2016/07/16

「ライアン・マッギンレー BODY LOUD !」東京オペラシティ アートギャラリー


 
 
 ずっと気になってはいて、友人のおすすめで背中を押されて会期末間際に駆け込み。
 
 展示空間に入ってすぐに感じたのは、彼の作品の世界は自分の普段棲みついている世界にかすりさえしないということ。単に異質であるというだけならよくある(というか私の趣味がわりと特殊なのでこの世の大抵は異質なもの)。しかし摩擦すら生じないということは滅多にない。大抵はどこか一部が少しでも響き合うか、あるいは嫌悪感を覚えて拒否反応が生じるかどちらかはあるのに、奇妙なことに私の中の何も一切反応しない。だから写真を前にして、ぼうっと眺めるだけである。もちろん嫌なのではないし、しかしかといって心がリフレッシュされるとか、洗われるというのとも違って、本当に虚を突かれて呆けてしまう、という感じ。
 
 不思議なのは、まるで屈折したものが感じられない、ということではない。健康的とかいっても単なる白痴的健全性、というのとはどこか違う。それがいったい何なのかはうまく言語化できない。
 
 
 ところで「健全」なヌードという言葉にこれほど相応しいヌードって、これまであまり見たことがないかもしれない。学校の教科書的な「健全」なヌードというのは、ヌードに本来あるはずの性的な含みを持たせまいと健全さをあえて装おうとするがゆえにその裏の猥褻さを透かし見せてしまうものだと思うのだけど、そういうものではない。モデルたちのヌードは理想的な身体美を体現しているわけではない。あるいはヌード・ビーチ的な、なんというかオープンに「性」を謳歌しましょうという余計なお世話だ系の「健全」さともまた違う。彼らは乱交パーティを始めちゃうわけじゃない。
 だから「健全」ってなんなんだよ、ということではあるのだけど、それでも彼の作品は健全という表現がしっくりくる、気がしてしまう。
 
 「性」は確実に現前している(ように私には思える)のに、それがこの世ならぬものであるかのようにあまりにも無菌的。知恵の実を食べる前のアダムとイヴの楽園だろうか。「ユートピア」という言葉が展示の説明にも使われていたけれど。いずれにせよ写真についてもヌードについても甚だしく勉強不足なのでへたなことはいえない。
 
 ここ最近の企画展では、FacebookをはじめSNSに最もよく報告のアップされるのを見かける展示だったかも。撮影OKだったし、ヴィヴィッドで華やかだし。
 
 

 気に入った作品を何点か。


 



 
 
 


 ライアン・マッギンレー(1977- )は、2003年に25歳という若さでニューヨークのホイットニー美術館で個展を開催し、以後もポートレイトと風景写真にさまざまな新機軸を打ち出して「アメリカで最も重要な写真家」と高く評価されています。
 マッギンレーは、北米の田園風景、野外コンサート会場、あるいはスタジオのなかで、巧妙に光を操りながら場面を設定しつつ、被写体の予期せぬ動きや“ハプニング”を意識的に取り入れて撮影を行います。過去のさまざまなヴィジュアルイメージを参照しながら、微細で洗練された色彩と構図の作品が表現する、自由で過激、そしてときに純粋なユートピアのような世界は、古き良きアメリカのイメージと重なると同時に、仮想と現実が混在する現代という時代をそのまま反映した表現となっているといえるでしょう。
 日本の美術館では初個展となる本展では、作家自選による、初期から最新作までの約50点でその全貌を紹介します。


◇解放された精神の自由を捉える「ヌード」の美しさ

マッギンレーの作品に登場する人物たちは、そのほとんどがヌードです。とくに特徴的なのが、見渡すかぎりの広大な草原のなかを疾走し、小高い木の上から飛び、雪原に横たわる全裸の被写体たちの奇妙な行為です。彼らは皆プロのモデルではなく、マッギンレーは、衣服を脱いだ彼らがふと垣間みせる一瞬のふるまいを作品にしています。マッギンレーのヌード写真は、表面的な美しさと言うよりも、日常の制約や束縛から解放された精神の自由を捉えているといえるでしょう。被写体となる人物が、思わず自己を忘れて自由奔放に振る舞う瞬間こそが、モデルとの共犯、つまりマッギンレーが共同作業と呼ぶ制作姿勢なのです。 
http://www.operacity.jp/ag/exh187/[2016/07/16]



