2015/05/31

『ビブリオテカ ヴァニラ』 ヴァニラ画廊



 GW中開催されていた、「ビブリオテカヴァニラ」。

 エドワード・ゴーリー、アリス、緊縛絵、責め絵、女体画、恐怖漫画、エログロ、妖怪、といったものたちからいろいろを集めてきてまとめたといった展示。
 今回初めて知って気になったアーティストは、ミストレス・ノールさん、山田緑さん、鳥居椿さん。

 次は「GOTH展―解剖と縫合」がヴァニラで、「幻想耽美―現在進行形のジャパニーズエロチシズム」展がBunkamuraギャラリーで開催される。 いずれも私のようなコレ系が好きな人間にとっては垂涎モノな企画ばかり。

 ただ、ここ最近ぼんやりと考えているところだけれど、アングラ系アート、カルチャー界隈では「幻想」「耽美」「怪奇」「エロスとタナトス」といったワードがどうにも氾濫しすぎている気がする。そしてそのいずれもが、寺山・乱歩・澁澤的なモノに呪縛されているかのように、それを再生産したり繰り返し語ったり、といったふう(に、私には見えてしまう)。
 彼らがあまりにも強烈で強固な世界を作ってしまったことがおそらくは原因なのだろうか。それを覆するものがなかなか出てくることができないのかもしれない。だけどそれに永遠に安住しているのなら、当の澁澤たちは辟易するにちがいない。

 もちろん、ロリータファッションやらと結びついたりして独自の発展を遂げてはいるのだろうけど、それらも延長線上でありどうにも突き抜け感がない。

 昨年のオルセーでのサド展はフランスでの21世紀的な新しいサド受容を見たような気がした(気がしただけかも?)し、日本ももっとこのあたりに革命児が現れることを密かに期待してしまうのだった。

2015/05/21

旅の記録(青森県弘前市・金木町、2015/05/17~18)



  記号学会の大会を少し早引きして、そのまま青森へ。秋田駅から奥羽本線に乗り込む。もともとは三沢にある寺山修司記念館を訪ねることが目的だった。だが生憎、予定していた月曜日には休館日とのこと。急遽、津軽の太宰治を訪ねるルートに変更し、中継地として弘前へ泊ることにした。(わたし的には寺山も太宰もそれぞれ別の方向性で、どちらも同じくらいに愛おしい存在。)この日は到着した時間が遅かったのでホテルに直行して一晩を過ごす。もちろん、夜の8時という時間帯なんて、街はすでに真っ暗である。

 翌朝、少し早起きをして弘前城公園まで散策。平日の月曜の朝ということで、自転車通学中の数多くの中高生の少年少女たちとすれ違う。30分くらいしたところで弘前城公園に到着、さすがに朝の時間はほとんど人がいなくて、お散歩や体操をしにきているおじいさまやおばあさまがたが何名か。弘前城の天守閣は場所を移転するといって工事の最中だったために、見学は外観のみだった。




 せっかくだから、弘前城公園の植物園も見学。この時季の東北で見ごろの花というと牡丹くらいしかなかったけれど、とにかく植物園自体の面積がとても大きく、なかを散歩するだけでもその価値があると言うものだろう。





観光会館で唯一見ることができたねぷた


  緑に囲まれて整備された公園で新鮮な空気を体内に充満させたあとは、観光ガイドなどには「レトロ洋館」などとして掲載されている、いくつかの建築物を見に行った。ここは元来、外国人が多く住む街だったといい、キリスト教の教会もある。次の予定のために時間が限られていたので、そのうちの旧図書館と外国人の家だけ見学…。いずれも小ぶりな建物だが、かわいらしくて、趣がある。

 弘前には本当はもっと色々と見て回りたいところもあったし、たとえばアップルパイ食べ比べ歩きなどもしたかった。あとは、桜の名所として知られているけれど、確かにその季節に来たらさぞ美しいことだろう。だがほんの短い滞在ではありながら、その魅力は十分に味わえたように思う。またぜひ再び訪れたい、と思わせる場所だった。




