2016/02/09

「英国の夢――ラファエル前派展」Bunamura ザ・ミュージアム







 ラファエル前派。この類の絵の世界に手放しで入りこんでゆけるような心はもう残っていないかと思っていたけれど、目の前にしてしまえば知らぬ間に、吸い寄せられている。絵画を通して夢を見る。それも、何よりも「美」に捧げられた…。いかに本を読んで知識を増やそうとも、色々と余分なことを考えるようになっても、純粋な非日常へと耽溺する体験を得ることが、絵画に触れる最も根本的な、最大の目的のひとつであったし、それはきっとずっと変わらない。
 ただ「美」のために他のすべてが尽くされる。美を生むためには手段を択ばぬし、慣習も規則も擲つことは厭わない。物語性の排除。装飾や建築の折衷主義。

 今回の展示はリヴァプール国立美術館所蔵の作品群から成る。ミレイ、ロセッティ、ムーア、レイトン、ハント、バーン=ジョーンズ、ウォーターハウス。
 19世紀前半英国の功利主義と想像世界の葛藤…という導入の解説によって誘われた空間に、まずあらわれるのはやはりミレイである。何年前のことであるか忘れたが、あのオフィーリアと、かつて同じ展示空間で対面したときのことを思い出す。自分がミレイの世界に完璧に没入することがもはやできなくなりつつあるのは哀むべきなのか喜ぶべきことか分からないが、それでも彼の作品が「乙女の憧れ」の世界であることには変わりないし、それに浸ろうとすることもできる。
 古典古代をテーマとした章ののち、戸外の情景に焦点を当てた章に続く。
 最後の象徴主義の章にもはいれば、徐々に負の色が濃度を強める。夢の世界であることに変わりはないが、画面には影が落ち、靄がかかり、重みを増す。死と眠り。内面と情念。ここに飾られていたいくつかの作品からだけでも、時代が徐々に世紀転換期に向かいつつあるようすがうかがえた。

 

・折衷主義についてのワイルドの言葉。絵の構成のため様々な建築、装飾の様式から取り入れて構成する。ムーア「考古学が始まるところ、歴史は終焉する」。題材は特定の物語、歴史に取材するのではなく、また人物にも何かの意味があるのではなく、ましてや寓意や教訓などあるはずもなく、色と形を装飾的に組み合わせることで美を極限まで追求する。
・物語性を排除するということは時間性も失われるということだと思うが、ラファエル前派において「時間」がいかなる扱いであったのか。
・当時のイギリスの風景画は「近さ」を特徴とする。天気の移り変わりへの関心。また人類学の記録作成の手法の発展などと並行して、田舎社会への関心が強まりつつあった。

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