 ちなみに今月の芸術新潮の特集は日本ヌード写真史。


芸術新潮 2016年 07 月号
芸術新潮 2016年 07 月号
posted with amazlet at 16.07.16

新潮社 (2016-06-25)

「いま、被災地から――岩手・宮城・福島の美術と震災復興」東京芸術大学大学美術館


 
 
 東日本大震災によって美術作品や文化資源が被った損害は計り知れず、この展示はそこから一歩ずつ復興へと歩みを進める今現在の状況を伝えている。約5年後における途中経過の報告、といった趣旨のよう。震災をひとつのテーマとして扱った大きな展示はこれまであったのだろうか。
 
 東北という地名は3.11以降、人々の中で地震と津波という負のイメージと切り離し難くなってしまったように思うけれども、以前訪れた際に感じた東北という地の有している風土と空気はこれらの土地に縁のある作家たちの作品を並べた前半の章で触れることができる。
 
 博物館、美術館における資料保存について授業で少し勉強する機会があったということもあって、後半の修復についての章も興味深く見た。(先生によれば)修復の際に大事なのは、「何が資料の価値か?」を見極めることであり、優先順位を考慮すべきであって、闇雲に復元しようとすれば良いというわけではない。もとよりすべてを元通りにすることなど不可能なのだから。可能な範囲での最善を目指すこと。知恵と技術を尽くしての修復は現在進行形であって果たしていつか終わりを迎えるのかは分からないけれど、今後の経過にも目を配っていなくてはならないと感じた。
 
 
 2011年の東日本大震災では陸前高田市立博物館、石巻文化センターなど多数のミュージアム施設が被災して、貴重な文化財をはじめとして多くの文化資源、美術資料が損傷しました。しかしその直後から支援の手が全国から差し伸べられ、資金援助や寄附などもあり、復興活動が始まりました。
 美術資料に関しては全国美術館会議がいちはやく東日本大震災復興対策委員会を立ち上げて、岩手県、宮城県、福島県の県立美術館などと連携しながら作品の救出、修復、復元などの事業を計画的、継続的に実施してきました。
 2016年を迎えてもその作業は終わりませんが、それらの経過を報告する企画展が東京の東北地方への玄関口ともいえる上野で開催されます。被災状況、救出活動などを臨場感あふれる写真で紹介し、修復された作品の一部を展示するとともに、この機会に東北地方ゆかりの近現代作家の秀逸な作品を一堂に展示いたします。文化財保護を考える一方で東北地方の豊かな美術文化の土壌を体感できる貴重な機会となります。  
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/tohoku/tohoku_ja.htm[2016/07/16]

2016/07/07

「生誕300年 伊藤若冲展」東京都美術館


 
 
 
 
 
 


伊藤若冲(1716-1800)は、18世紀の京都で活躍したことで知られる画家です。繊細な描写技法によって動植物を美しく鮮やかに描く一方、即興的な筆遣いとユーモラスな表現による水墨画を数多く手掛けるなど、85歳で没するまで精力的に制作を続けました。 本展では、若冲の生誕300年を記念して初期から晩年までの代表作約80点を紹介します。若冲が京都・相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅が東京で一堂に会すのは初めてです。近年多くの人に愛され、日本美術の中でもきら星のごとく輝きを増す若冲の生涯と画業に迫ります。 
http://jakuchu2016.jp/#!/outline [2016/07/07]

「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」国立新美術館


 


 ルノワール。前回、国立新美術館で開催された展覧会が2010年(「ルノワール―伝統と革新」)で、当時私は高校生だったが、展示を訪れたことは今でもやけに濃く記憶に残っている。そのときはまだ絵画にも全く詳しくはなかったし、ルノワールはとっつきやすい対象だったのかと思う。
 今はといえば、正直なところこの画家にはそれほど心惹かれるわけではない。6年前から嗜好が変わったというのではなく、他の色々な画家を知ってしまったために、相対的に興味が薄れたのだろう。

 今回の展示はオルセーとオランジュリーの所蔵する作品がほとんどで、今回の注目作品はポスターにも使われている《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》。


 思いがけず猫の登場する二点が気に入った。

 ひとつは会場入ってすぐ、最初に展示された《猫と少年》という作品。1868年とかなり初期のものであるそうだが、画面全体が寒色で覆われていてこちらを振り返る青白い肌の裸体の少年にはどきっとするような妖しさがある。ルノワールがもしこの路線をそのまま進んでいたならもう少し、彼を好きになっていたかもしれないなどと思う。

