのような書き方になりましたが、いつかは「あちら側」を重視した見解も編み出してみたいものです)
 
墓と化した流薔園に黒鳥館、そして月蝕領を再びこの地に甦らせることは不可能なことかもしれずとも、反世界なるものの命脈は、今でも決して少なくない、私の敬愛する人々によって細々としかし着実に保ち続けられているような気がいたします。
事実、私が導かれたのもそうした彼らによってであったのでした。私自身が悦びをもらい、助けられたことの恩返しとともに、叶おうと叶わなくとも、自分も少しでもこれに寄与できたら…、と祈ることくらいは赦していただけはしないだろうか…。
 
あたかも本当に天帝が実在するかと錯覚してしまうような澄み切った秋の空に向けてそう静かに願いを捧げた今日は、決して華々しくはないけれど穏やかで、私にとって忘れがたき一日となりました。




『見世物と土方巽』見世物学会記念シンポジウム




11月15日の土曜日に、三田キャンパスの北館ホールにて見世物学会のシンポジウムが開催された。
そもそも「見世物学会」なるものが存在すること、その総会とシンポジウムがうちのような大学で開催されるという事実は単純に面白い現象であると思う。
内容は見世物小屋の写真展示と、学会の総会、記念シンポジウム。慶應の土方巽アーカイブとのコラボレーションによって、「見世物と土方巽」をテーマとした企画である。



戦後、都市化が進行し、街から次々と陰や闇が消え、隅々までが日に晒されてゆくにつれて、方々からの「人倫」という観点からの非難が相次ぎ、見世物小屋は次々と出店停止に追いやられることとなった。
今では見世物小屋を実施可能な機会は、都内においては花園神社と靖国神社の、わずかふたつの祭りにおいてのみ。

現代ではタブーとされた、見世物小屋やサーカスの「倫理的な」是非は一旦、保留にしておこう。
問題は、出店停止へと追いやられてゆく理由や経緯について。
たったひとりの誰かの声により、警察や上の介入が入る。他の多くの人々が、もしかするとその人以外のすべての人々が、その上演を楽しみに心待ちにしている状況であっても、その声を上げたひとりの意見が通ってしまう。
周りは誰一人、そのことに不満の声をあげることはしない。厄介ごとに巻き込まれるのは嫌だから。面倒に首を突っ込むくらいだったら別に、見られなくても仕方ない。

シンポジウムの第二部で聞いたことであるが、これは見世物だけではなく、劇団でしばしば実施される「野外上演」についても同様のことが当てはまるという。
うるさくて迷惑だから。子どもに悪影響を与えるから。見ていて気持ちが悪いから。

苦情の内容は単純に、これらの自分の「不快」感をもとにしたもの。
野外上演を行うことのある劇団は今では、上演場所を確保することが非常に困難であるらしい。

このような状況もなんだかなぁ、と良い気分がしないことであるけれども、これに加えてまったく呆れてしまうようなことが。靖国神社の御霊祭りにおいては、若者のあまりの酒癖と振る舞いの悪さに見世物小屋のみならず露店が全店出店停止になったという。
個々人が酒にまみれ野放図に荒れ回る状況は論外である。しかし周りのひとびとも、遠巻きに眺めるだけ。
他への干渉を拒否すること。自分さえよければ周りの人はどうでも良いと開き直ること。自分のテリトリーは死守するけれども、それ以外であれば構わない。

このことは先ほど同様、見世物やら野外劇場が街から次々と淘汰されてゆく状況を反映しているような気がする。

見世物小屋を存続させるのが良いことなのか悪いことなのかはわからない。芸術や風俗文化に、弾圧はつきものである。そして社会の環境も人々の価値観も、常に同じであり続けることはない。それに合わせて、何か新しい方法での上演を模索してゆく必要も考えてゆく必要も少なからず生じるだろう。

しかし、見世物の危機とも言える状況下で、生まれたときから見世物小屋の子供として生まれ育ち、自分の一部のような存在として育ってこられたおじいさまやおばあさまが感情を堪え切れず涙していた姿が、脳裏に焼き付いている。ああこうして、社会も世の中も目まぐるしく変わってゆくらしい。
そんなふうにしてぼんやりと心に浮かんだ感情は、「他人事」の態度を取っている人々のそれと何ら変わりがないことに気が付いた。


社会とはいつも縁遠いところばかりをほわほわと漂っているので、こういうことを文章におこすことはなかなか慣れないし得意ではないし結局何が言いたかったのかは自分でも良く分からないけれどとりあえず感想を述べてみた。まだこれから見られなくなると決まったわけではもちろんないけれども、今年の夏、このようにちょうど何か一区切りがつきそうなタイミングで、靖国神社にてゴキブリコンビナートさんの見世物を見て、アマゾネスぴょんこさんの火吹きを見ることができたのは幸運だったかもしれない。私は個人的にはもちろん、見世物小屋は細々とでも構わないから、存続してほしいと願っている。花園神社には行けなかったけれど、川越や浦和のほうにも機会があれば足をのばしてみれたら、と思う。

記念シンポジウムの慶應のアーツセンターギャラリーの暗黒舞踏の土方巽とのコラボレーション、という今回の企画の趣旨はあまりにもナイスでした。この大学にいてよかった、と思える瞬間のひとつを久々にじっくりと堪能とした、誕生日の嬉しい贈り物でした。


2014/11/10

『チューリヒ美術館』展 @国立新美術館

国立新美術館で開催された『チューリヒ美術館』展。

開催が告知されてから、HPやポスターのイメージが斬新で目立っていた。太字のポップなフォントで画家の名前が連ねられているのは少し分かりやすすぎはしないかと思ったが、不思議とどこか惹きつけられるデザイン。

平日木曜の朝、授業の休講を利用して開館と同時に訪れたが、その時点で既にかなり多くの人。前の週に行ったウフィツィ美術館ではご高齢の方々が中心だったのに対してこちらの年齢層は幅広かった。

印象主義から象徴主義、シュルレアリスムに至るまで画家や様式別に空間が区切られ、およそ時系列順に並べられている。このように比較的コンパクトな会場で現物の作品の特徴を見比べることができる機会はなかなかない。学芸員の方が教科書的な効果を意図していたのかどうかはわからないが、非常に分かりやすく美術史初心者にとってはとても勉強になる有難い展示だった。


私が真面目に美術館を訪れるようになったのはここ最近のことであり、初めて直接目にした画家の作品も数多くある。

シャガールにさえ、私がそれと認識して対面したのはもしかすると初めてかもしれない。人気投票で上位にランクインするだけあり、そしてポスターでひときわ大きく名前が書かれるだけあり、展示の空間にオーラが漂っている……ように思えたのは気のせいだろうか?
特に彼の《婚礼の光》―、愛する妻を亡くした苦難を乗り越え描いたと言われるこの作品においては、彼の激情の移り変わりが直に伝わってくる。
分かりやすいけれど深みがあって一筋縄ではいかないようにも見えるこの作品は、おそらく今回の全展示作品の中においてもかなり人気が高い一作に入るのだろう。

そしてやはり私にとっては心落ち着くムンク。《冬の夜》は一目見るだけで凍てつくような鬱々とした気分になるような作品で、そのためか長く立ち止まり見つめる人は少ないようだった。そもそも日本人においてはムンクはどの程度人気があるのだろう。(日本海側の雪降り積もる冬の断崖絶壁の様相も、彼の雪まみれの寒々しい森の絵にはなかなか負けてないものがあると思うのだが。)
何にせよただでさえ冷え込み厳しくなるこれからの時季においてこそ、彼の作品は究極的な孤独と絶望とに思う存分浸らせてくれる貴重な存在となり得る気がする…。見ることができて良かった。


