2016/06/14

「aestheticism~耽美~」ヴァニラ画廊


 


「beautiful.bizarre×ヴァニラ画廊 特別企画展『aestheticism~耽美~』」
2016年 4月4日(月)~4月23日(土)

 「beautiful.bizarre」という、海外の幻想耽美系のメディアとヴァニラ画廊とのコラボレーション企画。海外の「これ系」のアーティストはほとんどフォローしていないけれど、気に入った作品は多かったし、良い出逢いもあった。この媒体、少し意識してみてもいいかもしれない。


 展示のタイトルは思い切り直球、という感じであるけれど、ここで「耽美」という言葉を用いた理由はもう少し明白にしてもらえたらよかったかも。

 この展示に限ったことではないが、「耽美」という言葉の示すのが余りにもに偏った類のものであるようのは以前から疑問である。決まって頽廃的で、破滅的で、ときに残酷で、グロテスク。なぜ忌まわしく悍ましく醜いものが「美」なのか。
 今回の展示作品で言えば、たとえば次のようなワードが思い浮かぶ。
身体、死、機械、人形、裸体、髪、緊縛、溢出、巣、絡まり、拘束、森、花、蔦、蝶、変身、奇形、変工、眼球、増殖、夜、月、ヴェール、解剖、内臓、髑髏…

 これらが「美」なのだというのではなく、「美に耽る」という行為があらわすもの、なのだろう。おそらくは19世紀末の西欧芸術の流れをそのまま汲んで。(日本の幻想芸術の系譜は一度整理しなくてはならない。すでに何か良い本があるかしら?)
 美を信奉するという態度は、現実における「健全さ」とは相容れず、それに否が応でも逆行せざるを得ないようなもの。「反地上」への志向。「美」の絶対的な基準というものが失われた近代以降の世界において、存在しないはずの「美」を追い求める、あるいはそれに縋るという姿勢はそれ自体として矛盾を孕まざるを得ず、カタストロフィを招くものなのかもしれない。「機能美」なんて言葉は絶対に、相容れないんだろうし。

 それにしても、この言葉で集められた作品たちのモティーフは、お決まりという感じがあって、「それっぽい」ものをあらわすときはたいてい「幻想」と「耽美」を使っていれば良いだろうという雰囲気もあるのは、己の信奉する「美」に対する怠慢なのでは、とも思ってしまうけれども。不健全じゃない「耽美」が仮にあってもおかしくはないと思うけど、それはこの時世においてはきっと天国や極楽のような宗教味を帯びるユートピアでしかなく、それはあまりにも非現実的(奇妙なことに)だということなのか。

 「耽美」はなぜデカダンか。『夜想』の「耽美」特集はどんなだったっけ。

「追悼 合田佐和子ポスター展」ポスターハリスギャラリー


 
 2016年2月19日に逝去された合田佐和子さんの追悼展。
 展示品は約40点のポスター。これまであまり意識したことのなかった画家だったけれど、幻想的ながらリリカルでメランコリック。ノスタルジーを喚起させるような面もある。
 
 調べたところ、森村泰昌と一緒に個展をしていることもあったとか。

旧江戸川乱歩邸 特別公開2016年






 
 
立教大学にある旧江戸川乱歩邸。
定期的に一般公開をしていることはずっと知ってはいたが、ここにきて初の訪問。
 
土蔵の中や応接間にはさすがに入ることができないのは残念だけど、以前にNHKのスペシャルで見た記憶を頼りに想像を巡らせる。乱歩も去年で没後50年を迎えた。
 
「私にとつて今、小説作りはおぞましき現実である。
その現実を離れて水色の深き闇へと引き入られるやうに帰つてゆく。」
 
乱歩は1934年、立教大学に隣接する住宅に移り住み、70歳で死去するまで住み続けました。二階建ての書庫兼書斎の土蔵は「幻影城」と呼ばれ、2万点近くの資料、蔵書を保管、壁は江戸文学などの本で埋め尽くされていました。

立教大学は2002年3月、この土蔵・住宅と計4万点近くの蔵書・資料も購入し、内容の研究を進めると同時に、土蔵を乱歩が住んでいた当時の姿に近づけるための修復にも着手。

2004年8月には、立教学院130周年記念行事のひとつとして、土蔵の公開や東武百貨店(池袋店)にて資料などの展示を行いました。  
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/profile/facilities/edogawaranpo/about/index.html[2016/06/14]

