2016/02/05

「天野可淡展」マリアの心臓

 2015年11月21日。マリアの心臓へ。京都は大原。

 好きな画家の絵画を見るときに「会いに行く」という言葉を用いることがあるけれども、何にもまして人形とは「会いに行く」ものなのだと思う。新幹線に乗り京都まで来たのも、愛しい子たちのことを思えば少しも遠いとは感じられなかった。
 大原の地は高校の修学旅行の時に三千院と寂光院に行って以来だから久々である。以前来た時に感じたように心の安らぐところだった。運良く、天候にも恵まれた。

 三千院へ続く道から逸れる径を入り奥へ進むと、先ほどの観光地らしい賑やかさが嘘のように、人の気配がふと消えて、一軒の古民家にたどりつく。この家がどのような経緯で、人形たちの住むところとなったのかは気になるところではある。自転車の隣でお出迎えしてくれる少年や、玄関の扉の隣にかけられた看板に、何かを嗅ぎ取るということがなければ、この家の内部がどうなっているかなどだれもきっと想像もつかないだろう。
そっと扉を開ければ、もう随分と長いこと欲し求めてきた、あの空気…。閉館したのが2011年、もう4年も経過していたのか。
 展示室には所狭しと並べられた、西洋のアンティークドール、市松人形、文化人形、現代人形作家の作品の数々。民家一軒分の広さをすべて埋め尽くすありとあらゆる種類の夥しい数の人形たちがそっと鎮座して、こちらを見つめている――いくら多かろうと気圧されこそしないけれども、空気の密度が異様であることを五感が脳に伝えてくる。絵画やイラスト、写真、家具まで含めて全てがその空間を統一的に創り上げているのは、渋谷にあったマリアの心臓のときと同じ。ただ、今回は日本家屋の古民家であるから、畳の上にアール・ヌーヴォー調の椅子、その上に中国風の小坊主…などと和も洋も混在しているというのは新鮮だったけれど、それが奇妙にも馴染み落ち着いていて、人形たちも居心地がよさそうである。

 一階の展示室に静かに眠っていた、「嫉妬」と題された天野可淡の少女人形は、その演出も含めればおそらくすべての展示作品のなかで最も大きなものだったろう。夢の中で何を怒り、妬み、呪い、あるいは哀しんでいるのか。演出もアーティストの方の手になるものであるようで、空恐ろしくなる迫力は見事というほかはない。
 隣の部屋には、恋月姫の天草四郎も。たしか、初対面。
 またひとつの部屋には、文化人形と市松人形だけが大きなものから小さなものまでひたすらぎっしりと並んでいた。人形たちの前には、花魁を撮ったモノクロの写真が幾枚も並べられているのには何かの意図があってのことか。

 一階から掛けられた梯子を上ると、今回の企画展の会場でもある屋根裏部屋の展示スペース。可淡の人形たちが出迎えてくれる。これまでの可淡作品のレアさを考えれば、信じられないくらいの数の子たち。たしかに、これほど集まる機会なんてもう二度と来ないかもしれない。

 屋根裏の構造上、展示空間内を移動するためには、腰をかがめて、時に手をついて梁の下を這うようにして潜る必要がある。必然的に、お人形と同じ高さに目がいく。ひとりひとりに、じっと目を合わせる。とはいっても彼/彼女たちの視線は、どこか違う世界を、もしかしたら彼の世へと向いているから、けっして私の目を見つめ返してくれることはないのだけれど。
 この世の幸などとは無縁であるだろう表情を浮かべた、可淡の人形たちはいつも私に、悼みとも憐れみともつかぬ、胸狂おしくなるような感覚を呼び起こす。

 部屋の一番奥、鏡のとなりにいた少女に、どうしようもなく引き寄せられてしまった。叶わなくて恋しさだけが募るのは嫌だから、たとえ運命的な出逢いだと感じるような子に会ったとしても、人形に対して、またいつかどこかで会えるかしら、とは言わないようにしている。でも、お別れをするのはとても名残惜しかった。どこへ還ってゆくのだろう。きっとまた、写真におさめられたあなたと、本のなかでお話ができたらいい。





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