   弘前から、今度は予定通り、太宰の生まれの地を訪ねるためにふたたびJR線に乗り込む。太宰治の故郷である金木町へゆくには五所川原から、日本の最北の私鉄であるという津軽鉄道を使う。この鉄道はローカル線というかそれが行きすぎた結果もはや観光路線と化しているといったふぜいで、おそらく現在の用途としては地元の人というよりも観光客向けが主…なのだろうか。中にはガイドさんがいて、車窓からの景色を説明したり、乗客と話をしに来てくれたり、車内販売などもある。

 窓から一面に広がる田園風景を眺めているうちに、金木駅に到着。駅からは徒歩で斜陽館へ向かう。この町は太宰の故郷の地ということで売り出しているようで、駅の周辺には徒歩で回れる距離に、太宰に関連する建物がいくつか点在している。
 こうした有名人のゆかりの地の記念館や文学館の類というのはどうも大々的に喧伝するほどにはたいしたことないことが多いようなイメージがあって、この斜陽館に関してもすごく期待していたというわけではなかった。太宰も自らがあちこちを転々としていただけあって、文学館やら記念碑やらが日本中にいったいいくつあるのかという感じがする。


JR五能線で座席を独占するしな


津軽鉄道




 しかし実際に斜陽館を目の前にすると、かなり立派で大きい建物であることに驚かされた。さすが大富豪であったという、彼の生家というだけある。
 太宰が自身の作品で、彼の父親が建てたという家を『苦悩の年鑑』という作品においてこのように評していたことはよく知られている。「…父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。」 
 なるほど第10番目の子として特に大きな責任を背負うわけではなく、だから期待をかけられることもなく育ったという太宰が、この「ただ大きい」だけの空間のなかで宙づりになっているその違和感やフラストレーションを徐々に募らせていったことが想起される。東京に飛び出し、こことを行き来したという太宰…。
 もしも私が根っからの太宰の崇拝者だったなら、おそらくもうすでにこのあたりで感極まって目頭が熱くなっていたに違いない。情景が幻視できるかのようなのだ。太宰の作品といえばそのうちのほんのわずかしか読んだことがなく、彼に対しては「入水」にちょっと破滅の甘美な響きを感じ取ってしまうののほかは、まあ人並み程度のシンパシーしか覚えることのない私でさえも、彼の生涯を追想しその思いを辿るうちに、異様な心の動きに捉われた。






2階


 館の中も、総じて見どころはかなりたくさんあり、充実していた。あまりたくさん写真を貼ることはしないけれどひとつだけ。この部屋は太宰やその兄弟たちが遊んでいた部屋だという。この壁の左から2番目にかけられた漢詩のなかに、「斜陽」という二文字がある。彼が育った環境にはいつもこの二文字があり、彼のなかの自覚せぬところに染みついていたに違いない。この記憶がやがて、あの作品に結びつくようになるということ。これには少し鳥肌が立ってしまった。








太宰があちこちに出現しすぎである


 そして最後に、見ごたえがあったのはかつて米蔵として使われていたという、太宰関連の資料の展示室。彼の自筆原稿も、さすがに『斜陽』やら『人間失格』やらのものを出してこられると唸ってしまう。それらの外国語訳本なども数多く展示されている。他には学生時代の太宰の落書きノートやら。知らなかったけれど彼はヴェルレーヌが大好きだったようで(たしかに好きそう)、彼の碑にはその一節が刻まれている。

“J'ai l'extase et j'ai la terreur d'être choisi. (選ばれてあることの恍惚と不安と 二つわれにあり)”


 受付の近くにある、訪れた人の感想ノートには多くの太宰への愛のメッセージが。関東やら近畿やら、みんなけっこう遠くから来てるみたいだ。最近では某お笑い芸人がそうであったというのが知られているが、太宰に心酔する熱狂的なファンというのはこれからもきっといなくなることはないだろうし、太宰の作品を愛するひとがいる限りは、この斜陽館もずっとこの地に在りつづけて、訪れた人々に彼の魅力を与えるに違いない。


