2016/02/07

「ガレの庭 花々と声なきものたちの言葉」東京都庭園美術館、講演会「ガレの庭 自然と象徴」




 
 庭園美術館のエミール・ガレ展「ガレの庭 花々と声なきものたちの言葉」。
 展示作品は北澤美術館所蔵のものがほとんどで、他はオルセーに所蔵された下絵やデッサン。庭園美術館をガレの庭に見立て、自然光の差し込むなかでガラス作品を見る、ことが展示の趣旨のひとつであるという。展覧会のテーマからはガレの「植物」愛と「象徴」にフォーカスを当てているようにも思われるのだが、どちらも展示の1章分に割り当てられているだけで、特に突っ込んだ解説などはなかった。
 あくまでこのガラス工芸家に自分が興味を持ち始めてからの感覚だけれど、日本におけるガレの人気はやはり尋常じゃない。ここ1,2年が特別にそうだったのかもしれないが、企画展の数が多過ぎる気がする。今回の展示もお年を召した方々を中心に、来訪者は夢中になって眺めていた。私もガレは好きだが、作品それ自体というよりもガレという人間に興味を引かれるという部分が大きい。
 嬉しかったのは、北澤美術館のいつかの展覧会カタログで見て一目惚れしていた《フランスの薔薇》を見ることが叶ったのと、あとは《蘭文八角扁壷「親愛」(カトレア)》という、蘭の、表に生きた姿、裏に枯れた姿を描くことで生死の表裏一体性を表現したという作品を見られたこと。こちらはロジェ・マルクスに贈られたらしい。作品名を忘れたが、花器にべったりと貼り付いた大きな蝉は、リアルな蝉が巨大化したようで、なんだかGみたいにも見えた。どんな花を活けたら似合うのだろう…。

 展示についての覚書。
・日本の焼物(伊万里焼)の模様をガラスに反映させていたものがあったのだが、ただガラスに写し取るだけではなく、西洋の装飾、ペルシア風の小花を加えるなどただの「模倣」は行わず、ガレ流にアレンジを加える。

・ガレの植物への関心は生命全体を繋ぐ生物の連鎖へ向く大きなスケールからなる。花の仕組み、生態、種の進化に対する理解が深まるにつれて、作品に投影される姿も光、大気、風邪など生育環境を取り込んだ表現へと移行する。

・葉脈と血管とのアナロジー。
・ガレが自らを「打ち震えるトンボの恋人」(「打ち震えるトンボ」というのは多分、V・ユゴーの言)と称していた。


 今回の訪問の大きな目的のひとつであった講演会は、北澤美術館の主任学芸員である池田まゆみさんによる。テーマは「ガレの庭 自然と象徴」。興味深かった点を箇条書きで記しておく。

・1868年のパリ万博ではバカラが金賞を受賞する。ガラス工芸や香水瓶などでフランスの先を行っていたイギリスの優位が転倒し始めたのがこの時期。

・菊のモティーフについて。菊は本来はヨーロッパには生育しておらず、日本からの取り入れたことによって一躍花としての人気を集める。カマキリもヨーロッパには存在していたもののそれを芸術に取り入れはじめたのは日本の美術工芸流入の影響が大きい。

・ガレはガラス工芸の地位を「芸術」へ高めるためにあらゆる手段を取る。そのひとつが、高貴な芸術に必要とされる目に見えない「観念」を象徴的にあらわすというもの。
 その「観念」のなかには「愛国心」もあった。当時のダヴィドやドラクロワに代表されるような物語画や歴史画による愛国心の創出が、ガラス器において試みられている。

 その方法のひとつが、モティーフを利用したもの。分かりやすい例でいえば、人物のシルエットを描いたものがある。ロレーヌ十字とアザミの花は、ナンシーの街が位置するロレーヌ地方の抵抗をあらわしている。
 花のモティーフを通じて表出する場合もある。《フランスの薔薇》にあらわれている薔薇は「ロサ・ガリカ」という品種であり、当時ドイツ軍に占領されていたサン・カンタンの山、丘の上にのみ咲く花であったという。

 また、より直接的な方法としては、詩や文学からの引用をガラスに直接刻みこむものもある。「ものいうガラス」と呼ばれ、賛否両論はあったようであるが、教養の深かったガレの文学に対する傾倒を見てとることができる。

 愛国心以外には、イヌサフランという植物を用いることで「キリストの復活」をあらわしたものや、短命のキノコで「命のはかなさ」や「再生」を表現。

・植物に関して。植物図鑑の科学的な描写には人間の魂が不在なのであり、象徴的な描写を行うことで自然に内在された「真実」を表現しなくてはならない。象徴とは、ひとつのイメージによってある観念を呼び起こすことである。

・19世紀末、ガレの作品はどのような人々が購入していたのか?実用性の高いバカラなどとは違い、ガレのガラス工芸はいわゆる「objet de fantaisie(趣味物)」であった。新興の中産階級や元貴族の中でも新奇性を好む人々だったのではないか。
・高島北海がガレのジャポニスムに影響を与えたとされることが多いが、ガレのジャポニスムは父親の代からすでに存在している。北海との交流はむしろ植物関連に大きくあらわれた。


 「自然と象徴」、というテーマは講演会の後半で少し触れられただけであったけれど、もっと深く掘り下げてみなければと思う。

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