 もうひとつが、有名な作品なのかもしれないけれど《ジュリー・マネ》。ベルト・モリゾとウジェーヌ・マネ(エドゥアール・マネの弟)の娘がこれも猫を抱いて笑みを湛えている。それが画家の他の少女たちの健全で屈託のない表情とは違ってこの子だけ何かワケありっぽくて…とみえるのは私の心が歪んでいるから、たぶん。




 それ以外の作品の中にはパリに行ったときにオルセーで見たわと思い出すのもいくつか。


 「別にこれ、パリに行けば見れるし」みたいなこと、言ってみたい。

「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」Bunkamura ザ・ミュージアム


 
 
 ――花に熱狂し、田園に遊ぶ
 
 まさにこのコピーの通り、18世紀フランスの田園のイメージが凝縮されている、といった展示。Bunkamuraらしさの溢れる企画で、鑑賞者も30~50代くらいの女性がほとんど。 
 
 展示を眺めながら思い出してしまったのは、『下妻物語』の冒頭部分。当時の宮廷の人々にとって「田園」という場所は憩いの地だったのだけど、それは日常生活とつながりの深いものだったのか、それともやはりひと夏に一度、のような別荘地的な扱いだったのか。田舎の生活やら、工場の労働姿やら、習俗やら祭りやら、そんなものをモティーフにしてあえて布にプリントしてつかうなんて、実際に田舎に住んでいたならばすることはないだろうから、貴族らにとっては田園は一種の理想郷だったのかもしれない。
 パリをはじめ「都市」という概念が明確化する頃には「田園」は「都市」と対立的に捉えられるようになるし、19世紀の装飾芸術は「田園」が都市からの逃避先となり、それが植物や動物などの自然のモティーフにあらわれる。
 そうした流れを綴った「田園」の文化史、みたいな本があればぜひ読みたい。ないことはなさそうだけども、大方は美術史のなかでの扱いになるのだろうか。
 
 展示品を見る限り、絵柄の特徴としては植物がやはり多いのだが、興味深いのは植物の形態を描くに際しては写実性重視で抽象度は低く、模様にするにしてもあくまで草花のかたちはとどめて散らしているというものがほとんどだったこと。インドからの曼陀羅的な模様の受容とみられるようなものもあって、一概には言えないかもしれないが。
 モリスに大きな影響を及ぼしているとのことだけど、時代が下るにつれてどのようにこうした更紗の模様の流行が変化したかについてはきちんと見なくてはならない。様式化、抽象化の傾向が強まっているのは確かだとは思うけれども。
 
 
 他に気になったモティーフのひとつに、奇妙な鳥の絵があった。ニワトリ、コウノトリ、ツルを合わせた架空の鳥でありそれぞれのスペルを取って「コクシドル」というらしい。グロテスク文様を彷彿とさせる。あとはパイナップルとか、南国風の布もあったり。シノワズリも見受けられたり。
 
 植物や動物の模様以外には、それこそ人間の歴史や風俗、自然、神話にいたるまで(さすがに宗教はなかった?)、ありとあらゆるジャンルの絵があって、例えばアメリカ独立戦争やら、四大陸の寓意像やら、ルソーの墓やら、絵画なのではと思いたくなるような主題(?)をプリントしているものも。こんなものを布にして、いったいどのあたりの層から需要があったのかしら、そしてなにに使うのかしら…。あとはタブローと違って布の模様なので、一枚に複数の時間と場面がランダムに配置されているというのも新鮮だった。異時同図法、ではないけれど。
 
 ただ「ふ~ん可愛い~」で終わるかもと思っていたけど、絵画ではないことがむしろいろいろな点についてあらためて考えさせてくれる展示だった。
 

 ドイツ出身のプリント技師、クリストフ=フィリップ・オーベルカンプ(1738−1815年)によってヴェルサイユ近郊の村、ジュイ=アン=ジョザスの工場で生み出された西洋更紗、トワル・ド・ジュイ(ジュイの布)。
工場が設立された1760年から閉鎖する1843年までにこの工場で生み出されたテキスタイルのデザインは3万点を超えると言われ、人物を配した田園風景のモティーフだけでなく、様々な花が散りばめられた楽しいデザインのコットンプリントが数多く伝えられています。