「耽美・華麗・悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見る~アンティーク着物と挿絵の饗宴~」弥生美術館、「100年前に夢二が発信❤ 大正時代の「かわいい」展 ~乙女がときめくデザイン&イラストを中心に~」竹久夢二美術館

 


■「耽美・華麗・悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見る~アンティーク着物と挿絵の饗宴~」弥生美術館

 良い展示。谷崎の小説に登場する女性たちの着物を、その描写に忠実に再現しようとしたもの。
 小説を読んでいるとき、特に色彩の視覚的なイメージが脳内に立ち上がると読書中の楽しさが全く違うから、(具体的なイメージがわかなくて)ほとんど読み飛ばしていていたような衣装を想起できることによって、少しは谷崎の思い描いていた世界に近付くことができるだろうか。勿論、作者以外の人間の勝手な想像によって印象が左右されてしまう、というデメリットもあるかもしれないけど。

 ともあれ、展示自体は素敵な着物がたくさん飾られているので、眼が楽しい。和装、着物に詳しかったならより気付く点や考えることも多かっただろう。

谷崎潤一郎(1886~1965)作の「細雪(ささめゆき)」はアンティーク着物を愛する女性の間ではバイブルのように読まれる作品です。映画や舞台に登場する女優たちの華やかな着物姿に惹かれる人が多いようですが、谷崎本人は蒔岡家の四姉妹の着物を本当はどのように想定していたのでしょうか? ・・・本展では、文章やモデルになった姉妹の写真を元にして、忠実に着物を再現して展示します。
 「細雪」「痴人の愛(ちじんのあい)」「春琴抄(しゅんきんしょう)」「猫と庄造と二人のをんな」「蓼喰う虫(たでくうむし)」「秘密」などの代表作をはじめとして20余りの作品を、挿絵、着物、谷崎潤一郎関係者の写真などを用いて紹介。出品数は着物約30点、挿絵約100点を予定しています。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html [2016/06/14]
 


■「100年前に夢二が発信❤ 大正時代の「かわいい」展 ~乙女がときめくデザイン&イラストを中心に~」竹久夢二美術館

昨今流行りの日本の「Kawaii」文化の源流を夢二に見るもの。

ただ、私自身は夢二の少女絵はどうも好きになれない。どうしてなのかは分からないけど。

 海外でも近年高く注目される「Kawaii(かわいい)」ですが、大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二(1884-1934)は、自身がデザインした小物を大正時代に“かあいい”という言葉を用いて紹介し、暮らしや装いにいち早く彩りを添える仕事に才能を発揮しました。また大きな眼と、華奢で丸みを帯びた姿形を描き表した可憐な少女像の〈抒情画〉を確立し、日本近代の女性が憧れる「かわいい」世界を、夢二は時代に先駆けて表現しました。
  さらに夢二は、おしゃれなデザイン画や素朴で微笑ましいカット絵、加えて愛らしい子供絵も手掛け、現代にも通じる「かわいい」を数多く残しました。
  本展では今から100年前に夢二が発信した「かわいい」を集めて広く展示紹介するとともに、大正時代を中心に夢二が展開した「かわいい」の役割についても考察していきます。 
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html [2016/06/14]

「リカちゃんが夢見るウエディング Licca’s Sweet Wedding」横浜人形の家


 

「リカちゃんが夢見るウェディング Licca’s Sweet Wedding」

横浜人形の家の企画展。ウェディングドレスというものに未だかつて憧れの気持ちを持ったことがないしこれからもおそらくそうだろうけど、人形であれば話はまた別になる。
 
色とりどりのドレスを着たリカちゃん。ボーイフレンドとペアで飾られているものも。世界で一体限りの、ダイヤモンドを全身に纏った約1億円相当のリカちゃんというのもいた。
あと知らなかったのだが、「リカちゃん電報」というサービスを提供していて、結婚の祝電にウェディングドレスを着たリカちゃんを贈ることができるそう。数年前までは毎年変わる限定仕様の衣装だったらしく、中には白無垢姿も。
 
雛人形が女の子の婚期を云々という話があるように、人形と婚姻はしばしば結び付けて考えられる。おそらく日本に限らないと思うけれど。この風習がいつどのあたりから来ているのか、というのは民俗学の領域か。

