2016/11/19

『12 Rooms 12 Artists――UBSアートコレクションより』東京ステーションギャラリー


 
 
 
民間企業の現代美術コレクションとして世界で最大規模を誇るUBSアート・コレクションがこの夏、東京ステーションギャラリーに集結します。

今年日本で設立50周年を迎えるグローバル金融グループUBSは、現代美術を中心に長らく芸術活動をサポートしてきました。その活動はとりわけ、アートフェア「アート・バーゼル」に対する支援や、ソロモン・R・グッゲンハイム財団と共同で主宰する異文化間プロジェクト「グッゲンハイムUBS MAPグローバル・アート・イニシアチブ」で知られます。また、1960年代以降の変転めざましい美術に焦点を当てるUBSアート・コレクションは、絵画、版画、写真、ヴィデオアートや彫刻までを含む多様な分野をカバー。地域も欧米とアジアを中心に幅広く、じつに30,000点以上もの作品を蔵しています。

本展は、歴史ある駅舎を展示室とする東京ステーションギャラリー独自の空間を12の部屋の集合に見立て、その一部屋ごとにUBSアート・コレクションから厳選した12作家を当てはめます。それぞれ30点弱を出品するルシアン・フロイドとエド・ルーシェイを軸に、絵画、写真など約80点を展示いたします。日本でまとめて見る機会の少ない作家の紹介とともに、当館ならではの趣のある空間を鮮烈な作品で読み替える試みをお楽しみください。

○出品作家(生年(没年)、出身国)
荒木経惟(1940, 日本)
アンソニー・カロ(1924-2013, 英国)
陳界仁 チェン・ジエレン (1960, 台湾)
サンドロ・キア(1946, イタリア)
ルシアン・フロイド(1922-2011, 英国)
デイヴィッド・ホックニー(1937, 英国)
アイザック・ジュリアン(1960, 英国)
リヴァーニ・ノイエンシュヴァンダー(1967, ブラジル)
小沢剛(1965, 日本)
ミンモ・パラディーノ(1948, イタリア)
スーザン・ローゼンバーグ(1945, アメリカ)
エド・ルーシェイ(1937, アメリカ) 
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201607_12rooms.html [2016/09/11]

IMTについて(雑感)



 
 
 なんとなく鼻についてしまったこのIMTという施設です。デザイン性と審美性を徹底的に極めた内装と展示の構成に感心しながらも、美しく迫力をもって陳列された展示品たちがどこか心に残ることなく上滑りしていくようで、展示品が没頭することができなかった。その違和感は、インターメディアテクの設立に関する文書を見た時に確信へと変った。展示の「学術の啓蒙と普及を通じ」と謳うのは明らかに「上から」という感が否めないし、「旧帝国大学」の威信に未だにしがみついている印象も受けてしまう。ここから従来のあからさまなわざとらしさとは異なる方法で「教育」をするのだ、という意識が生まれてくるのだろう。確かに通常の博物館との差別化を図るために「気取り」を隠すことなく披見することは、一周回って斬新にも感じられるものの、果たしてそれが功を奏しているかどうかは疑問。実際、鑑賞者はなんだか「へぇ凄いね東大って」としか言っていないようにきこえたので。私はどちらかといえば、「教育」していることを巧妙に隠すようなやり方よりも、一緒に「学び」を、と鑑賞者に寄り添った博物館の方針のほうが好ましいように思う。おかしいね、「来場者をばかにしすぎ」的な問題意識が裏目に出てしまった?それとも中途半端な出自の私が過敏になっているだけなのか。

菅実花さん個展『The Future Mother 未来の母』








【Exhibition】
《The Future Mother 未来の母》
ラブドールは胎児の夢を見るか?シリーズより
2016.10.25(tue)-29(sat)

【Talk Event】
"The Future Mother ―妊娠するラブドールを考える"
対談 菅実花×小谷真理
2016.10.27(the)18:30-19:30(18:15開場)

慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎1F



 様々なご縁が繋がって実現した展示。初めてこの作品を見てうんうん唸っていた時に、この展示が自分の母校で実現することになるとは夢にも思っていなかった。

 日吉の教員棟である来往舎、壁や仕切りなどもなく入った途端にあらわれるので、前を通る教員や学生には必ず目に入る。ガラス張りの壁が作品にとって吉と出るか凶と出るか、といったところであったそうだが、微笑みを湛えて自身の裸体を誇らしげに披露する姿には、私自身は素直に、神々しく本当に女神か聖母であるかのような印象を受けた。バックにアカペラサークルの学生たちの歌声が流れているのは、この会場らしいBGMということで…。