 トワル・ド・ジュイ美術館の全面協力を得て開催される本展は、西洋更紗トワル・ド・ジュイの世界を日本国内で初めて包括的にご紹介するものです。田園モティーフの源泉をフランドルのタぺストリーにたどり、世界中を熱狂させたインド更紗を併せてご覧いただくことで、オーベルカンプの工場とトワル・ド・ジュイの誕生と発展の物語を紐解き、独自の魅力を発見していただく機会となることでしょう。


○田園モティーフの源泉

中世にその芸術的頂点を向かえたタペストリー。トワル・ド・ジュイを始めとするヨーロッパのテキスタイルに描かれた田園モティーフは、とりわけ15〜17世紀に盛んに作られたフレミッシュ・タペストリーの中に花開いています。本展では、トワル・ド・ジュイの代名詞ともなった、人物が田園に遊ぶモティーフの源泉の一つとして、フランドルの美しい野山や田園風景を多色の羊毛で豪華に織り上げたオーデナールデのタペストリーをご紹介します。


○インド更紗への熱狂

トワル・ド・ジュイを始めとする西洋更紗の源泉は、17世紀後半以降に東インド会社によってもたらされたインド更紗にあります。エキゾチックな花や動物で彩られ、洗濯も可能だったこのコットンプリントは、それまで絹やウールに親しんできたヨーロッパの人々の間に一大ブームを巻き起こし、実用的な布としてドレスや室内装飾に取り入れられました。
日本でも熱狂的に受け入れられたインド更紗は、着物や茶道具の仕服などに仕立てられて大切に受け継がれ、現代でも多くの更紗ファンがその色あせない美しさに魅了され続けています。


○トワル・ド・ジュイ工場の設立

爆発的な更紗の流行が絹やウールなどの伝統的なテキスタイルの生産者の怒りを買い、フランスでは更紗の製作と綿の輸入だけではなく、着用すら1686年から73年もの間禁止されてしまいます。ついに、禁止令が解かれんとする頃、パリの捺染工場からオーベルカンプのいたスイスに優れた捺染技術者を求める使いが派遣されました。弱冠20歳のオーベルカンプは誘いを受けてパリに赴き、1760年にヴェルサイユ近くのジュイ=アン=ジョザスの地に自らの小さな捺染工場を設立。これがのちに最も成功した西洋更紗となるトワル・ド・ジュイの工場の始まりでした。


○木版プリントに咲いた花園

木版プリントによるテキスタイルは、インド更紗のエッセンスを引き継ぐエキゾチックで様式化されたデザインから始まり、次第にフランス流の花模様を発展させ、3万種を超えるデザインが生み出されました。バラ、ライラック、忘れな草など、身近な花々が西洋の装飾文様とともに自然界の姿そのままに咲き乱れ、インド更紗とは趣の異なるフランス流の花園が展開したのです。なかでも、ぎっしりと生い茂る草花が描きこまれた《グッド・ハーブス(よく売れた「素敵な草花」の意)》は最も人気のあったデザインの一つで、様々なヴァリエーションが幾年にも渡って製作されました。


○銅版プリントに広がる田園風景

1770年からオーベルカンプは銅版を用いた技術を採用し、人物を配した風景を単一の色調で染め上げる銅版プリントのテキスタイルに力を入れていきます。田園風景、神話や文学、歴史、アレゴリーなど、多岐に渡る主題で数々のデザインを銅版プリントによって製作。動物画家のジャン=バティスト・ユエをその筆頭デザイナーに採用し、優美な物腰の人物像が動物たちとともに田園の中に遊ぶ、洗練されたデザインのテキスタイルを作り上げていきます。好景気にも後押しされ、事業は順調に成長して工場は大規模化。その評判は宮廷にも届くところとなり、1783年にはルイ16世によってオーベルカンプの工場は「王立」の称号を与えられました。


○受け継がれる西洋更紗の魅力

フランス革命後には、オーベルカンプの工場も、徐々に衰退の道をたどることになります。1815年にオーベルカンプが死去して30年もたたないうちに工場は閉鎖しています。しかし、トワル・ド・ジュイを始めとする西洋更紗の魅力は、ウィリアム・モリスやラウル・デュフィなど、後世のアーティストたちに影響を与えただけでなく、今日でも優雅で楽しいフランスのデザインの一つとして様々な形で親しまれています。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_toiledejouy/ [2016/07/03]

