2016/07/07

「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」Bunkamura ザ・ミュージアム


 
 
 ――花に熱狂し、田園に遊ぶ
 
 まさにこのコピーの通り、18世紀フランスの田園のイメージが凝縮されている、といった展示。Bunkamuraらしさの溢れる企画で、鑑賞者も30~50代くらいの女性がほとんど。 
 
 展示を眺めながら思い出してしまったのは、『下妻物語』の冒頭部分。当時の宮廷の人々にとって「田園」という場所は憩いの地だったのだけど、それは日常生活とつながりの深いものだったのか、それともやはりひと夏に一度、のような別荘地的な扱いだったのか。田舎の生活やら、工場の労働姿やら、習俗やら祭りやら、そんなものをモティーフにしてあえて布にプリントしてつかうなんて、実際に田舎に住んでいたならばすることはないだろうから、貴族らにとっては田園は一種の理想郷だったのかもしれない。
 パリをはじめ「都市」という概念が明確化する頃には「田園」は「都市」と対立的に捉えられるようになるし、19世紀の装飾芸術は「田園」が都市からの逃避先となり、それが植物や動物などの自然のモティーフにあらわれる。
 そうした流れを綴った「田園」の文化史、みたいな本があればぜひ読みたい。ないことはなさそうだけども、大方は美術史のなかでの扱いになるのだろうか。
 
 展示品を見る限り、絵柄の特徴としては植物がやはり多いのだが、興味深いのは植物の形態を描くに際しては写実性重視で抽象度は低く、模様にするにしてもあくまで草花のかたちはとどめて散らしているというものがほとんどだったこと。インドからの曼陀羅的な模様の受容とみられるようなものもあって、一概には言えないかもしれないが。
 モリスに大きな影響を及ぼしているとのことだけど、時代が下るにつれてどのようにこうした更紗の模様の流行が変化したかについてはきちんと見なくてはならない。様式化、抽象化の傾向が強まっているのは確かだとは思うけれども。
 
 
 他に気になったモティーフのひとつに、奇妙な鳥の絵があった。ニワトリ、コウノトリ、ツルを合わせた架空の鳥でありそれぞれのスペルを取って「コクシドル」というらしい。グロテスク文様を彷彿とさせる。あとはパイナップルとか、南国風の布もあったり。シノワズリも見受けられたり。
 
 植物や動物の模様以外には、それこそ人間の歴史や風俗、自然、神話にいたるまで(さすがに宗教はなかった?)、ありとあらゆるジャンルの絵があって、例えばアメリカ独立戦争やら、四大陸の寓意像やら、ルソーの墓やら、絵画なのではと思いたくなるような主題(?)をプリントしているものも。こんなものを布にして、いったいどのあたりの層から需要があったのかしら、そしてなにに使うのかしら…。あとはタブローと違って布の模様なので、一枚に複数の時間と場面がランダムに配置されているというのも新鮮だった。異時同図法、ではないけれど。
 
 ただ「ふ~ん可愛い~」で終わるかもと思っていたけど、絵画ではないことがむしろいろいろな点についてあらためて考えさせてくれる展示だった。
 

 ドイツ出身のプリント技師、クリストフ=フィリップ・オーベルカンプ(1738−1815年)によってヴェルサイユ近郊の村、ジュイ=アン=ジョザスの工場で生み出された西洋更紗、トワル・ド・ジュイ(ジュイの布)。
工場が設立された1760年から閉鎖する1843年までにこの工場で生み出されたテキスタイルのデザインは3万点を超えると言われ、人物を配した田園風景のモティーフだけでなく、様々な花が散りばめられた楽しいデザインのコットンプリントが数多く伝えられています。

 トワル・ド・ジュイ美術館の全面協力を得て開催される本展は、西洋更紗トワル・ド・ジュイの世界を日本国内で初めて包括的にご紹介するものです。田園モティーフの源泉をフランドルのタぺストリーにたどり、世界中を熱狂させたインド更紗を併せてご覧いただくことで、オーベルカンプの工場とトワル・ド・ジュイの誕生と発展の物語を紐解き、独自の魅力を発見していただく機会となることでしょう。