購入したポストカードはムンク、マックス・エルンストと、シャガールとをぜんぶで4枚、
気が付いたら手に取っていたのはすべて寒色系だったのはどういうわけか。

さて、良い経験でした。
引き続き西洋美術史の基礎知識習得に精進しなくてはなりませぬ。




2014/11/04

『自家中毒OVERDUB』

渋谷のポスターハリスギャラリーにて、市場大介さんの個展『自家中毒OVERDUB』。



初めて作品にお目にかかりました。増殖する眼球、崩れて中身(?)の露わになった顔面。なかなかに直視し難いであろう作品の数々です。(でも、熟視しちゃった。)

「目さえ潰れてなければ美人なのにね、というのは逆で、みんなどこか潰れているのに、それに気が付かないのかね?」

思わず確かめるように、目のあたりを触ってしまう。
暴力によって外から切り開かれるまでもなく、
増殖して渦巻いて堪え切れずに行き場を失くしたなにものかが、自分からも溢れ出ているのではないかしらという不安に駆られて。
むろん、すべてを曝け出した彼女たちは醜いどころか、女神のごとく聖なるもののようにもみえるものでした。「美人」。


ポスターハリスギャラリーさんは渋谷のなかでも本当に大好きな空間です。アングラポスター展のときに初めて訪れて、これまでこんなに家から近い場所にあるのに知らなかったのはなんてもったいなかったのだろうと感じています。これからもたくさんの素敵な出会いがありますように。



こんど、こんなのもあるって。


2014/10/21

でろり、についてのめもがき

でろり、とは言い得て妙なことばであると思う。ひらがな(あるいは片仮名でもまた違った趣があるけれど)が喚起する独特な効果と、それを口にするときの舌の動かし方……
発音する側にも躊躇いが生じ、発せられたその音を耳に入れた側にも、厭らしさを禁じ得ない。こんなにも、それの意味する対象を適確に表現した言葉はないのではなかろうかという気さえする。


でろりという言葉自体は岸田劉生が甲斐庄楠音という画家の作品をたとえて使った表現らしく、

「濃厚で奇怪、卑近にして一見下品、猥雑で脂ぎっていて、血なまぐさくもグロテスク、苦いような甘いような、気味悪いほど生きものの感じを持ったもの」(芸術新潮より)

といったもののことを示す。

洗練、優美、上品、幽玄、などのいわゆる「日本的な美」といわれているものに思い切り真っ向から反撥して、下卑で、ギトギトで、グロテスクで無骨、淫靡、無学的…なもろもろを愛好する精神が実は日本美術の根底には脈々と受け継がれてあったのだということで、その美を見出し諸々を崇め讃えましょうとするのがデロリズム。
2000年の芸術新潮にて、とある美術史専門の先生の監修によって、「デロリ」特集が組まれた。縁あって(嘘です、無理矢理作りました)この先生の講義をお聞きすることが叶った。
ので、思ったことをメモ程度に。


でろりを取り上げた理由としてはおそらく、明治維新後に日本に輸入されたヨーロッパ伝統の(古代ギリシアの)美の価値観に影響を受ける前の日本人の感性が、我々の普段慣れ親しんでいるいわゆる「日本の伝統美」のイメージからあまりにも掛け離れていて、いってしまえば「ほらすごいだろうこんな世界もあるのだぞ」ということを示すため、というのがあると思う。大教室で行う講義なのか(こういうものは独占するからこそ良いのじゃない、というegoismに起因する問題提起)どうかについてはさておき、見直すべき意義があるだろうという、それ自体には同意する。

下品でエグいものをひっそりと楽しみ味わうような感性は古今東西どこにでも、どこかの表に出ない社会の裏側においてはあったことではあると思うが、このデロリについては日本人独特と言ってしまえるのだろうか。
東洋美術も西洋美術も全く疎いので下手なことは言えないが、西欧的というよりはどちらかといえば中国に近いものがあるような気がする。
けれど大陸ともまた少し風味が違っていて、少なくともあの派手派手しさにはないものがあるのではないか。唐の煌びやかさを輸入して模倣しようとしたはずの美しき平安京、その羅生門がまた、下人と老婆の醜く見すぼらしい掛け合いの現場というイメージをも私たちに呼び起こすように。(たぶん違う。)

というのは全く的を射ないたとえとしても、中国の紫禁城と西太后で想像するような、スケールの大きいギラギラしたイメージとは異なる何かというのは必ずあるだろう…。
もっとずっと土着的で、密教的なというか、のっぺり、べったりして内に篭った感じというか、あるいは岩井志麻子の小説にみられるような農耕民族的なじめじめとした陰惨な雰囲気というか。


仏像たちの剥脱前の復元予想図を見てみると、確かにどきつくてケバケバしい。あんなに心の安らぎを与えてくれるはずの落ち着いた仏像たち、仮に現在もこの姿だったなら、仏像好きを自称しているお姉さまおばさまがたが、これらにあうために長蛇の列を作ってまで会いに行っただろうか?仏像たちはいまのようにみんなから愛されただろうか?という疑問(反語?)が先生によって提示されていたのだが、なるほどこの問題はまた非常に興味深いものだと感じた。物体も人のものの考え方も、幾年を経て移り変わってゆくものなのだ。


しかしまあ、これらの絵たちをたとえばお部屋の壁に飾って毎朝おはようとかいって愛でられるほど私も肝が座っているわけではなく、個人的な趣味としてはまあ若干の慎ましさと、下卑に堕しすぎることを拒む精神の気高さというのも要求したいところではある(最後に先生がおっしゃっていたように、ガングロがデロリ…であるとするならば、やはり私はこれを手放しに礼讃するというわけにはいかなくなると思う)。

そういう意味ではやはり、幽玄とデロリズムを兼ね備え、見事に調和させており、やはり赤江瀑が日本の美の極致、完成系であると思うのだが。(唐突。でも私の中で赤江美学は確固たる不動の究極の地位を占めてしまったので異論は認めたくても認められない…。)


いずれにせよ問題なのはこういう悪趣味なものを美とする感性が存在するという事実を知らない人がいるのは、勿体無いことなのかもしれないということだろう。
芸術新潮が出てからは14年も経ったのだから、もう一度くらいどこかが特集なり組んでもよいのかもしれないとも思うが。


それにしてもこの講義、かなり大きな教室で行われているわけなのだが、これを聞いてデロリズムに開眼する方が毎年どの程度いるのかはとてもきになるところではある。

今自分でこれを書いている間にも次から次へと考えてみたいことが浮かんできてしまった。でもいまはそこまで時間がないので、またいつの日かに回そう。

2014/10/12

『美少女の美術史』展 について

青森での開催を知った瞬間から、訪れないわけにはいかない、と思っていた。今年の夏から来年の冬にかけて青森、静岡、島根の三県を巡回するというので、夏休み中に青森まで飛んでゆきたいところを我慢をして、結局、静岡に回ってきたタイミングで訪問。

よりによって三連休の中日に、高速バスを利用するという愚の骨頂ともいうべき手段をとる。東名高速、ぜんぜん動かない。(おかげで往復で合わせて3時間以上はロス…。)