2016/06/04

「MARUO WORLD 少女椿展」ストライプスペース




「少女椿」が実写映画化。聞いたときには勘弁して欲しいとは思ったけれど、公開に合わせて丸尾界隈が盛り上がったので。展示は映画で使用したセットや衣装、それから丸尾末広の原画のコーナー。グッズも充実していました。私は丸尾さんサイン入りの『芋虫』を購入。
「少女椿」は、地味にアニメが好きだったりする。みどりちゃんの、声が知的で可愛いの。

今回、映画公開を記念してマルヲ・ワールドと題したイベント展を開催いたします。
映画監督であるTORICOのインスタレーションなどによる、
見世物小屋を彷彿とさせるような空 間に加え、
原画、版画、コラージュなどの丸尾末広作品、
ゲスト作家による等身大みどり ちゃん人形やオブジェ作品など、
丸尾末広と 「少女椿」の世界をたっぷりと展示いたします。
また、書籍やグッズの販売も多数いたしますので、
こちらも併せてご覧くださいませ。


『少女椿』讃

怪奇、幻想、残酷、エロ・グロ。
日本の想像界の暗流に身をさおさしながら、
丸尾末広は独特の哀愁に みちたリリックな作品『少女椿』を紡ぎ出した。
見世物小屋の異形の者たちに取り囲まれた、
か弱い、可愛い、可哀そうな少女みどりの物語。
どこかで見たことのあるようなノスタルジックなイメージの重なり、
不思議な既視感のなかで、
少女が侏儒の幻術師とねんごろになるところがまたこの物語のミソだが、
その彼が観客たちに苛立って、
「曲がれ‼ ゆがめ‼ ねじれろ‼」と叫ぶ場面が印象的だ。
丸尾末広の哲学の一端がかいま見えるところかもしれない。
この蠱惑的な作品の実写映画化が実現したという。
多少とも不安の気持ちの入り混じった、
ワクワクするような期待感をもって、
映画という「幻術」にわれわれ「観客」も身を委ねることにしよう。

谷川 渥(たにがわ あつし・美学者)

http://www.span-art.co.jp/exhibition_other/201605maruosuehiro.html





 
 
 

「―終わりと始まり― 金子國義展」Bunkamuraギャラリー、「金子國義 × コシノヒロコ そこに在るスタイル~ネコとヒロコ~」KHギャラリー銀座


 
 
 「美貌の翼」の展示から、1年が経った。「―終わりと始まり―」、何かの終わりはまた別の何かの始まりでもある。
 
 今回の展示には、少年と青年の絵が多くを占めていたのがとても印象的だった。アリスの挿絵や「お遊戯」の写真集に代表されるように、金子國義の作品は少女や大人の女性をテーマにしたものというイメージが一般的には強いが、華奢で儚げな少年や筋骨逞しい男性の裸体の絵も多く描かれている。
 初期には少女の絵が中心であったようで、1964年に青木画廊で開かれた金子國義の最初の個展「花咲く乙女たち」には少年を描いたものがわずか1点しかなかったということ。
 
 金子國義の少女は孤高である。男性に媚を売るのでもない。女性の自己投影的な感傷を引き受けるでもない。
 そんな少女を「作品」として生み出せる人は、制作者の性別を問わずそう多くはないと思う。彼の少女に対する態度には、やや入り組んだものがあったのでは――というようなことを感じたのは、自伝『美貌帖』を読んだときだった。
彼女たちの大人びた可愛さ、崇高なエロティシズム、光のなかの影、そんな対立するものが調和する一点に惹かれる。そういう匂いを感じとれる人に出会うと、どうしても作品にしないと気が済まない。だから僕は画家でありながら、それが職業だという意識はない。本当に好きなもの、僕自身が陶酔できる作品しか描けないのである。
 
僕は女を描く時、自分自身ではないかと錯覚する。描いているものが狂気をはらんだマダム・エドワルダであろうと、純真無垢なアリスであろうと、みな無意識のうちに僕自身になってしまう。フローベールが「マダム・ボヴァリーは私だ」と言った意味で、キャンパスの女主人公(ヒロイン)たちも僕なのであり、僕たちは彼女を描く時、幼年時代の夢想とその変形である女たちの夢想との二重の夢想を生きるのだ。 
 
 金子にとって女性モデルは、彼自身の「好き」で「陶酔できる」ものをあらわす人間でなくてはいけない。そして、そうして画布に写し取られたその女は、金子自身である。キャンバスが鏡であるかのように。(奇しくも、『美貌帖』の冒頭に置かれたのは、鏡に関する記述であった。)
 