  この作品について大学の授業で簡単な発表をすることになり、そのときに使用したレジュメのトピックのメモ。発表時には、この作品が実物の人形ではなくあくまでも「写真作品」であるということの意義を捉えきることが出来ていなかったように思う。ラブドールによる「セルフィー」であることについてもう少し考えてみたい。

 ○未来の生殖の在り方への想像力の喚起
○ラブドールについて
○「独身者機械」的観点から
○マタニティー・ヌード・フォトについて
○妊婦の人形について
○ジェンダー的な位置付けという観点から
○「怪物monstre」 の観点から――妊娠したラブドールは怪物か?
 - 人形の怪物性/妊婦の怪物性/「人造美女」の怪物性…?


 女性を、仮に「生む↔生まない」、「セックスする↔セックス」の対立を軸にとって四象限で表わすということをしたときに、そこにあらわれる少女・娼婦・母・聖母のうち、これまで少女と娼婦にしか関心をもつことができなかった私にとって、今回の作品に正面から向き合って考えることは半ば苦行に近いものがあった。でもこの先、そちら側をずっと無視し続けることはできなかったわけだし、色々と考えることにもつながったので良い機会だったと思います。

Introduction 
美術家、菅実花氏の作品「《The Future Mother 未来の母》ラブドールは胎児の夢を見るか?シリーズより」は、いわゆるマタニティー・ヌード・フォトです。しかし妊娠しているのはなんとラブドール! 強烈な印象を残すこの作品は2016年1月に発表されるや、インターネットを中心に大きな反響を呼びました。インタヴュー記事の閲覧数は実に1000万回を越えたといいます。人形は人形であるがゆえに妊娠しないはず、男性用の愛玩人形であればなおさらです。彼女たちの美しい姿はなにを表わしているのでしょう? 誇らしげなその笑みの裏にはなにがあるのでしょうか? 作品は、テクノロジーの進歩が出産と性のあり方に大きな揺さぶりをかけている現代、そこに生きる私たちに多くの問いを投げかけてきます。

本企画では1月以来初の「The Future Mother」展覧会を日吉キャンパスでおこなうとともに、作者の菅氏、そして作品の鍵でもある〈サイボーグ・フェミニズム〉理論の日本への紹介者、小谷真理氏をお迎えし、作品について存分に語っていただきます。みなさんも一緒に、妊娠したラブドールについて考えてみませんか?
 
慶應義塾大学 新島進(コーディネーター)
「自由研究セミナー 独身者機械を考える」担当

http://thefuturemother.tumblr.com/ [2016/11/19アクセス]
 

『土木展』21_21 DESIGN SIGHT 、『Fiona Tan "Recent Works"』WAKO WORKS OF ART、『草間彌生|モノクローム』OTA FINE ARTS、


 
 
 
 この日は確か、ROPPONGI DAYという感じでした。ピラミッドのビルではネルホル、フィオナ・タン、草間彌生などの展示。そして乃木坂方面へ向かい、ミッドタウンでガレ展と土木展。どれも良かった。
 土木展みたいなの、楽しいので子どもたちも喜ぶだろうと思う…。



快適で良質な毎日の生活を支えるため、街全体をデザインする基礎となる土木。道路や鉄道などの交通網、携帯電話やインターネットなどの通信技術、上下水道、災害に対する備えなど、私たちの日常生活に必要不可欠な存在です。「土」と「木」で表す土木は、私たちの生活環境そのものであり、また英語ではCivil Engineeringと表現されるように「市民のための技術」なのです。

現在の日常生活の土台は、古来の伝統技術、近代における研究と技術の発展など、多くの努力と工夫が積み重なって形成されています。しかし、私たちの毎日の暮らしは土木とつながっているにもかかわらず、それを実感する機会は多くありません。また、多様な環境と対峙しながら生活の基礎を築くことも、土木の重要な側面です。

これらのことを改めて見つめ、再発見と実感を通して、より良い未来を考えるきっかけとなるよう、21_21 DESIGN SIGHT企画展「土木展」を開催いたします。本展では、展覧会ディレクターに、全国の駅舎や橋梁の設計、景観やまちづくりなどのデザインを手がけ、土木と建築分野に精通する西村 浩を迎えます。また、土木のエキスパートたちによる展覧会企画チームと、参加作家のデザイナーやアーティストがリサーチを行い、幅広く多くの皆様に、より深く土木を知っていただく作品を展示します。