静岡駅に到着し、すぐにJRに乗りかえて数駅目の草薙駅へ。そこから美術館行の直行バスに乗る予定だったのになぜか行先を間違えて乗る。幸いなことにすぐに気付くことができ、そのため一駅目で下車して歩いて向かう。方向音痴のために行き過ぎて戻ったりとかしつつ結局歩いた時間は合わせて20分くらいか。最寄り駅からは充分に徒歩圏内であり、このくらいの陽気であればむしろ歩いた方が楽しいかもしれない。

並木道の坂を上ると、やがて県立美術館と図書館のある敷地内に入る。緑豊かで、美術館の敷地らしくところどころに彫刻やオブジェが置かれ、あちこちにデッサンをするひとたちがいたり、子供連れの家族が散歩を楽しんだり。

もしバスで来ていたらこれらの場所を素通りすることになっていただろうから、バスを乗り違えたのもある意味では怪我の功名とも言っても良いのかもしれない…。



静岡県立美術館は非常に良い所だった。街中にあるこぢんまりとした美術館なのかと思っていたら、敷地が大変に広く緑が豊かだ。そして、高台にある。都心の美術館ではまず味わうことの出来ないであろう開放的な雰囲気。訪れたその日は曇りだったためにほとんど見ることはできなかったのだが、もし晴れていれば少し外れたところから大変に美しい光景が眺められることだろう。

途中、大きな看板の前で2人の若い男性に記念写真の撮影を求められる。(彼ら二人が何を目的として見に来たのかは気になるところだったが、聞きそびれた…。)
美術館の建物に到着。朝に渋谷を出発して13時ころまで昼を取るタイミングが無くおなかがすいていたので、美術館の中にあるカフェに入った。ここもまた、大変に雰囲気と居心地がよい。

コーヒーとサンドウィッチをいただいて、いよいよ企画展である「美少女の美術史」展へ。例の巨大四つん這い美少女ふうせん(?)は展示会場の外、美術館の中央のホールにでかでかと鎮座して、来場者たちを出迎える。

階段を上がりチケットを購入…する必要はなく(大学生以下は無料なのだ!)、そのまま展示会場へ。



ここからが一応、本題ではあるはずなのだが…、展示に関しては正直に言って、見終わって1週間近くが経った現在においてもなお、語るべき言葉が見つからない。展示されていた作品については、あのわりといっちゃった絵とフォントが話題になった表紙の、『美少女の美術史』の図録を参照のこと。展示については各展覧会場によりだいぶ違いがあるようなので、それぞれの美術館における展覧方法の違いというのも本来であれば確認しておきたかったところだ。

スケジュールをかなりタイトに設定していたこともありものすごく急ぎ足で見ることになってしまったのだけれども、いろいろと思ったり感じたりしたところをメモ程度にここに記しておく。



私が「『少女らしさ』について ~少女の誕生、形成、役割~」という題で"なんちゃって"課題論文を書いたのが高1のときだから今から約5年ほど前のことだろうか。少女に対して抱いていたもやもやのようなもの。まさかここで、まざまざと見せつけられているとは思わなかった。企画展示に際し参考にしたのは間違いないであろう(図録にも引用されていたりした)渡部周子さんや今田絵里香さんの書籍をたどたどしく継ぎ接ぎ(違法はしてないよ)させていただき、少女が社会においてどのように形成されてきたのかということについて考えた。ここでいう少女とは明治期に社会的な概念として形成された、かなり特殊な「少女」…とりわけ女学校と女学生に着目したものである。

その課題論文の結論部分を、下に引用してみた。ちょっと気を入れて取り組む調べ学習の程度のものだったから、内容的にも体裁的にもあまりに稚拙で論文などと呼べるような代物では到底ない。(「結論」はもはやそれまでのギロンをガン無視した自分の理想でしかない。)

また当時の私も言っているように、「少女」であった私自身の感情が強く前面に、押し出されてしまっている(それは今も一緒だが)。しかし、とにもかくにもこの「『少女』らしさ」という言葉に関心と若干の違和感とを抱いて、そして書いた、ということを示すために触れてみた。

この作業が思いのほかに面白かったことがあって、以来、私は憑かれたように少女という言葉を追求しはじめることとなる。

このレポートを書いた16歳の当時から今現在の20歳11ヶ月である私に至るまで、根本的な関心と疑問とは常に通底し、変わっていない。それを成長できていないと失笑するのか、執着心と探究心が旺盛であると超ポジティヴに捉えて良いものなのかは分からないが、ばばあになっても「少女少女」とか言っている自分を想像するとかなり寒気がすると思うのでさすがにそろそろ引退しなくてはならないかもしれない。(少女期において自分の属する「少女」というアイデンティティに異様な関心があったのも相当不健全なナルシシズムに汚染されてはいるが。)しかしどう頑張っても、なかなか頭の中から消えてくれることが無いような気もする。結局のところ、

「少女とは何か?」

この一言に尽きるのだ。そもそもの原点へと私が導かれたのも「聖少女」によってであった。私にとっての根本的な疑問としてずっと存在し続けるであろうことは間違いないと思う。


大学に入ってから、こんな漠然としてしょうもない疑問を言葉によって解き明かしてゆく方法のひとつ…いわゆる「学問的」な手法というものの存在を知った。

社会学をはじめフェミニズムから精神分析、イメージ論やら身体論やら。一歩間違えれば(間違えなくても?)こじ付け以外の何物でもなくなってしまうような性質のものたちではあるのかもしれないが、疑問と一対一の真剣勝負として向かい合うという作業、そしてその苦闘の末にひとつのかたちとして何らかの言語化が叶ったその瞬間は何よりも楽しく至上な喜びを与えてくれる。しかし、何かが「分かった」かと思えば、また新たな疑問が次々と立ち現われる。その連鎖だった。
あるいは、もともとは特定の文脈における「少女」を主としていた興味関心の対象が、これまで目に入っていなかった新たな方面へと開かれてゆくこともある。たとえば、セクシュアリティの問題には目を逸らすことなく向き合えるようにもなった。少女性などというものを分析する上では切っても切り離せない、いやむしろ逆にそれでしかないといえるような観点。


どちらかといえば、最近においてはむしろそうした性的な側面にやや気を取られつつあり、セクシュアリティを除外した純粋な少女性(というものなど存在しないと思うので、一応それらしきものとして考えたい)そのものを忘れかけていた、そんなときに、この展覧会の企画を知ったのである。そしてはじめて何かのニュースサイトでこの知らせを見たときには正直なところ、眉をひそめてしまった。


「少女」ではなく「“美”少女」、ときた。


「美少女」と言う概念に対しては、私はひどくマイナスな印象を持ち、かつて覚えた不快感が今でも続いているためか、その言葉にずっと距離を置き嫌悪し続けてきた。(Googleでの「美少女」の検索結果一覧なんて本当に、反吐が出そう!)美少女を集めるだなんて、気味の悪い思いが渦巻いた息苦しい空間であるに違いないだろう。立派な美術館で行われる展覧会で、そんな破廉恥なものを開催するなんて有り得るのだろうか。


しかし展覧会のポスターを見たときに、私の考えは大きく変容する。


「美少女なんて、いるわけないじゃない。」
眼鏡の女学生の投げる反抗的な科白が真っ先に目に飛び込んでくる。
そして、よく見なければ読めないようにタイトルの下に小さく書かれた一言、
「憧れと幻想に彩られた私たちの偶像」。