○田園モティーフの源泉

中世にその芸術的頂点を向かえたタペストリー。トワル・ド・ジュイを始めとするヨーロッパのテキスタイルに描かれた田園モティーフは、とりわけ15〜17世紀に盛んに作られたフレミッシュ・タペストリーの中に花開いています。本展では、トワル・ド・ジュイの代名詞ともなった、人物が田園に遊ぶモティーフの源泉の一つとして、フランドルの美しい野山や田園風景を多色の羊毛で豪華に織り上げたオーデナールデのタペストリーをご紹介します。


○インド更紗への熱狂

トワル・ド・ジュイを始めとする西洋更紗の源泉は、17世紀後半以降に東インド会社によってもたらされたインド更紗にあります。エキゾチックな花や動物で彩られ、洗濯も可能だったこのコットンプリントは、それまで絹やウールに親しんできたヨーロッパの人々の間に一大ブームを巻き起こし、実用的な布としてドレスや室内装飾に取り入れられました。
日本でも熱狂的に受け入れられたインド更紗は、着物や茶道具の仕服などに仕立てられて大切に受け継がれ、現代でも多くの更紗ファンがその色あせない美しさに魅了され続けています。


○トワル・ド・ジュイ工場の設立

爆発的な更紗の流行が絹やウールなどの伝統的なテキスタイルの生産者の怒りを買い、フランスでは更紗の製作と綿の輸入だけではなく、着用すら1686年から73年もの間禁止されてしまいます。ついに、禁止令が解かれんとする頃、パリの捺染工場からオーベルカンプのいたスイスに優れた捺染技術者を求める使いが派遣されました。弱冠20歳のオーベルカンプは誘いを受けてパリに赴き、1760年にヴェルサイユ近くのジュイ=アン=ジョザスの地に自らの小さな捺染工場を設立。これがのちに最も成功した西洋更紗となるトワル・ド・ジュイの工場の始まりでした。


○木版プリントに咲いた花園

木版プリントによるテキスタイルは、インド更紗のエッセンスを引き継ぐエキゾチックで様式化されたデザインから始まり、次第にフランス流の花模様を発展させ、3万種を超えるデザインが生み出されました。バラ、ライラック、忘れな草など、身近な花々が西洋の装飾文様とともに自然界の姿そのままに咲き乱れ、インド更紗とは趣の異なるフランス流の花園が展開したのです。なかでも、ぎっしりと生い茂る草花が描きこまれた《グッド・ハーブス(よく売れた「素敵な草花」の意)》は最も人気のあったデザインの一つで、様々なヴァリエーションが幾年にも渡って製作されました。


○銅版プリントに広がる田園風景

1770年からオーベルカンプは銅版を用いた技術を採用し、人物を配した風景を単一の色調で染め上げる銅版プリントのテキスタイルに力を入れていきます。田園風景、神話や文学、歴史、アレゴリーなど、多岐に渡る主題で数々のデザインを銅版プリントによって製作。動物画家のジャン=バティスト・ユエをその筆頭デザイナーに採用し、優美な物腰の人物像が動物たちとともに田園の中に遊ぶ、洗練されたデザインのテキスタイルを作り上げていきます。好景気にも後押しされ、事業は順調に成長して工場は大規模化。その評判は宮廷にも届くところとなり、1783年にはルイ16世によってオーベルカンプの工場は「王立」の称号を与えられました。


○受け継がれる西洋更紗の魅力

フランス革命後には、オーベルカンプの工場も、徐々に衰退の道をたどることになります。1815年にオーベルカンプが死去して30年もたたないうちに工場は閉鎖しています。しかし、トワル・ド・ジュイを始めとする西洋更紗の魅力は、ウィリアム・モリスやラウル・デュフィなど、後世のアーティストたちに影響を与えただけでなく、今日でも優雅で楽しいフランスのデザインの一つとして様々な形で親しまれています。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_toiledejouy/ [2016/07/03]

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