地形や自然環境は各地で異なり、人々が活動するために必要な社会基盤も、地域によって異なります。土木展では、日々の生活の根底を支えるデザインを伝え、生活環境を整えながら自然や土地の歴史と調和するデザインについて考えます。 
http://www.2121designsight.jp/program/civil_engineering/ [2016/11/19]


本展では草間彌生のモノクロームの世界観を「無限の網」と呼ばれる絵画シリーズを中心にご紹介いたします。一見、白やグレーで塗られた単色の平面にみえますが、近づくと緻密な筆致で描かれる無数の弧の集積が画面を成していることがわかります。ひとつひとつの弧が孕む凹凸や濃淡によって微妙に変化し続ける表面は、強い物質性を保ちながら限りなく繰り返されるリズムを生み、鑑賞者の視線を釘付けにします。
草間彌生は今日、水玉や南瓜などのモチーフ、カラフルでポップな作品でよく知られていますが、その原点はモノクロームの「無限の網」のシリーズにあるといえます。1959年、ニューヨークではじめて発表された同シリーズは、黒い背景を白い網目で覆い尽くし、一層の白でグレーズするという手法で描かれました。その高い独自性と芸術性は「日本人であり、女性」という作家としての物珍しさを超越し、ドナルド・ジャッドやドア・アシュトンら美術評論家たちの賞賛を浴びます。
草間によると「水玉」の集積を反転したものが網の目であり、両者はネガポジの関係にあります。これらのパターンの反復手法の出発点はどこにあるのか。 ―カンヴァスに向かって網点を描いていると、それが机から床までつづき、やがて自分の身体にまで描いてしまう― 幼少期から身の回りが網や水玉などの同じ模様で覆い尽くされるという幻覚に襲われていた草間は、強迫観念に駆り立てられながら同じモチーフを繰り返し描くことで、自らの内的イメージを解放し恐怖を克服してきたといえます。
世界的な芸術家となった現在も折りにふれ原点に立ち返るように描かれる「無限の網」は、草間にとって重要な作品群であることが伺えます。本展のために描かれた新作3点を含む5点の「無限の網」と、「水玉」1点をこの機会に高覧ください。


http://www.otafinearts.com/ja/exhibitions/2016/post_113/ [2016/09/11]

    『Nerhol|multiple - roadside tree』YKG

Yutaka Kikutake Galleryでは、6月11日から7月30日までNerholの個展「multiple - roadside tree」を開催いたします。

Nerholは5月21日から8月28日まで金沢21世紀美術館にて、国内美術館では初めてとなる展覧会「Promenade」を開催中です。「Promenade」では、伐採処分された街路樹をモチーフに制作された最新シリーズ「multiple-roadside tree」から縦240cm、横300cmにおよぶ、これまでになくスケールの大きな作品を展示していますが、本展の開催に当たってNerholはmultiple(量産されるもの)という言葉が示すように、街路樹を細かく輪切りにして撮影された百数十枚の写真から、50パターンにおよぶ作品をA3サイズにて制作し、同タイトルの展覧会カタログとして纏め上げました。

Yutaka Kikutake Galleryでは、展覧会カタログの原版となる50点の作品を不定期に入れ替えながら、同シリーズの全貌を紹介する展示を行います。

街路樹という個々の個体差はとても豊かながら、匿名の集合体として認識されることも多い植物に再び姿を与えなおすようにして作られた作品たちは、量産される匿名の「商品」に囲まれた都市型の社会を拡大し続ける私たちに、少し立ち止まりより視野を広げるきっかけを与えてくれるようです。
 

『聖なるもの、俗なるもの――メッケネムとドイツ初期銅版画』国立西洋美術館


 
 
 『メッケネムとドイツ初期版画展』。楽しかった。良い展示。私がメッケネムという名前を知ったのも初めてだったし、そもそもこの時代にも地域にも詳しくなく、事前知識もほとんどなかったのですべてが新鮮でいろいろな発見だった、というのも大きいかもしれないけれども。
 とはいえそういう人がほとんどであるということを配慮してくれているようすで、展示の説明書きも、キャプションも非常に丁寧で分かりやすい。聖のあとに俗が置かれ、といった構成の工夫のために当時の美術の在り方もうかがえる。聖人信仰として使われたものや、免罪機能を持つ版画などもあったそう。
 
 版画が流行していた当時において、コピーの制作はありふれていたもので、「贋作」として咎められることがなかったという。メッケネムの作品の中には、コピーであるためにオリジナルの作品と左右反転しているものも多い。 
 
 興味深かったこととしては、銅版画と金銀細工の関係について。版画がデザインの見本を提供するという役割を持っていたらしい。金細工を手掛けている版画家もいる。デザインの中には、植物文様の中に人物が配置されているものが面白かった、なんとなくグロテスク文様ぽいというか。
 
 あとは、風刺画の中ではその多くは男性が情けない様子で女性優位に描かれていること。民衆レベルでは、女性が強い、という認識だったのかしら…?
 