当たり前のことであるが、今回の展覧会を企画された方々は、「美少女」という言葉がいかに曲者であるのかということを痛いほどに熟知していた。分かっりきっていて、そのうえであえて「少女」ではなく、「美少女」という言葉に真っ向から挑戦したのである。

そんな「美少女」想いのかたたちによって演出された幸運な「美少女」たちは、日常的に目にする「美少女」と名付けられたモノたちに見られる、アイドルの媚びから発せられる不快感も、AV女優の自慰補助装置のごとき非人間性も、胸と目が誇張されたアニメキャラクターの如き乾ききった精彩の無さも、一切示してはいなかった。いや中には美少女フィギュアも含まれていた。しかしどういうわけだか、彼女たちはあのレイプを受けた後のような瞳孔の開き切ったかのような眼とはあまりに程遠いものだったのである。展示会場に足を踏み入れたその瞬間から、何百人と存在するであろうあの美少女たちに親しみの感情を覚える。

「美少女」も厭うべき存在ではないということを、今回の展示を通じて知るに至ったのであった。


これはいったい、なぜだろうか。「美少女」の“美”は、異性の視点によって付け加えられたものにすぎない。自分で認知できるレベルの感情の問題として、たとえば一般的には女性が男性に美という言葉を付けるときに比べて(彼女たちが自分の欲求を表現するときには「抱かれたい」という表現を取る)、男性が抱く女性における「美」に対する思いには、その相手を欲望を直接的に向ける対象としてみることが多いというのは、一般的にそれほど反対されることでもないと思う。この言葉に対してあまり心地好い印象を覚えない女性が多いのもやむを得ないことだと思う。(こう考えると、犯す男性と犯される男性というBLに萌える女性が多いことは新たな問題として面白く感じられるが、だいぶ話が違うのでやめておく。)


しかし、美少女という言葉も、(私のように過敏に反応してしまう一部の人を除けば特に)女性にとっては快の感情を与える存在となる場合もある。

少女文化が規範と囲いの中で男性によって骨格を作られてきたものだという事実を知りながらも、なおも吉屋信子の世界に耽溺し、中原淳一の描く女の子に憧れをもって眺める少女は数多くいる。そのことを滑稽だと嗤い、可哀想にと気の毒がる人間は少なくともいないのではないか(嶽本野ばらさんなどの存在の特殊性などについてはまた別の機会にでも考えてみなくてはならないが)。何よりも彼女たち自身が、その世界に遊ぶことを喜びとしていることが多い。

それと同じようにして、尽きることの無い暴力的な視線により欲望の客体となり、犯され続ける対象であるはずの「美少女」と言う概念に対しては、女である人々もいつしか惹き付けられてしまうことがしばしばである。でなければ、こんな展覧会が成立するはずもないし、そこに女性たちが大勢訪れるなどということは有り得なかったであろう。


とはいえ、「美少女」をこれほどまでにひとつ創り上げた今回の展覧会の意義は、「美少女」という言葉にとって大変に大きな意義があったことだと感じている。

これまでの人生において美術には縁がなくまた哀しいほどに疎かった私は、展覧会というものが開かれることによって何が起きるのか、また展覧会によって何かしらのものが生まれ出てくるものであるというそのこと自体を、これまで実感をもって知ることがなかった。正統なプロセスを得て、ということではなかったのかもしれないけれど、この事実に気付くことができたことも本当によかったことだと感じている。

この企画を実行した方々に、心からの感謝の念と敬意とを表したい。



さて、それでも未だに我々(男性も女性もともに)は、「騙されて」いるのか。それこそ答えなど分からないものだけれど(そもそも、誰によって?)、決してそうではないのであると信じたい。男性によって作られた装置の中に存在する数多くの「文化」の中には、慰安婦という忌まわしき制度やFGMという悪習など、廃絶しなくてはならないものもあり、現在においては「なかったこと」とされ、触れられることさえもしばしば憚られる。これに対して「美少女」文化に関してはこれらとは明らかに異なる性質の様相を呈している。

やはり、それを女性自身の力が生み出したものである、という希望を抱く以外に説明可能な方法はないのではなかろうか…。


こんな思考へ短絡的に結び付けることが、男性への虚しい対抗心だとか、自己正当化だとか言われるかもしれないし、男性コンプレックスの塊を原動力に動いているように見せてしまう…、ということは覚悟の上で、それでもこう言い切ってしまって構わないのではないだろうかと感じる。何も問題の解決にさえもなっていないことも承知だ。この考え方はまた、4年前の私からなにひとつ進歩はしていない。めぐりめぐって(というほどめぐっているわけでもなかった)ここまで舞い戻ってきてしまった。今の段階だと批判的な視点が一切含まれていないし、また違った思考の方法というのもいくらでも提示できるはずであるから、もう少し頭を冷やしてから挑戦してみたいと思う。

しかし改めて、「少女」という言葉の怪物性である。


捕まえようとすれば蜥蜴のように逃げ隠れ、ある種怪物的ともいえるような途方の無さを拡げてゆく。
“美”少女という言葉のためにますます、掴みどころのない存在となってしまうのではないだろうか。

そんな存在を、自分の手に入れたいと、強く強く欲してしまう。
その行いが、百人中百人の人がどう逆立ちしてひいき目に見ても、何か「意味」のあることだとは認めてくれないものであったとしても。


それからもうひとつ大事なこと。この展示会に関連して、11月3日の文化の日に、原宿のcoromozaにおいて、

“美少女 × ファッション 「美少女の美術史」展から考える”

というイベントが行われるとのこと。


そもそも今回の「美少女の美術史」展を企画されたのが、トリメガ研究所というグループを結成されている(「身体とロボット」展というのも数年前に開かれたらしく、これもああぜひとも見たかった…。)3名の学芸員の方であるようなのですが、そのみなさまと、あとお慕い申し上げている先生を含めた3名の専門家の方々とのトークショーがあるらしいので、これは仮に当日原因不明の高熱が出ても這ってでも参ります。以下に登壇者の方々をメモ…。


・川西由里 島根県立石見美術館主任学芸員
・工藤健志 青森県立美術館学芸主幹
・村上敬 静岡県立美術館上席学芸員

・小澤京子 表象文化論 (建築史、身体論、ファッション論)
・菊田琢也 文化社会学 (ファッション研究) 
・柴田英里 現代美術作家、文筆家

ああ、なんて楽しみ…!