 一部の隙もない閉ざされた美の世界の中で、磨かれ、確立していった、画家の人間像。幼い頃から見ていた母親や姉から得た影響も大きいだろうが、もしかするとそれは一種の究極的な自己愛の結晶でもあったかもしれない。少なくとも単なる異性愛の欲望の対象としての女性であったわけではないということは確実である。
 この考えは、金子國義が女装をして踊っている映像を見たときにより一層強化された。(その映像自体は宴会芸のようなふざけたものではあるのだけれど、)美しく着飾り化粧をして舞う姿を目にして、思わず息を呑んだ。彼自身の顔や身体が、彼の描く女性たちに、まるでそっくりだったから。
  
 孤高の少女が彼の姿であったとするならば、描く人物が少女から少年や青年へと移行していったことにも何らかの意味を読みとってしまいたくなるのであるが、どんな推測をめぐらせても野暮なものにしかならないだろうからここには書かない。彼の作品の傾向が時代ごとにどのような変遷を辿っているのかを把握できているわけではないし、少年の作品を初期に描いていなかったというわけでもないだろうけれども、彼の、人間というものに対する見方を追ってみるのは面白いかもしれない。

ある頃から、僕の中では主人公が女性から男性へと変化していた。しかしそれは次第にであって、突然ではなかった。
[…]この頃、青年像を描くときには、アメリカの1950年代のハイスクールの放課後や少年院の出来事を意識して描いていた。キリスト役の少年や、セバスチャン役の少年がキャンバスに登場した。そこには、僕が通っていた聖学院の風景画ダブルイメージとなって現れていた。  
 
 
 64年の個展で、ひとつだけ展示されていた少年の絵。それを購入したのが、画廊を訪れたデザイナーのコシノヒロコであった。彼女は、そこに描かれた少年はまさに金子自身だと感じたという。
 
 
 銀座にあるコシノヒロコのギャラリーではBunkamuraでの展示とほぼ同時期に、金子國義の一周忌の回顧展が行われていた。あまり大々的に周知はされていなかったのか、日曜の午後にもかかわらず鑑賞者は私ひとりだった。
 コシノヒロコのコレクションを中心とする金子國義の絵画が、彼女の描いたスタイル画とともに展示されている。両者に通底する美学がある。
 
 




 
 右に置かれたタブローは、彼の絶筆であるという。これを見ていると、まだこれからも次々と、美しいひとたちが生まれてくるのではないかという気がした。
 
 


 
 
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遠足の記録(水戸編)




 




 茨城にはつくば市であれば何度かいったことがあるけれど、水戸市を訪れるのは今回が初めて。
朝に出発し鈍行でノロノロと向かい、まず向かうは偕楽園。5月は躑躅が燃えるように咲いていたけれど、梅園が素晴らしく、シーズンに来たらきっとさらに美しい姿が見られるのだろう。けれど、その代わりにと言ってもよいのか、タンポポの花が絨毯のように咲いていて、じっと佇んでいたら夢幻へとのみこまれてしまうかのような錯覚に陥る。
 続いて水戸芸術館まで歩き数時間滞在したのち(きちんとあのタワーにも上った)、水戸城関連の史跡、最後に水戸第一高校を外から眺めて散策は終わり。気候もほどよく、とても気持ちの良い一日だった。
 
 水戸芸術館で開催されていたのが、田中功起さんの個展「田中功起 共にいることの可能性、その試み」。現代社会と芸術の関係性や現在のアート界でのその動向等については、目下勉強中。だが作品の趣旨、テーマは率直でストレートであり、特別に知識もない状態だったとしても、ひとつひとつの作品に見入ってしまうことは間違いないと思う。ワークショップの記録はドキュメンタリーとして映像にまとめてしまうこともできるけれど、そうではなくひとつの展示室の中で来場者が移動をしながらそれぞれの作品を好きな順番に鑑賞できる「展覧会」として提示しているという点に意味がある、ということを読んだけれど、まさにそうなのだろう。実際に会場へ足を運ぶことの大切さを改めて感じた。
 

