2014/10/05

恋月姫人形展「アンドロギュノスの双宮」と、薔薇のお茶会。

9月の最終週の日曜日の夜、パラボリカビスでの恋月姫の展覧会に伴って開催されたお茶会に顔を出してみました。紅茶とお菓子(なんと和菓子!)とを味わいつつ、人形の写真たちに囲まれながら、恋月姫さんと今野さんの対談を聞くというぜいたくな時間…。


トークは、恋月姫さんが人形を作っているときに考えていることだとか、「アンドロギュノスの双宮」というテーマでの展示だったので、アンドロギュノスについての話がいくつか出ました。前日に、美少年に扮する美少女について考えていたというところだったから、(わたし的に)とってもタイムリーでわあああと興奮しながら聞いていた。


恋月姫の人形のお顔は少女としてつくられているにもかかわらず「少年的」だと捉えられてしまうが多い、という話を聞いて、これまで私は彼女たちを純粋に女の子としてしか見ていなかったので驚いた。けどなるほど言われてみれば、確かに男の子というほうが近い…? 顔の造形においては「女の子らしさ」は、ほとんど強調されてはいないようである。目は鋭くて、眉もきりっとしていて、凛々しい。仮に髪をばっさりと切り落として少しお着替えさせてみたならば、少年といわれても違和感は生じないかもしれない(…あ、美少年か)。中性的、というやつか。

アンドロギュノスをつくってみるという試みも今後もしかしたら挑戦してみるかもしれない…とのことで!期待!!



しかし、両性具有を人形で作るとしたら丸裸にして、「ほらどっちもあるでしょ!!」と(失礼。)下半身を露出しないとならないんだろうか…とするならちょっと味がないな…まさかそんなはずはな…。


にしても、今回もまた結局「性の境」という、ここに収束した。

 このテーマにぶちあたって近ごろ感じるのは、「性別」にまつわるいろいろと「普通」じゃない事象もろもろにも、様々なバリエーションがあって、それぞれ性質においてはかなり異なるものだということ。

融かしぼかされた境界線のうえに浮遊するもの。
境界のあちらとこちらにまたがって存在するもの。
双方の側を自由に行き来するもの。
境界へとにじり寄りながらもぎりぎりのところで決して踏み越えないもの。
etc…


性の境界に対して、人それぞれ対応に大きくちがいがある…。
心理と、実際に示す態度と、といった様々な要素を考慮して、幾通りに分類ができるだろう?そのうち時間があるときにでも挑戦してみようかな…。

 あと、少し気になったこと。展覧会のタイトルである「アンドロギュノスの双宮」における「双」という一文字は、もしかしてかなり大きな意味を有するキーワードのひとつなのかもしれないと感じた。

性別という軸に対称に位置するふたつの存在をひとつの肉体という器に抱え持つというアンドロギュノスの性質はまさに「双」という字にあらわされている。それから、恋月姫の作品によくシャム双生児も。接合部分を軸として、左右対称に存在する肉体…。なぜ私たちが両性具有者や、シャム双生児というモティーフに、恐れをなしながらも惹かれ、うしろめたさを覚えつつも接近してしまうのか。

"Freaks"―畸形、というものに対するタブーをめぐる我々の心理は前提として考慮に入れねばならないこととして、
とある軸と、その軸をめぐる両側というひとつの平面上に考えることのできるテーマとしても、検討してみてもよいのかもしれない。 


(展覧会の感想だよ~~と行きたいところだけども、ぱらぼりかに到着した時間があんまりぎりぎりすぎて、けっきょっく人形にあうことができないという大失態を犯したのは秘密です。)

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