そして、Bunkamuraギャラリーで開催されていた「新世紀少女宣言」展…


これは…もう、思い切り見損ねました。本当に失敗。何かを犠牲にしてでも、見に行けばよかった…。










―――――――――――


3.結論

「少女」が社会において特殊な存在であった時期というのはだいたい、明治時代から始まり、昭和時代、第二次世界大戦が終わるまでの時期であるとされる。それ以降、社会の仕組みの変化などにより、「少女」の規範は以前ほどの意味を成さなくなった。そして現在わたしたちが暮らしているような状況がある。

わたしたちの生活している今現在では、明治時代の「少女」と同じ年代である女の子たちに、果たしてこの三つの規範は機能しているだろうか。それを即断することはできないにしても、社会の仕組みの変化などにより明治時代に「少女」が誕生した時よりもずっと弱まっているということは確実であると思う。

しかし、弱まったとはいっても、長い期間人々の“普通”であった性別役割の仕組みが、今でも根強く残っていることには違いない。というのも、日々使用される「女の子らしい」という言葉に含まれている意味は、これらの規範を少なからず反映していると見ることが出来るからだ。

 先に挙げた例では、例えば「優しい」というのは、愛情規範に少女の優しさという要素が含まれているし、「おとなしい」とは活発で奔放なのを戒めるつもりで言うならば純潔規範に、上品に見せるためという意味で捉えると美的規範に当てはめて、考えられる。

先程のように「少女」という存在は男性によって作られたものであるから、それが現代にも残っているというのは、“男女平等”が望まれるような社会の中では、好ましいことではない。それゆえに、「女の子らしい」ということを否定的に捉える人は増えている。

ここではそれについてあれこれ述べることは、本論の内容から外れてしまうので、やめておこう。ただ、この課題研究を通してひとつ、わたしが感じてきたことがある。

吉屋信子の『花物語』を読んでいるとき、そしてその時代のことを思い描きながら空想に耽っている時…わたしは幸せだ。この上も無く。常日頃、男の子になれたら、と夢見ているわたしだけれど、このときに関しては、少女であることの喜びを、ひしひしと感じるのである。男性が中心の社会によって形成された、言ってしまえば縛られ囲われていたとも言えるような状況の少女たちに憧れさえ抱き、美しいと感じるとは、なんと皮肉なことだろうか―それに気付いてわたしは思わず苦笑してしまうのだが。・・・いや待てよ、それについて少しだけ、考えていただきたいのだ。裏を返せば、すなわちそういうことなのである。つまり、当時の少女たちは果たして「少女」であることを嫌悪して、或いはそれを拒絶していただろうか―?

少女たちも、自分たちが自分の将来を決められて、歩かされているのだと知っていれば抵抗したのかもしれない。何も知らなかった、そうすることが“普通”だった状況ではどうしようもない。だから、閉じ込められていた少女たちは、可哀相だ。そう考える人もいるかもしれない。

もちろん、その意見はもっともである。男性中心の、男性によって敷かれたレールの上を歩んで生きることを耐え難い屈辱だと感じる女性は少なくないはずだ。仮に、それが露呈した今では、わたしたちをその囲いの中へ再び閉じ込めることは不可能だろう。

しかし、「少女」たちは必ずしも不幸であったと考えることは出来ない。むしろ、その逆の場合のほうが多かったのではないだろうか。

そう考える理由が、少女雑誌や少女小説などに見ることのできる、少女文化に現れる。「少女」たちは、囲われた世界に屈することもなく、独自の文化を創り出していった。あれこれ検討してみたがこればかりは、ゼロから他者によって作られたということは考えにくいのだ。「少女」たちは与えられた環境に柔軟に対応し、自分たちの愉しみを自分たちで見つけた。与えられた規範も(少女たちにその自覚は無かったけれど)、少女たちの世界の中で、上手に完結させていた。それゆえにこの規範というものは、必ずしも無いのが良いというわけではなかった。そもそも「少女」たちはたとえ囲われていなかったとしても、その状態が囲われている時より愉しいものだろう、と安易に決め付けることは出来ない。規範があったからこそ誕生した文化…これは実際に「少女」たちを夢中にさせていたのだから。

本論では詳しく取り扱うことは無かったものの、少女文化というものの特殊さ、特異さは、他に類を見ないのではないか、とも思われるのである。もし「少女」に興味がお有りならば、少女文化に触れることによって初めて、「少女」というものの本質を理解するための、やっと出発点に立つことになるでしょうということを、頭に入れておいてみていただきたい。

社会的仕組みという理屈が通用しなくなった今、男女は、どちらがどちらにも偏らず、ともに平等に扱われなければならないのだろうと思う。だから、現在でも上の三つの規範のように、女性は愛情豊かで、純潔で、美しいのが至上だとすることを肯定的にとらえるのは差別だと捉えられるし、良くないことなのだろう。また、男性の中には、昔のような「少女」が現代には存在しなくなってしまったと嘆く人もいるようであるが、現代の女の子たちにかつての規範を掲げて「女の子らしく」することを強いることの必要性は、無い。

けれども、男女差別の撤廃に夢中になるあまり、そうした「女の子らしい」というものが「少女」から来ているとするならば、それをやみくもに根絶しようとすぐに考えるのは早すぎはしないだろうか、とわたしは思う。かつて、「少女」たちが築き上げてきたものがあるということをどうか、忘れないで欲しい。何も覆うものなど無く自分の意志で自由に生きていると信じている私たちだって、何に囲われて、動かされているのかなどということは、全く分からないのだから―。

さて、ここまで小論文という形で、「少女」についてわたしが調べてきた事柄やわたしの意見を書いてきたわけであるが、正直、まだまだ伝えたいことがたくさんあると感じてしまう。日本の明治時代におけるこの限定された「少女」だけでなく、少女という存在は、古今東西問わず実に不思議だ。

しかし、それはさておいて、最後にひとつだけ、忘れてはならないと思うことを書こう。

それは、わたしが今現在“2010年の1月”に存在している、16歳のひとりの少女であるということだ。この論文を書く際、わたしはなるべく外の立場から、感情から自分を解き放って書こうと努めてきたのだが、それでも今これを書いているのは、所詮1人の人間のある一時点での思考に過ぎない。そして今現在は永遠ともいえるような人間の長い時間のうちの、たった一点、である。わたしもまた、この今という一点における、様々な囲いに覆われているのだ。

 わたしのこの見方は、50年後のわたしには、あるいは1世紀後の16歳の少女の心には、果たしてどのように感じられることだろうか。自惚れだ大げさだと嗤われてしまうかもしれないが、わたしにとっては、それはとてつもない疑問であるように思えてしまう。なんて恐ろしくて、興味深い。その答えには、今ここに存在する1人の人間である限り、どう思考を巡らせたところで、けっして辿り着くことはできないだろう。



2014/10/05

恋月姫人形展「アンドロギュノスの双宮」と、薔薇のお茶会。

9月の最終週の日曜日の夜、パラボリカビスでの恋月姫の展覧会に伴って開催されたお茶会に顔を出してみました。紅茶とお菓子(なんと和菓子!)とを味わいつつ、人形の写真たちに囲まれながら、恋月姫さんと今野さんの対談を聞くというぜいたくな時間…。


トークは、恋月姫さんが人形を作っているときに考えていることだとか、「アンドロギュノスの双宮」というテーマでの展示だったので、アンドロギュノスについての話がいくつか出ました。前日に、美少年に扮する美少女について考えていたというところだったから、(わたし的に)とってもタイムリーでわあああと興奮しながら聞いていた。


恋月姫の人形のお顔は少女としてつくられているにもかかわらず「少年的」だと捉えられてしまうが多い、という話を聞いて、これまで私は彼女たちを純粋に女の子としてしか見ていなかったので驚いた。けどなるほど言われてみれば、確かに男の子というほうが近い…? 顔の造形においては「女の子らしさ」は、ほとんど強調されてはいないようである。目は鋭くて、眉もきりっとしていて、凛々しい。仮に髪をばっさりと切り落として少しお着替えさせてみたならば、少年といわれても違和感は生じないかもしれない(…あ、美少年か)。中性的、というやつか。

アンドロギュノスをつくってみるという試みも今後もしかしたら挑戦してみるかもしれない…とのことで!期待!!