本展は、田中功起による国内初の大規模な個展です。田中は、映像記録、インスタレーション、執筆、パフォーマンスおよびイベント企画といったさまざまな方法を通して、現在の社会状況や既成の枠組みに対し、別の視点やあり方を模索する活動で近年、注目されています。2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレでは、5名の陶芸家がひとつの陶器をともにつくる様子をとらえた映像作品などで、複数の人びとがひとつのことにともに携わるときの、その行為の美しさと難しさを表し、国際的に評価されました。
 本展では、協働による営みに関心を抱くようになった2010年以降の田中の活動に焦点をあて、新作を中心に、近年の取り組みとあわせて紹介します。
 本展のために制作された新作は、一般参加者とファシリテーター、撮影チームらと一つ屋根の下をともにした6日間の滞在とそのなかでのワークショップがもとになります。朗読、料理、陶芸、社会運動にまつわるワークショップ、ディスカッション、インタビューなどで構成された6日間を通して、移動や共同体についてそれぞれが考え、また対話し、実践する機会が設けられました。本展では、これらのワークショップの記録映像をもとにつくられた複数の映像に、作家が制作中に書いたノートなどが添えられ展示されます。

※ 新作映像は全編でおおよそ230分になる見込みです。


【2015年11月8日のメモ(ステイトメントとして)】

あなたはどのような場面でまったく初対面のだれかに心を開くだろうか。
あなたは隣にいるだれかとどのようなとき、共に助け合おうとするだろうか。
あなたは何を根拠にだれかを信頼し、あなたの傷つきやすさを預けようとするだろうか。

山の中での非日常的な共同生活とワークショップ。そこには撮影隊も共に寝泊まりをしていて、その光景を記録している。ぼくも、あなたもそこにいて、私たちは、まだそれが何を意味するのかを知らない。私たちは、料理をし、朗読をし、発声し、動き回り、会話をし、社会について考え、陶芸を行い、話し合う。そして私たちは、その小さな社会の中で、自分の位置を確認し、自分の役割を問い直し、ときに自分を見失う。そのようにして他者に出会い、その相手を気遣う。ほとんど見ず知らずのだれかと、もしかすると理解しがたい他者と、共にいることを試みる。それはあるひとからすれば当然の、あたり前の状態であり、別のひとからすれば受け入れがたき状況だろう。この状況は、仮の、作られた、一時のものでしかないかもしれない。だけれども、一時的にでも可能であるならば、それはいつ、どこで、どんななにものかとであっても、可能ではないだろうか。(田中功起) 
http://www11.arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=438[2016/05/30]
 

 

「聖キアーラの予兆」マリアの心臓(銀座)




 渋谷の閉館以降初、東京でのマリアの心臓の期間限定の展示。「聖キアーラの予兆」銀座に舞い降りた人形たち。
 可淡のドールをメインで展示しており、大原の地で出会った子たちの多くに再会することができた。その他にも、好きな人形作家、アーティストの方の作品が多数展示されていて、とても満足。

 ただやはり、展示空間というのがいかに大切であるかとも思う。今回はビルの一室で、日中に来ると自然光と蛍光灯のもとで人形たちと対面することになる。それはそれで悪いことはないのだけれど、渋谷の頃の地下の、また京都大原の古民家の「マリア」とは、大分雰囲気が異なる。人形だって居心地の良いところとそうでもないところがあるだろう。


 幼稚園児くらいの女の子が、歩道に置かれたポスターを見て(二度見していた)、足を止め、「見てお父さん!これお人形だけど、こわい!」。

 私もあなたと同じくらいの歳に彼女たちを見ていたなら、「こわい」と思っていたかしら。

「没後100年 宮川香山」サントリー美術館



「没後100年 宮川香山」サントリー美術館
2016年2月24日(水)~4月17日(日)





 
 
 「高浮彫」の技法で知られる宮川香山。一歩間違えれば「悪趣味」にもなり兼ねない過剰なまでの装飾性の、繊細さと迫力とに圧倒される。
 
 このような陶磁器が日本で制作されていたということをこの展示に足を運ぶまでは全く知らなかった。香山の作品が19世紀末の西欧の工芸界においてはどのように受け入れられ、評価されていたのかという点はかなり重要な問題だと思うけれど、何か良い研究書はあるだろうか。今ある宮川香山についての本は、調べる限りでは展覧会図録か作品集くらい。
 