 この日は青森駅に行ってひととおり観光しようと思っていたのだけれど、時間が遅かったし、やりたいことを済ますには新青森でも充分そうだったので、次回に取っておくことにした。新青森で降りて新幹線とともに開設されたというお土産館をあるきまわる。

(※この後2時間ほど、青森に来てうずまいていた欲望を解消する時間。(ごちそうさまでした。))

海鮮丼と利き酒セットをいただいたよ

最後はリンゴで〆だよ

 思えば、東海道新幹線のほかに新幹線に乗るのは東北新幹線が初めてだ。ぴかぴかえめらるどぐりーんのかっこいい車体に乗り込んで、青森を後にした。
 できることならあと2泊くらいしたかった。まだまだ南東部の半分くらいしか行けていない。青森駅にも降り立ってないし、奥津軽に、白神山地、恐山、八戸や三沢のほうまで…青森はとにかく広い…。


旅の記録 (秋田県秋田市、2015/05/16~17)

   美少女の記号論を見学するために訪れた秋田だけれど、残念なことに観光の時間はほとんど取れなかった。とりあえず自由な時間を確保した、初日の午前中のぶんだけ。

 まず訪れたのは秋田県立美術館。今日は県民のイベントが開催されていたようで、美術館の前の広場にはステージが出現し賑わいを見せていた。



 突如、視界にあらわれるじばにゃん。



 人と店の間をかいくぐり、すっかりと隠れてしまった美術館の入り口を見つける。



 美術館自体は安藤忠雄の設計であるそうだ。
 常設展はほぼ、藤田嗣治。彼の油絵作品と、秋田の祭りや日常の風景を描いたという大壁画。かつて箱根のポーラ美術館だかで見た藤田の展示では、パリ時代を中心とする、西洋をモチーフにした作品が多かった。ここではブラジル、中国といった異国のエキゾチズム、そして琉球や秋田の日本の民族的な絵が半分を占める。彼の作品で代表的なあの乳白色の肌とは異なり、小麦色に焼けた、血色の良い肌色。藤田の新しい側面を知れたような気がする。


 企画展は「田園にて」とされたその題の通り、日本の戦後の50~60年代の風俗画、写真であり、田園風景が中心である。まさに、これぞ日本の農村…という、忘れかけられている情景を思い出させてくれるものだった。

 この美術館は2階がミュージアムショップとカフェになっていて、その窓の外から景色が眺められる。

 


   ここにも、テラスの水面からにょきっと顔を出すじばにゃん。

 県立美術館の後に少しだけ、千秋公園を散歩。ここは久保田城というお城の跡地であるという。このあとにすぐシンポジウムに行ってしまったので、観光は秋田市内の限られた場所しかできなかった。駅周辺を見るだけでもその空気のきれいさや街のふしぎな温かみが伝わってきたのだが、今度はぜひもっと遠くへ足を延ばして、色々と訪れてみたいと思う。






このあとは、そのままバスで秋田公立美術大学へ。こちらについてはまた別途。

2015/05/12

企画展『シネマブックの秘かな愉しみ』 常設展『日本映画の歴史』 国立近代美術館フィルムセンター


 国立近代美術館のフィルムセンターを初訪問。最初、美術館のある竹橋へ行ってフィルムセンターのチケットはどこで買えますかと美術館のチケット売り場で尋ねてしまってからあわてて己の過ちに気付き、メトロで京橋まで向かう。

 常設展である「日本映画の歴史」は1890年代に日本に映画が伝わってから徐々に独自の発展を遂げてゆくさまを時系列に追ってゆく、スタンダードな展示。展示室はさして広くはないながらもその空間に凝縮された充実ぶりは少しも物足りなさを感じさせない。実際の映写機で映し出されたフィルムの映像も見ることができる。


 常設展はそのまま同じフロアの企画展に接続する。この時期の企画展のテーマは「シネマブック」ということで、展示されているものはひたすら映画に関連する書籍。映画と関連するものであれば何でも対象であったらしく、ありとあらゆるものが展示されている。映画という映像の作品が文字や絵として本の世界に広がりを見せてゆくというのは実にロマンチックだと思う。