しかし、両性具有を人形で作るとしたら丸裸にして、「ほらどっちもあるでしょ!!」と(失礼。)下半身を露出しないとならないんだろうか…とするならちょっと味がないな…まさかそんなはずはな…。


にしても、今回もまた結局「性の境」という、ここに収束した。

 このテーマにぶちあたって近ごろ感じるのは、「性別」にまつわるいろいろと「普通」じゃない事象もろもろにも、様々なバリエーションがあって、それぞれ性質においてはかなり異なるものだということ。

融かしぼかされた境界線のうえに浮遊するもの。
境界のあちらとこちらにまたがって存在するもの。
双方の側を自由に行き来するもの。
境界へとにじり寄りながらもぎりぎりのところで決して踏み越えないもの。
etc…


性の境界に対して、人それぞれ対応に大きくちがいがある…。
心理と、実際に示す態度と、といった様々な要素を考慮して、幾通りに分類ができるだろう?そのうち時間があるときにでも挑戦してみようかな…。

 あと、少し気になったこと。展覧会のタイトルである「アンドロギュノスの双宮」における「双」という一文字は、もしかしてかなり大きな意味を有するキーワードのひとつなのかもしれないと感じた。

性別という軸に対称に位置するふたつの存在をひとつの肉体という器に抱え持つというアンドロギュノスの性質はまさに「双」という字にあらわされている。それから、恋月姫の作品によくシャム双生児も。接合部分を軸として、左右対称に存在する肉体…。なぜ私たちが両性具有者や、シャム双生児というモティーフに、恐れをなしながらも惹かれ、うしろめたさを覚えつつも接近してしまうのか。

"Freaks"―畸形、というものに対するタブーをめぐる我々の心理は前提として考慮に入れねばならないこととして、
とある軸と、その軸をめぐる両側というひとつの平面上に考えることのできるテーマとしても、検討してみてもよいのかもしれない。 


(展覧会の感想だよ~~と行きたいところだけども、ぱらぼりかに到着した時間があんまりぎりぎりすぎて、けっきょっく人形にあうことができないという大失態を犯したのは秘密です。)

2014/09/30

私はかなり楽天家なほうではあるのだが、たまに、こんなのはどこからどうみても理不尽だろう、ということに直面して気が滅入りそうになるときもある。その怒りというか、苛立ちというか、のやり場をどうするべきか、についてはすべて趣味の世界に逃避することでどうにかするという癖が、気が付いたら身についていた。それをはっきり意識できるようになったのは、高校を卒業するころだっただろうか。

近ごろこんなふうに雑記を書き溜めるようになってからは、すべてこうした文章の中に還元される。こんなふうに直接嫌なことを嫌だと書くことも、たまになくはないけど、大抵の場合においては全く別の内容であったり、かたちとしてだ。そして発散し続けて数日するともうべつにどうでもよくなってしまう。私は憂鬱な気分が顔や態度に如実に表れてしまうらしいけれども、必要以上に思い詰めるといったこともそれほどない。おめでたい脳だとは思う。

 負の感情を発散する方法は人によって異なるのだろうが、私の場合はキーボードをひたすらにタイプすることが手っ取り早い憂さ晴らしになるらしい…ということに気付いた。から、嫌なことがあった時にはPCに向かうことが多い。(根暗だ…。)

 仮にこれで発散が追い付かなくなって、うまく処理しきれないと大変なことになるのかもしれないな。そうならざるをえないような状況に、この先の人生において追い込まれることのないように、願うしかないのだけど。


頑張ろう、というやる気や向上心、嬉しさや感動といったプラスの気持ちから人が活動をするエネルギーを得ることがあるように、負の感情の場合にも、それがある大きなエネルギーとなることもある。そして、そのエネルギーが消費されるという際に、人によっては何かしらのものを産むという行為が伴うことがあるようだ。

 時として怒りや憎しみなどの烈しい負の感情からは、とてつもない何かが生まれてくることがあるような気がする。



それを実感した最近のことについて。夜想のドール特集をぺらぺらとめくっていて、人形作家の与偶さんのインタビュー記事を読んだときのことだった。与偶さんがそうした人形作家さんであるということは、以前にある本で読んで知っていた。だから彼女の話す内容には非常に興味があったのだ。

正直いって、かなりキていた。お下品であることを承知のうえでだがいわゆる「ヤバい」の言葉で表せるような。私のような凡庸な人間が彼女を表現するにはこの言葉がしっくりとくると、言ってしまっても構わないと思う。



記事はなかなか長いほうだ。彼女のひとことひとことを追って行く。紡がれた言葉は鋭利な刃物のように私の皮膚の上を切り付けてくるけれど、その痛みは不思議と自分と一体化するように自然に、体の中へと吸収されてゆく。彼女の言葉は過激だし、気の弱いひとが読んだら卒倒してしまうであろうようなとんでもないことを言っているのだが、しかし脈絡があり論理があるのだ。このように強い感情や思いを言葉で、意味の通る文章として編み出すことは通常は困難であるはず。だから私の頭の中にも自然と入ってきた。あくまでも言葉の上で、だけではあるのだろうけど。


初めて認識した。もとより純粋で完全な負のエネルギーから、なにものかをかたちとして生み出す人というのが実際に存在するのだ。

彼女の場合は、それが人形としてだった。自分なのか、恨むべき相手なのか、あるいは見知らぬ誰かなのか。


果てのない暗闇の森の中を歩み続けるかのように、苦しみ、苦しみ抜いて、彼女は人形を創り生み出す。腕の内側を縦にナイフで切り、人形の内部にはその血を塗りつける。その行為の理由を、「怨念を込めるために。」、と彼女は述べていた。


 人形に籠めるべき怨念の、その向かう先があるのか、だとすれば誰に向けられたものであるのだろう。そしてそれは、ひとりの人間としての彼女の中のどこから湧いて来るのか。あるいはこの世に漂うあらゆる負の感情を彼女が吸寄せて、泥沼のように溜め込んでしまうのだろうか。どちらにしても、一般的にひとりの人間が抱えるには大きくあまりにも重たすぎる負のエネルギーが彼女の肉体と精神に満ち満ちて、ゆらめいていることには違いない。それは人形というかたちをとって、ある程度は放出されるが、ときおり処理しきれなくなり、肉体も精神も蝕み始めることもある。

これらの自身の性質のことを自ら「天性のもの」、と述べていたが果たして本当にそうなのか。怨念を籠めた人形を創り続けることによって、彼女の、あるいは彼女と同様にして苦しんでいるひとたちの心が救われることがあるのか。


彼女たちの「救い」を願うことが正しいのか、私にはわからない。
怒りや憎しみから生まれるものが、喜びから生まれるものよりも劣ったものだなんて、誰が言えるだろう。

この世のすべての人間が楽しさと喜びに満ち溢れる世界なんて有り得ないし、それを望むのは愚かなことだ。
 しかし、その双方のバランスが取れないことは、ただひたすらに、苦しみというそれでしかない。

苦痛は哀しみとも怒りとも異なる。たったひとりの人間のなかで、肉体の苦痛も、精神の苦痛も、彼女は限界を超えて抱え込みすぎた。油断すれば全てが壊れてしまう。一度壊れたものは決してもとにはもどらない。そしてそれは、彼女というひとりの人間を想うときに、決して望ましいことではない。

救いがどこかにあるとするならば、それは彼女たちの人形なのだろう。
生み出された人形たちが苦悶の表情を浮かべながらも、どこか安らかな眠りについているようにも見えるのは、なぜだろう。