 『美術手帖』の2016年3月号では「超絶技巧」というタイトルで香山が紹介されていた(“美しい畸形”!)。明治工芸というのは日本ではあまり研究が行われず、2000年代以降再評価が進んでいるという。
 ガレをはじめとして、同時代の西欧の工芸品についてはこれほど愛好者も多いというのに、またジャポニスム研究も盛んに行われているにもかかわらず、日本国内で作られていた陶芸には注目が集められていなかったという事実はいささか奇妙であるように思われる。私としては今回の展示を見て、ガレよりも香山のほうをずっと気に入ってしまったけど。
 

明治時代から大正時代を代表する陶芸家・宮川香山(みやがわこうざん)(虎之助・1842~1916)は、天保13年(1842)、京都の真葛ヶ原(まくずがはら)(現在の京都市東山区円山公園一帯)の陶工の家に生まれました。幼少の頃より父・長造(ちょうぞう・1797~1860)から陶器や磁器の製法を学び、万延元年(1860)に家督を継ぎます。
明治3年(1870)、転機が訪れます。香山は京都を離れ、文明開化の町・横浜へと向かいます。当時、明治政府は近代産業の育成に力を入れ、外貨獲得の手段の一つとして陶磁器をはじめ、様々な工芸品を輸出することを奨励していました。香山は、欧米諸国の趣向に応える新たな美を創り出すことに尽力し、中でも、陶器の表面を写実的な浮彫や造形物で装飾する「高浮彫(たかうきぼり)」と呼ばれる新しい表現技法によって、日本陶磁における装飾の概念を覆すような、精緻で独創的な世界を作り出していきました。
明治10年代半ば頃から、香山は新たに釉薬と釉下彩の研究に取り組み、中国清朝の磁器にならった様々な技法の作品を作り始め、制作の主力を陶器から磁器に切り替えていきました。そして明治29年(1896)、香山は、陶芸の分野では二人目となる帝室技藝員(ていしつぎげいいん)に任命されます。香山が生み出した陶磁器は、眞葛焼(まくずやき)として世界中から絶賛を浴び、人気を博しました。イギリスの大英博物館をはじめ世界的に著名な美術館が香山の作品を収蔵していることからも、その人気の高さがうかがえます。
本展では、約50年にわたって、日本に少なかった香山の作品を世界中から探し出しつつ、香山研究を続けてこられた田邊哲人(たなべてつんど)氏のコレクションを中心に、平成28年(2016)に没後100年を迎える宮川香山(初代)の全貌を紹介し、超絶技巧のやきものの魅力に迫ります。高浮彫作品の目くるめく迫力、そして釉下彩や青磁などの吸い込まれそうなみずみずしさと優美な品格を、一挙にご堪能いただけるまたとない機会です。 
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_1/ [2016/05/06]

「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」横浜美術館


 
  

この展覧会は、現代日本を代表するアーティスト、村上隆(むらかみたかし)(1962年生まれ)の現代美術を中心とするコレクションを初めて大規模に紹介するものです。

村上隆は、東京藝術大学にて日本画初の博士号を取得。現代美術と日本の伝統絵画、ハイカルチャーとポップカルチャー、東洋と西洋を交差させた極めて完成度の高い一連の作品で世界的に評価され、海外の著名な美術館で数々の個展を開催してきました。
アーティストとしての精力的な創作の一方で、村上隆はキュレーター、ギャラリスト、プロデューサーなど多岐にわたる活動も展開しています。特に、近年、独自の眼と美意識で国内外の様々な美術品を積極的に蒐集し続けており、その知られざるコレクションは、現代美術を中心に日本をはじめとするアジアの骨董やヨーロッパのアンティーク、現代陶芸や民俗資料にまで及んでいます。村上隆にとって「スーパーフラット」とは、平面性や装飾性といった造形的な意味のみに限定されるのではなく、時代やジャンル、既存のヒエラルキーから解放された個々の作品の並列性、枠組みを超えた活動そのものを示しており、「芸術とは何か?」という大命題に様々な角度から挑み続ける作家の活動全体(人生)を包括的に表す広範かつ動的な概念と捉えられるでしょう。

圧倒的な物量と多様さを誇るこれら作品群を通して、村上隆の美意識の源泉、さらには芸術と欲望、現代社会における価値成立のメカニズムについて考えるとともに、既存の美術の文脈に問いを投げ掛ける、またとない機会となるでしょう。  
http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20160130-457.html[2016/3/27]




 村上隆のアタマの中身らしい。


Exhibitions(2016.4-2016.5)