 個人的に気になったのは、まだ検閲が厳しかった時代、ベテランの人気(?)検閲官が書いたというエッセイやら評論やら。検閲官、アウトなシーンを見つけるためだけにひたすら映画を観る職業のひとが映画についての本を書く。なんだかひどく奇妙なようでもあり、でもちょっと興味ある。

『ルーヴル美術館』展 国立新美術館、『ピクトリアリズム―近代写真の夜明け』展 フジフィルムスクエア

■『ルーヴル美術館展』 国立新美術館




 国立新美術館のルーヴル美術館展。ある程度覚悟はしていたが、平日だというのにかなりの人の数。大盛況というマグリット展も同時に開かれているし、いったいどれだけ集客するつもりなのか…。

 これはサブタイトルが「日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」というもので、選ばれた作品は主に16~19世紀の民衆を描いた風俗画が中心。「ルーヴル」と言う語感が漂わせる壮大さに反して(?)比較的おとなしめの展示である。
 しかし正直なところものすごく楽しみにしている企画展のひとつだったというわけではなかったにもかかわらず、かなり興味深い発見はいろいろとあったし気に入った作品にも出会うことができて、なかなかに満足度が高かった。風俗画にはどうしても地味という印象がまとわりついている気がするけれど、じっと見つめていると徐々に味が出てくるのが分かる。なかなかの曲者である。

 私自身がルーヴル美術館を訪れたときにはもっぱらダヴィンチやらロマン主義やら印象派やらのいわゆる定番どころというべき有名作品を点々と駆け足でめぐっていたので、こうした穏やかな、落ち着いた作品群に意識的に目にとめることはほとんどしなかったことが悔やまれる。とはいえ毎日通うような時間はなかった。ルーヴル美術館、すべてを満足に見て回るためにはいったいどれだけの時間が必要になるのだろう…。



■『ピクトリアリズム―近代写真の夜明け』フジフィルムスクエア




 それから、ミッドタウンにあるフジフィルムスクエアというFUJIFILMが運営している 企画展の、「ピクトリアリズム―近代写真の夜明け」という展示にも足を伸ばしてみた。
 ピクトリアリズム(絵画主義)とは1800年代末期に一世を風靡した写真の潮流です。当時、写真はその記録性のみが注目されており、その「画(え)」は芸術作品としての認識や評価はなされておりませんでした。そんななか写真を芸術と認知させるべく、絵画的な写真を目指す動きが広がりました。ヨーロッパに端を発したこの活動はやがてアメリカへ展開し、ニューヨークではアルフレッド・スティーグリッツらが「フォト・セセッション」(写真分離派)を作り活動しました。 
この写真展では、スティーグリッツをはじめとするピクトリアリズムの写真家たちの作品を展示して、近代写真の夜明けから絵画の模倣に決別を告げるまで、ひたすらに美を追い求めた写真家たちの思いを感じていただける写真展です。
(フジフィルムスクエアHP 企画展ページよりhttp://fujifilmsquare.jp/detail/15020304.html)

 写真史はほとんど未勉強で、だからこうした運動があったことさえ知らなかった。19世紀末愛好家を目指す身としては、知らなかったなんて許せないでしょう……、ということでこちらはその存在を知れただけでもかなりの大きな収穫。写真家はその名前を聞き覚えのある人はいなかったけれど、作品をちらとみただけでもう途方無き19世紀末の芳香が噎せ返るように……というしあわせに浸る。

 ここの写真歴史博物館にはカメラ・オブスクラやゾートロープといった歴史的な視覚装置のレプリカが置かれていて、実際に覗いて体験することができる。入館料も無料。オススメ施設です。

2015/05/10

『若冲と蕪村』展 サントリー美術館

 大学のゼミで扱う書籍も自分で読む本も、最近はもっぱら西洋のものが中心であるから、あまりにも長いあいだ日本要素に触れないでいると、そろそろやばいぞと頭の中で私の中のご先祖様的なか何かが謎の危険信号を発する。
 今回の若冲と蕪村展に関しても、その信号を落ち着かせる目的で前売りを購入していて、会期終了の2日前に訪れたのではあるけれど、実際に作品をこの目で見るとやはり予想していたよりもはるかにいろいろなものが得られるようだ。思わぬ方向からがつんと鉄槌を与えられた感覚。主題、構図、筆触、なにからなにまであまりにも新鮮に感じてしまって、ふだん自分がいかに日本美術に疎かったかということを思い知らされた。と同時に、ああそうよね、これでいいのよね(?)という安堵感のようなものに包まれる。