心のなかでひっそりと、祈り続けることにしようと思う。
彼らが、彼女の肉体も精神も、静かに癒してくれるように。
ひとりでも多くの人が、自らに多過ぎる苦しみを課し続ける必要がなくなるように。

2014/09/28

“美”少年愛と性の越境について



シャッツキステという、秋葉原にあるメイド喫茶(といってよいのかな?)を訪問してみました。


"Schatzkiste"ドイツ語で「宝箱」、という意味らしいです。お店の雰囲気に驚いた。


メイド喫茶というからかなり緊張してしまっていたけれど、入ってみると何とも落ち着いて、シックな店内でびっくり、こんな雰囲気のメイド喫茶があるなんて、未知の世界だった。メイドさんの衣装はくるぶしまでの長い丈の、まさに正統派メード服(そう、メイドでなくてメードというほうがしっくりくる)。メイドさんたちは丁寧で、お上品で、しかしみなさんパッと見た感じだけでも、一癖も二癖もありそうな方が…。いいえ、とっても良い意味です。こうでなくちゃ、何もおもしろくありませんもの。


なぜ突然メイド喫茶を訪問したかといえば、とあるイベントが開催されるといって、それを教えていただいたためです。その名も「少年の世界」!!

少年への思いについて、少年愛にあふれたメイドさんがひたすらに語り尽くすという趣旨のイベント。語り手は、燕尾のベストを纏って革のブーツを履いて絶妙な長さのベリーショート、まさにその理想の姿を自分で体現しているではないかといえるくらいの、美形のメイドさん。もう見た瞬間に、「可愛い!」て叫びそうになる。

パワーポイントを使ったプレゼンテーションで、お話もとっても上手で、聞きやすい。どんな感じで進行するんだろうと少し不安もあったが、さすが「語る」イベントだというだけあって、かなり深く考えているらしかったし準備も周到だった。


面白かったところ、興味深かったところについて思いつく限りメモ程度に記述しておく。


◆序盤にあった、「女性が少女でいられるという期間よりも、男性が少年でいられる期間の方が短い」という指摘。なぜならば男性においては第二次性徴として、子どもから大人への段階の変化が非常に明確であるからだ。この指摘、言われてみればあまりにも当たり前なことであるはずなのに、気付いてけっこうハッとした。まさにその通りではないか。(諸々の反論もあるだろうがとりあえずそういうものとして進める)
女性にだって確かに、生理をはじめとしてはっきりとした変化もなくはないが、それはあくまでも隠されていて、スカートの中を、いや下着の中を覗かない限りは周りの目には分からない。あるいはもしかすると、自分にさえ。月経は、気怠さや苛立ち、鉛を抱えるような下腹部への重みといった厭らしい手段をもって我々の意識に、それが来たことを訴えかけてくる。お前は女であるのだという現実を、月に一度という絶妙なタイミングで、決して忘れさせまいとするかのように。しかしそれが月経と結びつくものであると理屈では理解していても、基本的にはただ体の不調にうんうんと唸っているだけで、別に「大人の女性の証だわ」と誇れるようなもんじゃない。

そういうわけだから、少女から大人の女性への変化は男性のそれと比べて圧倒的に緩やかなのだ。だから大人の女性も、少女の"変装"(これも自然に逆らった時間の行き来、ということでジェンダーの越境と同じようにいろいろ変なものが生じるわけなのだけど)をすることは比較的容易である。いい年した大人の女性でさえも、至高の少女としてのアリスやロリータに憧れ、目指すことさえある、そしてそれは決して不可能なことではないのだ。



◆彼女が愛しているのは少年のうちでもとりわけ、「美少年」である。美少年の要素としてあげられていたものは、「美しさ、儚さ、謎」。の三要素。それらを兼ね備えた代表として千と千尋の神隠しのハクが挙げられていた。なるほどまさに。美しさはそれはそうとしても、たとえば話の中身から、その「儚さ」というのが、彼らの持つ外傷のようなものが原因であるらしかった。やっぱKWは外傷なのか…?? 戦闘美少女を参考に色々と思考のお遊びしてみても面白いかも。


◆彼女には「美少年になりたい」という願望がある。彼女のなかで定義される「美少年」という概念の、その究極の形を、自らの肉体において、まさに現在進行形で実現しようとしている。


しかし不思議なのは、初恋の相手が美少年であるハクであった、ということがある。美少年は、自分がなりたい存在であるより先に、自分にとっての初恋の相手であった。恋愛対象としてなのかあるいは憧れを恋愛とらえていたことなのか、は分からないけれど、とりあえずそういうものとして見ていたわけだ。そしてそれから、「彼女は美少年になりたい」、ということに強いこだわりと執着を覚えたのである。

絵本のお姫様になりたくてドレスをねだること、雑誌のモデルやテレビのアイドルに憧れてメイクやダイエットに明け暮れることとは、まあ底を通ずるところはあるのかもしれないにしても、わけが違う。そこでは性という残酷なまでに明瞭、具体的でかつ絶対的な境界線を乗り越えることが必要になる。

女は少年にも、少女にも、背伸びをすれば大人の男にも、なることができるのである。「だから女の子はとても便利」、ああ、まさしく。

◆「美少年になりたい」、その願望が、彼女においてはかなり理想的な形でほとんど実現できてしまっていること。これもまた特筆すべきことであるだろう。「○○になりたい」、大抵の場合においてそんな思いは挫折させられるものであるはず。しかし、彼女自身の努力と、もともとの彼女の資質や容姿がそれを可能にした。自分だけではなく周りもそうだと認めるほどに。

自分のことについて言うなら、私は思春期において、男性への憧れがおそらく平均以上には強かった人間である。それには多分な嫉妬や僻みが含まれていたことだろうが。

しかし、自分の身体を見て、「私にはなれないのだ」、というあからさまな現実を叩きつけられた段階において、その希望は急速に冷めて、消え去った。憧れは捨てることができないままにも、受け入れて諦めていかざるを得なかったのだ。「ボーイッシュな女の子」に憧れて髪を切ってみるとか、ズボンばっかり履いてみるとか、そうした方向には1ミリも向かわなかった。それでも本当の男性には叶うわけがないと、そう思っていたから。(…むしろそこで、反動的に女性性へのこだわり(しかし、それも少女だの娼婦だの、本来的な意味での女性性ではないのかもしれないけど)が歪な形で強くなってしまった人間で、まあまさに"拗らせ"の極地であるのだろう。)


だからある意味羨ましい。自分の理想とする像の、飽くなき追求。彼女のような方を応援したいと思う、心から。


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こんなかんじだろうか。私は少女が大好きで少女びいきだったので、少年には一定の興味は保ちつつも稲垣足穂とかの少年至上主義には少し顔をしかめたくなっちゃう時期があった。主にそれは男性コンプレックスからくるものであって、さすがに最近ではきにならなくなったけど。今回をいい機会にちゃんと向き合わなくては。
そして単なる少年少女だけではなく、今回のテーマのようにそれに「美」がつくとまたいろいろと複雑になる。


少女が美少女とは異なるように、少年も美少年ともその意味においてはだいぶ異なる。また、少年と少女は対称的な印象が持てるのに対して、「美少女」と「美少年」との語感の差は、呆れるほどだ。言うまでもなく美少女にはセクシャルな印象がまとわりつくが、美少年にはそのいやらしさがほとんど感じられない。まあ近年ではBL文化の浸透によってかなり手垢に塗れてかつてのような神聖さを帯びなくなってきたようにも思えるけど。これらについても、一度本当にじっくり対峙しなくてはと思う。


越境する性。トランスセクシャル。あえて残酷なことを言うなら、それでも完全に「なれる」ことは不可能なのだ。境界のギリギリのところでもがきつづけなくてはならない。それがまた、もしかすると彼/彼女らの意図しないところで、新たなリビドーのようなものを生じさせる。

性を越境させる際に生まれてくる、あの熱っぽい魅力は何だろう。歌舞伎役者も、宝塚のトップスターたちも、ドラァグクイーンも。自然に定められた境界を、人工的に踏み越えるたびに、行きつ戻りつするたびに立ち現れる倒錯のエロティシズム(…ああエロティシズムって魔法の言葉)?