イスラエル・ファン・メッケネム(c.1445-1503)は、15世紀後半から16世紀初頭にライン川下流域の町で活動したドイツの銅版画家です。当時人気のショーンガウアーやデューラーら他の作家の作品を大量にコピーする一方、新しい試みもいち早く取り入れました。また、作品の売り出しにも戦略を駆使するなど、その旺盛な活動から生まれた作品は今日知られるだけでも500-600点あまりにのぼります。

メッケネム作品の多くはキリスト教主題をもち、人々の生活における信仰の重要性をしのばせます。もっとも、像の前で祈る者に煉獄での罪の償いを2万年分免除する《聖グレゴリウスのミサ》など、なかには当時の信仰生活の「俗」な側面が透けて見えるものも含まれます。また、当時ドイツの版画家たちは、まだ絵画では珍しかった非キリスト教的な主題にも取り組むようになっていましたが、メッケネムも、男女の駆け引きや人間と動物の逆転した力関係などをユーモアと風刺を込めて描いています。

本展は、ミュンヘン州立版画素描館や大英博物館などからも協力を得て、版画、絵画、工芸品など100点あまりで構成されます。聖俗がまじりあう中世からルネサンスへの移行期にドイツで活動したメッケネムの版画制作をたどるとともに、初期銅版画の発展と受容や工芸との関わり、コピーとオリジナルの問題、作品に映された当時の社会の様相などにも目を向けます。 
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016meckenem.html [2016/09/12]
 
 
 

『From Life―写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展』三菱一号館美術館





 
 
 







 
 
 
 ああとっても19世紀~、な、三菱一号館美術館らしい企画展。19世紀の女性写真家・マーガレット・キャメロン。
 
 ポートレートが中心であるが、身近な人をモデルに、聖書や歴史、寓話に登場する人物に見立てて撮影された写真には、写真でこういう表現があったのかと少し驚いた。ルネサンス期絵画を思わせるような肖像や聖母群などの宗教的主題を扱うことには、当時から賛否両論があったようである。
 クラックや指紋など、当初は技能の未熟さであると捉えられていたものがかえって写真の味を出すものとして捉えられてからは、次第に意図的に焦点をずらしたり、ネガに傷を付けることであえてボケたような、絵画的効果を狙った写真が作られるようになる。
 
 女性の写真家、ということだけれども、個人写真にしても集合写真にしても、多く展示されていたのは女性モデルのものがほとんどであるし、女性同士の親密さを表現した作品が目立つ。それから聖母子像風の作品も。彼女が、自身が「女性」の写真家であることを強く意識した写真家だったということが見て取れる。
 
 
 キャメロンはもちろんよかったけれど、ミュージアムショップの、エマーソン、スティーグリッツ、サリー・マンの写真集に魅入られた…。



1863年末に初めてカメラを手にしたジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-79)は、記録媒体にすぎなかった写真を、芸術の次元にまで引き上げようと試みた、写真史上重要な人物です。インドのカルカッタに生まれ、英国の上層中流階級で社交生活を謳歌していた彼女は、48歳にして独学で写真術を身につけ、精力的に制作活動を展開します。そして、生気あふれる人物表現や巨匠画家に倣った構図を追求するなかで辿りついたのは、意図的に焦点をぼかし、ネガに傷をつけ、手作業の痕跡をあえて残す、といった革新的な手法でした。 
本展は、キャメロンの生誕200年を記念し、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が企画した世界6カ国を回る国際巡回展であり、日本初の回顧展です。キャメロン絶頂期の極めて貴重な限定オリジナルプリント(ヴィンテージプリント)をはじめ、約150点の写真作品や書簡などの関連資料を通じて、キャメロンの制作意図を鮮やかに際立たせつつ、彼女が切り拓いた新たな芸術表現の地平を展覧します。http://mimt.jp/cameron/midokoro.html [2016/09/11]