 頭の中でその意識はあったけれど、ここ1年近くは特に根本的には馴染めるはずもない西洋的な価値観に染まることである種の息苦しさを覚えていたのだと、初めて真に痛感した。ここはさしあたりキリスト教も絶対王政も王立アカデミーも市民革命も社会主義運動も、ありとあらゆる西欧的なものとは無縁な世界なのだもの。

 伊藤若冲は以前から少し気に入っていたけれど、実際の作品を目にしてものすごく好きになった。彼の派手さは「煌びやか」と「ケバい」との間で絶妙な均衡を保っていてそれが実に心地好い。ああもう、この”美”が、日本に於いてではなくてどこで生まれ得るだろうか(小並感)。まっさらの無の空間にしなやかに伸びる梅の花は、枝分かれしたその先端にまで息が通っているようである。華道をしていたころを少し思いだした。


ミッドタウンはすばらしいところ。

2015/05/06

『山口小夜子 未来を着る人』展 東京都現代美術館

 周囲に人を引き寄せて離さない人というのがいる。砂鉄を集める磁石のように。蝶を招き寄せる花々のように。仮にひとりでいても、周りが放っておくことがない。山口小夜子もおそらく、そうした奇特な性質を持つ類のひとりだったろう。



 モデルとしての仕事のみならず、演劇、ダンス、音楽、その他さまざまなパフォーマンスも精力的に取り組んでいた。そのなかには実験的なものも多く、今回の展示ではそうした小夜子のパフォーマーとしての魅力も存分に押し出している。
 彼女がこれほどまでに人を魅惑してやまないのは、単に優美な肢体と、西洋人をも虜にしたというそのオリエンタルな顔つきといった、容姿の要素だけにとどまらないだろう。整った容姿を持つ者であれば世の中には腐るほどいる。

 異論があることは承知だが、ファッションモデルとはマネキンが人間の動きをしたものともいえるんじゃないかと、よく考えてしまう。もし技術が発達して、美女アンドロイドにランウェイを「モデル歩き」させるようにプログラムできるようになったなら、もはや人間のモデルは必要とされない、ということもありえるのではなかろうか…というのは極端ではあるが、あながち突飛な発想というわけでもない気がする。服を纏って舞台の上を歩くことのできる美しいカラダが存在するのなら、それがコンピュータ制御によるものだとしても同じことだ。その時にはもはや人間という生身の肉体が取って代わられる。
 あるいはロボットを考えなくても、ファッションモデルという存在を、すでに私たちは人形的なものとして眺めているとはいえないか。ファッションショー、コレクションの発表においてはあくまでも主役は纏われている服でありそれを着る身体ではない。モデルが誰であるかは多くの場合、問題とならない。むしろ衣装を際立たせるためにも、着る者の内面などというものはなるべく押し殺さなくてはならないのではないか。引き立て役に徹し、自身が目立ってはならない。だからモデルは通常は、ある頃合いを過ぎたら引退することになるし、新たな若いモデルをと次々と求められてゆく。もちろん特定のファンがつくことなどもあるだろうが、あくまでも一般の人にとってみれば、ファッションショーを見るときにモデルが誰であるかを知ることは第一に優先すべきことではないはずだ。

 では小夜子の場合はどうか。彼女が仮にアンドロイドであったなら、あるいは人形としてしか見られていなかったなら、このように固有名詞がひとつのジャンルとして確立し、回顧展までが開かれるなどということはまず有り得ないだろう(それも数百年後の未来にはカリスマアイドルロボットみたいなのが現れているかもしれないけれど)。