その魅力を解き明かすことが、いつか私にもできるだろうか。いや、解明なんていうことは永遠にありえないし、これはそもそもそういう性質の問題ではないんだろうけど。でも、迷宮のなかを誰も到達し得なかったところまで、行きつけるところまで深く潜り込んでみたい、という思いは烏滸がましいながらもそうそう簡単になくなることがないよね。

2014/09/26

『宇野亜喜良60年代ポスター展』ポスターハリスギャラリー

ポスターハリスギャラリー、こんなに素敵なギャラリーが徒歩圏内にあるなんて、恵まれているというほかに言いようがない。前回、ジャパンアーバンギャルド アングラポスター展を訪れた以来の二回目の訪問。なんなら毎日のようにその前を通っているわけだし、ほんとはもっと頻繁に通ってもいいのだけども。


宇野さんの少女たちに囲まれるというのはもう、これはちょっとしたひとつの非日常な幸福でしかないよね。満たされました。



会場でみつけてしまった、うるわしきものたちをすこし紹介…。

「宇野亜喜良は左手の職人である。左手で描く時、右手は縛られて夢見ている。…

毒薬と花に彩られながら、すでに発狂しているかも知れない画家。わたしの誇るべきひとりの友人。それが、宇野亜喜良という男である。」

これは寺山修司です。これでもかというほどの数々の暗喩を用いて、宇野さんについて表現してるんだけど。はぁ…もはや何も言うべきことが見つからないでつ。



それから、詩人の白石かずこさんによって宇野さんについて書かれたエッセイのような文章をみつけて読んでみたら、もう一文一文があまりにガンガン胸に響いてきたのでひとりで打ち震えてた。あれコピーして欲しいのだが…図書館に入れてくれないだろうか…。
(これっぽい。→ http://www.span-art.co.jp/artists/unoakira/60sposters.html




2014/09/25

『種村季弘の眼』展 トークショー

「種村季弘の眼」展に行ってきた。板橋区立美術館、場所は西高島平…都営三田線の最果て。日吉で東急目黒線に乗るときに行き先表示でよく目にしていたので名前に馴染みはあったのだが、まさかこんなにもすぐ自分が行くことになるとは思わなかった。うーん、遠かった!駅に着いてからも美術館まではけっこう歩かされる。

土曜日の午後に行った理由としては、お目当てが当日のトークショーだったからだ。種村季弘の友人であった画家の方2人と、現在スパンアートギャラリーをされている息子さんの種村品麻さん(女性かと思った…)。旧知の仲だった2人と、息子さんということで非常にほんわりゆるゆるっとした感じのトークショーでした。内容はまあ、ほとんどが「怪人」と呼ばれた種村さんのエピソードについて。中身はほとんど無いといってもよいレベルではあるけれど、それでもこういうのって、故人の生前が見えるようで、なかなか楽しいんだよね。作品を読むときにも意識するようになったり、著者に対してより感情が入るようになったりするのだ。温泉や居酒屋好きといったほほえましいエピソードを聞いた後では、どんなに真面目でおっかないような本も、人間味が感じられてちょっと親しみやすくなるのかも。

お客さんたちはなかなか良い年の方ばかりで、私が一番若いかも…?!というくらいだった。挨拶を交わしたり、「ああお久しぶりです」なんて言い合っているような方々が多いところを見ると、どうやらかつてつながりがあったかそういうコミュニティのなかのひとたちなのか、それぞれの親族の方とかなのかもしれない。会場は全体的になかなか盛況で、席も足りなくなってしまっていた。私もこうした中の一員になりたいなぁ、って強く思うのでした。せっかくなんだからちょっとくらい誰かに接触してみようかなぁと思ったりもするのだけれど…、なかなか勇気が出ないね。


本当はぜひとも、10月4日にあるらしい仏文学者の巖谷國士さんの講演が聞きたかったのだが…、まあ、研修会があるのでやむを得まい。


ひとりの文学者というか美術評論家というか、…彼の肩書はなんというんだろう、まぁいいやそれでも、そんなひとりの人間がテーマになって、ひとつの展覧会ができてしまうなんてかっこいいなぁ。怪人だからこそだろう。澁澤に関してもそうだけれど、名前を聞くだけで、「こういうジャンル・領域・雰囲気」というのが分かってしまうというのは、ものすごいことだ。私もそういうのを大成させたいものだ。おお…そうかなるほど、それを人生の目標として据えればよいわけだな!絵空事だなぁ。


そうときまれば、さてと、お勉強しなくちゃならないな。さっそく巖谷さんと種村さんの書籍をAmazonで購入したぞ。まずは魔術的リアリズムから…。

2014/08/01

空想百貨博物館





新宿伊勢丹の現在のショーウィンドウ!うのあきら!


「空想百貨博物館」!
2014伊勢丹IRODORISAI彩祭というものだそうです。
http://www.miguide.jp/irodori2014/


伊勢丹って本当にどうしてこうもセンスが素晴らしいんだろう、相変わらず。

百貨店をそんなふうに見たことなんてこれまでなかった。だって、「デパート」なんて響きがダサい…。大量消費社会の産物くらいとしかみなしていなかった。


でも確かに、言われてみればそうだよなぁ。アンティークショップとか、がらくた屋さん、といったたぐいの店が私の眼に魅力的に映るのは至極まっとうなこと…として、その一方で、デパートは対極にある。商品のひとつひとつが厳しいチェックを受け、品質管理のもとに晒され、はじかれたものはすべて淘汰されてしまう。人気を集めないものはそこに長くとどまる資格はなく、人の気を惹き、お持ち帰りをされる自信と魅力を持ったものものだけが、そこに居場所を確保できるのだ。

男性向けのネクタイ、スーツ、女の人のお靴にバッグ、ゴージャスな家具調度品や、きらきらとかがやくグラスにお皿。子供のおもちゃは車のミニチュアからキャラクターのぬいぐるみまで…、ありとあらゆるものが陳列して、お客さんにアピールしている!そうそう、あえて口に出すまでもない。まさしくフェティッシュの宝庫!なのだよね。

6つの分類に沿ったガラスの中の展示品、大きく描かれた宇野さんの絵に、加えられた解説のコメントなんかがひとつひとつ、本当に気が利いていて、すてき…。


まあまあ、いろんないみで、今回の企画展の絵を担当された方として宇野さん以上にぴったりの方もいないだろうなと思う。そしてそれがこんなにさまになるのも、伊勢丹だからかもしれないなぁ。

しかし、予期せずして街中で見つけてしまった久々にドキドキっとしたすばらしい出会いでした…