2016/07/06

「複製技術と美術家たち ― ピカソからウォーホルまで」横浜美術館


 
 
 現代美術の教科書のような企画展。『複製技術時代の芸術』や『写真小史』のベンヤミンの言葉を導き手として展開する。展示にはそれほど目新しい視点があったというわけでもないと思うけれど、20世紀の版画や写真を中心として、技術の進歩と芸術との関連性を丹念に辿っている。何より展示数が非常に多く、大作こそ少ないが中心的な作家は大方取り上げられていたので、流れをおさらいすることができた。 
 
この展覧会は、写真印刷や映像などの「複製技術」が高度に発達・普及し、誰もが複製を通して美術を楽しむことができる時代に、ピカソをはじめ20世紀の欧米を中心とする美術家たちが、どのような芸術のビジョンをもって作品をつくっていったのかを、富士ゼロックス版画コレクションと横浜美術館の所蔵品によって検証するものです。

ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)は、写真発明以降「複製技術」の発展・普及によって、人々の感じ方や芸術作品の受け止め方、芸術への期待が大きく変化し、絵画や演劇などの伝統的な芸術作品にとって危機的状況が生まれたと指摘しました。
実際、20世紀には古典的な美術のイメージを払拭するさまざまな潮流が登場しました。キュビスムやフォーヴィスムなどの空間と色彩の新しい表現に始まり、第一次大戦後は伝統的な美の概念を覆すダダ(反芸術)や、抽象的な様式を確立して理想の社会を目指すバウハウスやロシア構成主義、無意識の探求によって人間を解放しようとするシュルレアリスム、第二次大戦後には大量消費社会を反映したポップ・アートが現れ、1960年代にはゼログラフィー(電子写真・複写技術)が美術作品に導入されました。
こうした20世紀の美術史を「複製技術」という時代背景から見直すことで、芸術作品の危機に対する美術家たちの挑戦として読み解くことが本展のねらいです。

横浜に主要な拠点を持つ富士ゼロックス株式会社と横浜美術館のコレクションの共演となる本展は、双方に共通する代表的な美術家の作品を中心に、版画、写真、書籍など複製技術を用いた多様な作品と、油彩画や彫刻など伝統的なメディアによる作品を合わせた約500点を5つの章立てで紹介し、複製テクノロジーが浸透する現代の先駆けとなった時代の美術家たちの挑戦を浮き彫りにします。

主な出品作家:
ナダール、アジェ、ピカソ、ブラック、マティス、クレー、カンディンスキー、シュレンマー、ファイニンガー、ガボ、シュヴィッタース、フォルデンベルゲ=ギルデヴァルト、エル・リシツキー、ロトチェンコ、モホイ=ナギ、アルプ、タンギー、ブロースフェルト、ザンダー、エルンスト、デュシャン、マン・レイ、マッタ、ヴォルス、コーネル、マザウェル、ウォーホル、オルデンバーグ、斎藤義重、吉田克朗  ほか
http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20160423-463.html [2016/05/31]

2016/07/03

「夜想*髑髏展」、「劇団イヌカレー・泥犬「床下展」」、駕篭真太郎原画展 パラボリカ・ビス


 
 夜想のテーマ展ということで久々にパラボリカ・ビス訪問。今回は髑髏。骸骨。しゃれこうべ。スカル…。
 「夜想」系のものに染まってはいても、昔から「髑髏」というモティーフにはそれほど心惹かれたことがなかったし、どちらかというとあまり好きではない。ダサいヤンキーの人がちゃらちゃらとアクセサリーにしたりワッペンにしたりというようなイメージがあるからかも。
 
 というのは半分ほどは冗談で、骨というものが無機的に思えるかもしれない。九相観図などでも、腐敗してゆく過程は面白く見るのだけど、白骨化してしまったらそこで終わりで、あとは自然の力で風化するのを待つだけ。そこから何か悍ましいものが現れ出る気配もない。
 あとはこれも冗談みたいな理由ではあるけど、単純に、単に骸骨になってしまったときの風貌(?)がかっこよくないからかも。アンパンマンのホラーマンみたいに、髑髏は「怖い」だけではなくて、だいぶ滑稽な印象を抱かせる。口は笑っているみたいだし。もう少し凛々しかったら好きだったかもしれない…。でもつまりおしなべて人間の本質ってこういうことなのね。
 