 そんなロボットには現時点でおそらく不可能な彼女の魅力とは何なのだろう。ここまで色々と書いておいて答えになっていない答えではあるが、つまりは彼女の内面、その強烈な個性というものに由来することは間違いない。一体どこから湧き出てくるのか、ディスプレイ越しにでも、つたわってくるのは彼女が自らのうちに抱えるエネルギーのような何かである。というよりもそれこそが、彼女という存在を異様な魅力で満たす要素であったのだろう。それは肉体の微細な動きにまで反映される。一挙一動が、隙なく、指先まで、それでいてしなやかで――。
 その効果は彼女に着られた衣装を見ることによっても一目瞭然である。不要であるはずの内面を、個性を、「小夜子」という固有名詞を、こんなにも表出しておきながら、彼女は衣装を駄目にはしていない。むしろ逆である。自分の個性と自らから溢れだしてくる何かをうまく融合させることによって、纏われる衣装がこんなにも生き生きとし、それ自体に魅力を孕むものなのか。山本寛斎のショーに小夜子が不可欠であったとされた理由が分かるような気がした。





 この人の身体とは一体何物なのか。彼女の、こういってしまえば存在意義は、多くの人々にとっては「モデル」として認知されており、私たちは彼女のことをあくまでもその「肉体」としての役割しか知ることはなかった。今のようにインターネットも発達していなかったこともあり、多くの人々には「テレビで見かけるきれいな東洋風のモデルさん」くらいの認識しかなく、彼女の活動的な側面はあまり認知されることがなかった。このように肉体としての意味においてしか認知されることがないというのは、彼女の徹底して受動的な人形性を示している。他方で、指示されたポーズに彼女なりの表現が含められるとき、あるいは演者としてパフォーマー、役者として「小夜子」を発揮するときに、彼女の能動的な側面が突如現れ、彼女の肉体が壮絶なエネルギーを発現する役割を果たしていることを示すかのようにも見える。いずれにしても彼女はそのことによって結局、数え切れぬほどのひとびとの視線を一身に引き受ける者であった。
 主体性と客体性という両極が交錯し融合した場となった肉体、壮絶なまでのエネルギーの器としてあった肉体を持つ小夜子という人間の生とは、一体何だったのだろう。
 ウェアリスト。彼女はそのような言葉で自らを称していたという。肉体とは、身体とは何なのか、纏うこととは何なのか、あらためて考え直さずにはいられない展示だった。
 
 それから私が個人的に心を奪われたのは彼女の声であった。展示室にはいくつか映像作品もあり、そのうちで山口小夜子本人が語りを披露しているものも存在する。彼女の朗読の声は凛と張り、心を沈静させると同時に粟立たせる。奇妙なことにアンドロイドから発せられる金属的な声音のように感じてしまったのは偏った先入観があるせいだろうか。モデルでの仕事では通常、声を出すことはなく、朗読などのパフォーマンスにあたって初めて声という要素が登場する。人造美女における声という概念を論じている書籍もあるが、彼女において声とは何だったのか。



 また会場には、等身大の人形や、小夜子の顔をかたどったマスクを用いた映像なども展示されていた。そうして写し取られて複製されてゆく「小夜子の型」。これには彼女の肉体が持っていた霊性のようなものは失われてしまっているのだろうか。しかし逆に言えばこのようにひとびとによって模られて再現されるということは小夜子がいかに強烈なそうしたアウラ的なものをもっていたかということを示すことともいえる。
こうしたさまざまな要素において、人間の女の身体というさまざまなものについての面白い視点が得られたという気がする。この記事において自分でも何を言っているかぜんぜんよくわからないし、現段階ではとても考えがまとまらない。人形や人造美女、少女性といった観点も含めて興味深い……。

 とはいえ、この展覧会を通じてあれやこれやと妄想を巡らせたところで、私たちが見るのはあくまでも私たちが彼女に投影する彼女「像」以外の何物でもない。彼女のほんとの姿(そんなものがあるのなら)など誰だって知る由もない。ただひたすらに、彼女の存在という圧倒的な美の前に立ち眩んで魅惑されて(場合によっては私のように崇めたてまつる)ことこそが、この展覧会の醍醐味であるのだと思う。