■森山大道「裏町人生~寺山修司」 ポスターハリスギャラリー
  2016年2月5日(金)〜2016年3月27日(日)

■森山大道「SCANDALOUS」  Akio Nagasawa Gallery/Publishing
 2016年4月15日(金)〜2016年6月19日(日)
 
 
 
“写真は現実のコピーである”と考える森山は、自身の作品をゼラチンシルバープリントのほか、オフセットによる写真集、シルクスクリーンによるTシャツなどさまざまな技法、媒体で複製することに積極的に挑んできたが、本展はゼラチンシルバープリント作品によるものではなく、シルクスクリーン作品による展覧会。

「イメージ」と「複製」の間の緊張感は、「写真を撮る行為」と「撮る瞬間の意図」とのあいだに生じる緊張感にも似ている、と森山はいう。本展に展示されるイメージは、1960年代後半に制作された“アクシデント”シリーズを中心に、“ヴィジュアル・スキャンダル”を意図したものを選び、それらを紙およびキャンバスにシルクスクリーンで転写しており、それらには多くの未発表作品も含まれている。森山にとって、写されたイメージをオブジェ化する際に技法を問わないことは先にも述べたが、シルクスクリーンという技法は、森山が1969年から使用している馴染みのあるもので、森山が選ぶ“ヴィジュアル・スキャンダル”なイメージに相応しい転写技法としてシルクスクリーンが選ばれた。また、シルクスクリーン作品と共に、森山がデザインしたネオン管によるテキスト作品も展示のエレメントとして加えられることも本展の見どころとなっている。 
http://imaonline.jp/library/exhibitions/scandalous/ [2016/05/30]


 
■花代&沢渡朔 「点子」 小柳ギャラリー
  
 生まれた瞬間から常にカメラを向けられ続け、この子が「見られる」ということ―カメラのレンズの奥には(不特定多数の)人の目があるということ―意識し始めるのは、いつごろからであっただろう。少女と、もはやそうではなくなった日の線引きはどこにあるのだろう?写真の並びは時系列に沿ってはあるけれども、壁一面をピンボードのようにしてバラバラに展示されていて、キャプションは特になかったので、どれが母でどれが沢渡の写真であるかはわからない。
 
 中にはかなりきわどいポーズをしているものもあって、母―娘という関係性という意味で、すぐさま想起されたのはイリナ・イオネスコ。完全に変態なオッサンの目で眺めてしまった。良い展示。
 

「REVALUE NIPPON PROJECT 中田英寿が出会った日本工芸」Panasonic汐留ミュージアム

「REVALUE NIPPON PROJECT 中田英寿が出会った日本工芸」
Revalue Nippon Project: Hidetoshi Nakata’s Favorite Japanese KOGEI
2016年4月9日(土)-6月5日(日)


 
 
 中田英寿がこんなプロジェクトに携わっているとは知らなんだ。
「日本酒セラー開発プロジェクト」とかいうのもやっているらしい。

元サッカー日本代表である中田英寿氏が現役引退後続けている活動のひとつに「REVALUE NIPPON PROJECT」があります。この活動は、日本が連綿と受け継いできた伝統的な工芸、文化や技術の価値や可能性を再発見し、その魅力をより多くの人に知ってもらう 「きっかけ」を創出することで、日本文化の継承・発展を促すことを目的としています。このプロジェクトでは、毎年「陶磁器」「和紙」「竹」「型紙」「漆」といったひとつの素材をテーマに選び、批評家などの専門家を中心としたアドバイザリーボードが、工芸家およびアーティストなどのコラボレーターを選定し、各チームが自由な発想で作品を制作します。さらにこの制作を通じて工芸の魅力を広く伝えるために中田氏自らも広報活動を行い、この作品や人との出会いは将来の日本のラグジュアリーとなるべきものだと語っています。日本の工芸作品は私たちには身近すぎ、その価値や魅力について再考することが難しいのかもしれません。産業分野のものづくりにも、工芸の技術や美しさは深く関係し必要とされているにもかかわらず、工芸家やその作品の認知度は決して高いとは言えず、後継者不足で悩む作り手が多く存在している現状があります。本展では、日本工芸の魅力を再発見し、「ものづくりの心」を後世に伝えるべく中田氏のプロジェクトで生まれた作品を展示します。展覧会場では、新たな刺激を受けた工芸家たちの技術力の高さとその作品の美しさを改めてご覧いただけることでしょう。