2015/03/28

『伊藤文學コレクション バイロス&バルビエ 絵筆の中の乙女たち』 ,『森田一朗パリコレクション コラージュ展「COUTURIÉRE」』 ヴァニラ画廊

 タイトルのふたつの展覧会の同時開催、銀座のヴァニラ画廊、3月27日(金)訪問。どちらも非常に興味をそそられる展示であったため、会期に間に合って良かった。展示の質も期待を上回り、体調がいまひとつすぐれなくて家にいようか悩んでいたところ、押し通していく価値があったというもの。



■『伊藤文學コレクション バイロス&バルビエ 絵筆の中の乙女たち』 

 フランツ・フォン・バイロスはウィーンとミュンヘンで活躍した銅版画・挿絵画家であり、彼が生まれたのは19世紀半ばで、最も活躍した時代が19世紀末。
 私がバイロスという画家を知ったのは、嶽本野ばらの作品の中で最も好きな、『シシリエンヌ』においてである。版画についての野ばら氏の描写に興味を引かれてすぐにインターネットで検索をかけたのだけれど、情報が非常に少なく、画集もあまり出されていない。日本ではいつ実物を見られることだろうと思っていた。今回ヴァニラ画廊で展示が開かれることとなると知り、駆け込んだ。

 展示室に入り彼の作品を一目見た瞬間から、自分の好みのど真ん中だと直感的に覚った。版画のあまりの細やかさに、思わず間近に凝視してしまう。見入っているとこの絵の世界の中に入り込んでしまうのではないかと錯覚しそうになる。
 ふんだんな生地使いのドレスも、胸のはだけた官能的な女性と男性との戯れの絵はロココ風ではあり、しかしよく見るとそこには邪悪な蛇がとぐろをまいていたり悪魔のような怪物のような何か(?)がそっと手を差し伸べたりしていて、ロココに特有のあの陽気な長閑さは存在しない。モローを思わせるようなメランコリックで陰鬱な、妖しい夢魔の世界。主題もサロメなど定番どころを積極的に用いていることからも、やはり世紀末のエスプリが感じられる。バイロスが、時代を覆っていた世紀末の享楽と、取り返しがつかなくなるまでに傾いたハプスブルク帝国首都の黄昏とにどっぷりと浸かっていたのだろうと、容易に想像をめぐらすことができる。

 
 他方、ジョルジュ・バルビエはバイロスに比べればかなり多くの日本人にも知られていると思うが、彼が生まれたのはバイロスより数十年ほど遅く、画家として活躍したのは20世紀初頭から前半である。バイロスとは対照的に、画面はパッと明るく開放的な雰囲気。ジャポニズムとシノワズリなどの東洋趣味を取り入れたといい、展示されていた作品には桜の木が描かれていたものもある。いずれも色彩も華やかであり、バイロスとは活躍した時代が数十年違うというだけにもかかわらずこれほど異なる様相が見られるようになるとは、面白いものだ。こう対照的な作品を見せつけられるとやはり、時代に通底する精神というものを信じたくなってしまう。


 版画以外にも展示室中央のテーブルには1900年代の雑誌や書籍のコーナーがあり、中にはダンテ『神曲』の、バイロスによる挿絵が刷られたイタリア語版、150部限定で出版されたものもあった。これらは手袋をつければ手に取って読むことができる。パルコギャラリーXの「19世紀までの博物画・ボタニカルアート」展でその時代の挿絵を色々とみていたときにも思ったことだけれど、実際に触れて、ページを捲ることができている…と考えると胸が躍る。

 ちなみに、このコレクションを保持していらっしゃる伊藤文學さんは、男性同性愛向け雑誌である「薔薇族」の初代編集長の方だという。こんな版画たちに囲まれて暮らせる幸せはどのようなものだろう。
 バイロスの方はポストカードになっていたので、彼らしさが存分に表れているものを二枚ほど購入した。今回の展示はそう長くない期間ではあったが、またぜひ、公開してくれたらと思う。



■『森田一朗パリコレクション コラージュ展「COUTURIÉRE」』

 展示室は変わり、こちらは写真家森田一朗さんという方のコラージュ作品が飾られている。パリの女性のポストカードやファッション雑誌、ゴシップ誌の切り抜きなどが額の中に集められている。けっこうな割合を占めているのが今でいうデリバリーヘルス的なもののチラシ。(ピンクチラシという言い方をするらしいなるほど。)大きさがポケットティッシュ程度のサイズなのは今も昔も(私がまだ小中学生くらいの頃はよく見かけたような気がするけどもしかして今は廃れ始めてる?)変わらない。グラマラスな白人女性だけではなくて、日本人やプエルトリコ人Ver.も飾られていて、思わずふっと笑ってしまった。全体として、性的な意味という意味でもそうでない意味でも、まさにこの時代のパリの「風俗」が断片的に切り取られているかのようであった。
 
 コラージュ、という手法についてこれまではあまり真面目に考えたことはなかったけれど、「パピエ・コレ」として現代絵画で使われ始めたこの切り貼り、という技法はなかなかに奥が深くて面白いものなのだと実感した。
 アプリを使えばデジタルな画像は簡単にコラージュできる時代にはなったけれど、こうした経年も分かるような紙素材で作ったコラージュ作品が、やはり味があって良きかな。…という、面白くもない感想を述べて今回はひとまず終わり。



  おでむかえの少女の首を。

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