 部分的な、「白骨」というだけなら色々と妄想は膨らむのだけど。
 
 と必ずしも展示のテーマに関心があったわけではないのだが、出向いたのはだからこそというべきかその髑髏の良さと魅力みたいなものを分かりたかったためというのがあった。
 
 
 同時開催は劇団イヌカレーさんの個展と、駕篭真太郎さんの原画展。
劇団イヌカレーさんは「まどマギ」で知って気になっていた。「床下」がテーマ。可愛い。
 
 駕篭さんの作品は初めてきちんと見た。丸尾末広に代表されるエログロナンセンスには明らかに耽美的な傾向があって、それを「悪趣味」の口実にできるというか、不快さと美とを混成させることによって罪悪感を解消してしまうような効果が得られると思うのだけど、同じような指向のものが直球の「ギャグ」でこられると(私にとっては)とんでもなくエゲつなく、曰く言い難い不穏な気持ちになる。風刺画と同じような効果かも。展示にあった中絶と水子をテーマにしたお話は不覚にも笑ってしまったが。

 


髑髏は死そのものの象徴でありますが、
身体と霊性をまだ残像させている生と死の狭間にある存在でもあります。
それゆえ髑髏は、死を意識しながら生きるメメントモリの象徴ともなるのだと考えます。
夜想は、まだ生に、この世に少しだけ足をかけている髑髏を、
簡単に言えば生きている髑髏をテーマに展覧会を行います。

[Artist]
相場るい児、金子國義、建石修志、トレヴァー・ブラウン
中川多理、野波浩、フジイフランソワ、丸岡和吾
守亜、山本タカト、山本直彰
 


劇団イヌカレー・泥犬「床下展」
2016年4月8日[金]〜5月9日[月]

「こんなにあたまばかり落っこちていたんじゃ、
どれがカネリコのあたまだか分かりゃしないわ!」
展示作品 -カネリコのあたま- より
ここは床下。ここには全てが降り積もる。
どれもみな等しい。
どれもみなくだらない。
お前の哀しみはネズミだけが知っている。
床下には何がいるか知っていますか?
ネズミ? 虫ケラ?
まあ、それも間違いではありません。
けれど、それだけではないのです。
ちょっと薄暗いけれど、よく目を凝らしてご覧ください。
床下にはいろんなお話達が、そっと息を潜めています。
——劇団イヌカレー・泥犬


劇団イヌカレーは自主製作のアニメーションからスタートし、
『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズの異空間設計やプロダクションデザインでも、
ダークファンタジーの感性をいかんなく発揮している。
作品を発表することを「公演」という。劇団らしい表現である。
ポップ感あふれるダークファンタジーの「公演」を商業アニメーションの世界に認知・定着させた。
「床下」には、「泥犬」のアトリエから生まれてくる、感性のエスキースが散りばめられる。
柱の後ろに、梁の上に、ほら、泥犬のダークでファニーな生き物たちが棲息しているよ。
——今野裕一 
http://www.yaso-peyotl.com/ [2016/07/03]




「MIYAKE ISSEY展――三宅一生の仕事」国立新美術館


 
 
 
 たまには(ゴスロリ以外の)ファッションのことも。MIYAKE ISSEY展、展示の方法が面白く工夫されていた。さすが国立新美術館での企画展というだけあってファッションに詳しくない人でも充分に楽しく見て回ることができるし、人によっては全く関心はなかったけれどこの展示をきっかけに興味を持つようになる、ということもありえたのではないか。
 タイミング良くプリーツ・マシーンでプリーツ制作の実演を見ることができたのは貴重だった。一枚の布の上に次々と襞があらわれてゆく様子には魅入られてしまう。気に入ったのは、田中一光のデザインがプリントされたシリーズ。2016年の新しいものみたい。
 