『Frida is――石内都展』資生堂ギャラリー ほか


 
 
 
  フリーダ・カーロは実はあまり作品をよく見たことがなかった。彼女のことをもっと早くに知っておくべきだったと思う。彼女の遺品たちを、石内都さんが撮影した写真の展示。
 
 
 表象文化論学会の2016年度の秋の研究集会では、フリーダ・カーロをテーマにした発表があった。その時に「植物」がモティーフとして頻出していることが取り上げられていて、確かに「植物」と「身体」の融合なのである。ああこれはまさに私の領域じゃないか、という…。
 
 ほかの発表との関連もあって、「痛み」というのは女性の身体に関連付けられやすい特別な理由が何かがあるのか、という内容の質問が会場から投げ掛けられた。それはまず絶対にそうであることは間違いないのだけれど、「言うまでもないじゃない」という気持ちが先に立ち、いざ説明しようとすると要点がまとまらない。それって私の関心にとっては決定的に本質的なことなので、今後の課題…。
 
資生堂ギャラリーでは、2016年6月28日(火)から8月21日(日)まで、日本を代表する写真家、石内都の個展「Frida is」を開催します。本展では『Frida by Ishiuchi』、『Frida 愛と痛み』シリーズより31点の作品が展示されます。

2012年、石内はメキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館からの依頼により、メキシコを代表する画家、フリーダ・カーロの遺品を3週間にわたり撮影しました。

フリーダの生家でもある≪青い家≫と呼ばれる博物館で、彼女の死後50年となる2004年に封印を解かれた遺品には、フリーダが身に着けていたコルセットや衣服、靴、指輪などの装飾品に加え、櫛や化粧品、薬品などが含まれていました。石内はこれらの持ち物を丹念に配置し、35ミリのフィルムカメラを手に、自然光の中で撮影しました。フリーダと対話をするように撮った写真は、波瀾に満ちた人生を送ったヒロインとしてのフリーダではなく、痛みと戦いながらも希望を失わずに生き抜いたひとりの女性の日常をとらえています。石内は「同じ女性として、表現者として、しっかり生きた一人の女性に出会ったということが一番大きかった」と言います。

フリーダのシリーズの作品は2013年11月に「PARIS PHOTO 2013」で初公開され、メキシコの出版社・RMより写真集が発売されました。2015年にはマイケル・ホッペン・ギャラリー(ロンドン)で初の大規模な展示が行われ、日本では石内のメキシコでの撮影過程に密着したドキュメンタリー映画『フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように』(監督:小谷忠典)が話題を呼びました。

http://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/past/past2016_04.html [2016/10/02]
 


「エミール・ガレ」展 サントリー美術館


 
 
  ここ最近で行ったガレの展示のなかでは一番好きだった、という気がする。祖国・異国・植物学・生物学・文学という5つの柱を軸にした構成で、スタンダードではあるけれど、バランスが取れていたのかな。


第一章 ガレと祖国
第二章 ガレと異国
第三章 ガレと植物学
第四章 ガレと生物学
第五章 ガレと文学
エピローグ ガレの究極


19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ都市部を中心に沸き起こったアール・ヌーヴォー[新しい芸術]。絵画や彫刻、建築に限らず、生活の隅々にまで良質な芸術性を求めたこの様式は、幅広いジャンルの美術工芸品を発展させ、人々の暮らしを豊かに彩りました。こうしたなか、フランス東部ロレーヌ地方の古都ナンシーで、ガラス、陶器、家具において、独自の表現世界を展開したのが、エミール・ガレ(1846-1904)です。

詩的で、幻想的、そして象徴的なガレの作品は、器であり、テーブルであり、形こそ用途を保ちながら、それに留まらない強いメッセージを放っています。見る者の内に深く染みわたり、心震わす彼の芸術性は、愛国心や異国への憧憬、また幼い頃から親しんだ植物学や生物学、文学などへの深い造詣に裏付けられています。

本展は彼の創造性を、その源となった5つの柱から捉え直し、頂点を探る試みです。国内有数を誇るサントリー美術館のガレ・コレクションから選りすぐりのおよそ100件が一堂に会するとともに、国内の未発表作品約20件を公開することとなりました。またオルセー美術館の特別協力により、日本初出品となるガラス器や、彼の鋭い洞察力と制作過程を示す重要なデッサン類約40件をご覧いただける機会です。詩情豊かな光と影、ガレ・ワールドの醍醐味をお楽しみください。

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_3/