 MIYAKE ISSEYの展示は国立新美術館の開館時より計画されていたらしく、ここにきてようやく実現したそう。
 
国立新美術館では、来る2016年3月16日(水)から6月13日(月)まで、デザイナー・三宅一生氏の展覧会を開催します。2007年の開館以来、「さまざまな美術表現を紹介し、新たな視点を提起する美術館」を活動理念とする国立新美術館では、デザインは重要な展示テーマの一つと考えてきました。このたびの展覧会「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」は、三宅氏が活動を開始した1970年から現在に至る約45年間の仕事を紹介する、これまでにない規模の展覧会となります。  
三宅氏は常に次の時代を見据えながら、新しい服づくりの方法論と可能性を示しています。それは、1960年に日本で初めて開催された世界デザイン会議において、当時、多摩美術大学在学中であった三宅氏が、衣服デザインが含まれないことに疑問を持ち質問状を送ったことに始まります。既にそこには、衣服は時代と共に移ろう「ファッション」として存在するのではなく、より普遍的なレベルで私たちの生活と密接に結びついて生まれる「デザイン」であるという三宅氏の思想が見て取れます。以来、既成の枠にとらわれない自由な発想のもと、独自の素材づくりから始まり、「一枚の布」と身体との関係や、そこに生まれる「ゆとり」や「間(ま)」を追求しています。また、チームと共に粘り強いリサーチと実験を行い、革新性と着心地のよさを兼ね備えた衣服を生み出しています。  
本展では、初期から最新プロジェクトまでの全仕事を通して、ものづくりに対する三宅氏の考え方やデザインアプローチを明らかにし、未来に向けた更なる創作の可能性を探ります。三宅氏の仕事の多様性や豊かさを示しつつ、細部をも丹念に紹介する本展は、今なお進化し続ける三宅氏の服づくりについて明らかにするものです。子どもから大人まで、誰もがつくることの楽しさに触れていただくとともに、本展が自由な発想を押し広げ、創造力を刺激する機会となれば幸いです。 
 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/MIYAKE_ISSEY/ [2016/07/03]



 

「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」 東京国立博物館平成館




 
「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」
東京国立博物館 平成館 特別展示室   2016年3月23日(水) ~ 2016年5月15日(日)

 非常に充実した展示だった。パリ留学から帰国後の日本画の模索、アカデミズムにおける自身の立場上の建前と画家としての本音、といったように、彼の試行錯誤の後を辿るように構成される。《湖畔》をはじめとする代表作、彼の多岐に渡る画業の軌跡が余すところなく展示されていて、これまでに知らなかった様々な側面を伺うことができるし、その終わりに《智・感・情》があらわれるという演出にはその狙い通り昂揚しないではいられない。
 彼の師であるラファエル・コランの作品にはかなりあからさまに性的で官能的な裸婦像が多いように思った。


「湖畔」で広く知られ、日本美術の近代化のために力を尽くした黒田清輝(1866-1924)の生誕150年を記念した大回顧展です。
この展覧会は師コランやミレーなど、黒田がフランスで出会い導かれた作品をあわせて展示しながら、留学時代の「読書」「婦人像(厨房)」や帰国後の「舞妓」「智・感・情」などの代表作によって、黒田清輝の画業全体を振り返ろうとするものです。


第1章 フランスで画家になる─画業修学の時代 1884~93
フランスに渡った黒田は画家を志し、天賦の才を発揮して官製展覧会であるサロンに入選するに至ります。黒田はラファエル・コランにアカデミックな絵画教育を受けただけでなく、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌやバスティアン=ルパージュ、ジャン=フランソワ・ミレーなどのフランス近代絵画の主題やそこに表された思想に強い関心を抱きました。画家として歩みはじめ、フランス画壇にデビューする渡欧期の作品は、ヨーロッパの明るい光にあふれています。


第2章 日本洋画の模索─白馬会の時代 1893~1907 
1893年夏に帰国した黒田は、日本洋画のあるべき姿を模索します。日本の人々に受け入れられ、かつ国際的にも高く評価される油彩画を生み出そうと努めた黒田の作品は、日本の洋画壇に清風を吹き込むことになりました。帰国直後の「舞妓」(1893年)や大作「昔語り」(1898年、焼失)、「湖畔」(1897年)、「智・感・情」(1899年)などは、日本の主題やモティーフによって、世界に認められるような日本の洋画を目指して描かれました。


第3章 日本洋画のアカデミズム形成─文展・帝展の時代 1907~24

日本にアカデミズムを打ち立てるべく奮闘し、美術教育や美術行政で社会的役割を担った黒田は、多忙を極めました。そのなかで黒田は新しい表現に共感していきます。文展や帝展といった官製展覧会に出品する公開を前提とした作品では、フランス画壇を手本にしてアカデミズム形成を意図して制作しました。
同時に黒田は、ポスト印象主義や表現主義のような新しい美術表現の潮流を意識した公開を前提としない小品も描いて、揺れ動く画家の内面が表れています。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1759 [2016/05/31]