2015/02/24

『幻想絶佳:アール・デコと古典主義』展 東京都庭園美術館



東京都庭園美術館、リニューアル前には訪れたことが無かったため、今回が初訪問である。30周年とリニューアルオープンを記念して開催された展覧会は、『幻想絶佳:アール・デコと古典主義』。

 フランス語版タイトルが "Fantasie Merveilleuse: La Classicisme dans L'art Deco francais"
であるように、「アール・デコ"と"古典主義」というよりも、「アール・デコにおける古典主義」という意味なのかもしれない。
 実際に、展示においてはアール・デコの新奇性の中に見られるヨーロッパの伝統の重視、といったテーマを重視しているとの解説があったし、ギャラリーで放映していた映像の冒頭でも、近代化を進めるにあたり、これまでのすべてを刷新しようとしたドイツにたいして、伝統を重んじてうまく取り入れたフランス…といった文脈で用いられている。
 調度品や家具、工芸品や版画などの展示作品もそうであるが、そもそも旧朝香宮邸の内部そのものが当時に流行していたアール・デコ様式をふんだんに用いて建築されたものであるから、今回の展示は30周年という節目の時期にリニューアルした旧朝香宮邸をお披露目するという意味でも、時宜を得た展示だったのだろう。

 本館に展示されている家具や調度品はポール・ポワレやルネ・ラリック、アンドレ・ドラン等の手によるもの。正直なところ、ここを訪れるまでにアール・デコという様式には今一つイメージがわくことがなかった。たとえば街中で「このビルにはアール・デコ様式が取り入れられています!」という建築をみる機会があっても、他のビルとどう違うのかいまひとつピンと来ないし、では当初のアールデコはどのようなものだったか、ということが分からない。そんな私にとっては、アール・デコ様式を心行くまで堪能できる良い機会となった。

 私はゴスロリが好物なだけあり、何にしても過剰なまでに装飾的でゴテゴテしていればいるほど胸キュン度合は上昇してゆくので(A・ロースが見たら卒倒するかもしれない)、
直線美のアール・デコよりも曲線美のデコラティヴなアール・ヌーヴォーのほうがより好みであると感じていたのだけれども、
 シンプルななかに、ヨーロッパの伝統的な精神を内包し、尚且つ近代の技術と、世界が拡大したことを示す異国趣味的な要素に代表される近代性を取り入れた様式は、高校世界史において近現代史が大好物だった私にとってはそれを見ることだけでも夢想材料になり得るし、実際にじっと眺めるほどに味が出てくるように感ずる。


 さて、別館においてはギャラリーがふたつ、ひとつの部屋は1925年のパリ万博のころを中心とした絵画やポスター、彫刻などの展示、もう一方は展示についての映像の上映である。展示については、これまでにほとんど名前を目にしたことがない画家がほとんどであったが、いずれも華々しい印象を抱かせる作品たちであった。
 なかでも鮮烈な色彩を用いたウジェーヌ・ロベール・プゲオンの作品がひときわ目立っている。
 《蛇》と題された作品は、アダムとエヴァの楽園を描いているようでもあり、説明書きにはアダムは人間ではなく白馬として表現されている、とある。なるほど、近付いてみると下の方に小さく白い蛇が見つかった。伝統的な主題の再現というわけでもない。シュルレアリスムのようなあからさまな珍奇さでもない。20世紀前半の絵画の中にもこうした側面があったことを知ることができたのはとても嬉しい。
 展覧会に際して制作されたであろう映像も、すっきりとしていながら充実したものだった。(フランス行きたい欲を異様に刺激してくるのが困りものだが…。)

 20年代のパリの空気を肺に思い切り溜め込んだ気になって、庭園美術館を後にした。

 最後に、何よりも秀逸なのは今回の展覧会のタイトルである。「幻想絶佳」、字面も響きも素晴らしい。なんというセンスの良さだろうかと思わず息をついてしまう……。
 次回は「マスク展」なるものが開かれるらしく、時間に余裕があれば出かけてみたいものである。その時には庭園も公開されていることだろう。




2015/02/22

泉鏡花×山本タカト「草迷宮」展 紀伊国屋書店新宿本店

 泉鏡花記念館開館15周年記念特別展として開催された、泉鏡花×山本タカトの『草迷宮』展が東京に巡回してきており、新宿に出かけた際にちょうど会期中で、運よく訪れることができた。



 山本タカトさんの作品に初めて出逢ったのは確か「夜想」のヴァンパイア特集においてだったと記憶している。それを手に入れた当時もエログロ系は大好物だったはずなのだけれど、裸体の女性や男女の交わりはなかなか直視することができず、見てしまったことに戸惑いとうしろめたさを覚えたのは良い思い出である。(特に丸尾末広の絵は本格的にエグカッタ……。)タカトさんの作品は下品さには程遠く、いかにもな耽美で、繊細な作風に心惹かれた。けれど描写が細かいだけにやはりどうしても生々しく感じられて、その強い印象ばかりが脳に焼き付いていた。
 歳を重ねるごとに哀しい哉(?)、エロもグロも強がらずとも平気で凝視できるようになってしまってからも、以降もあちこちで作品を見る機会があり、現代風の日本人や西洋風のゴシック調の作品については何度か見たことがあった。今回の『草迷宮』の出版を聞いたときにはとても驚いたのだけれども、実際にページを捲ると、タカトさんの作風が、鏡花のような幽玄の世界にもこれほどまでにマッチするということには、思わず溜息をつくこととなった。美女や青年のみならず、老人たちまでもがなんとも生き生きとしていること…。

 しかし金沢にある泉鏡花記念館には近いうちにぜひとも足をのばしてみたいものである。3月のリニューアルオープン後には、「龍の国から吹く風 ―澁澤龍彦展」展が開かれるという…。ポスターも非常に美しく洗練されている。
 北陸新幹線が開通したことであるし、春休み中に行けないだろうか……。うーん。

2015/02/17

『片山真理 展 you're mine』 恵比寿TRAUMARIS


 恵比寿のトラウマリスにて、片山真理さんの個展。(2015/1/31 訪問)





そっと顔を覗き込めば、そこには私がいたのでした。


 これからも心から応援させていただきたいと思っています。


2015/02/11

「日光人形の美術館」

 旅行で鬼怒川温泉を訪れ、よりによってぶち当たった何年ぶりだかの大寒波に打ち震えながらてくてくと散策していたところで、突然に出逢った人形の美術館。(見つけたときの私の胸の高鳴りはとてつもないものだった)
発見。


 この時季の平日ということもあり、館内にいるのはわたしたちだけ。
 入口とショップ、それからカフェが2階にあり、3階は西洋人形、1階は日本人形。アンティークドールもあったが、現代の創作人形が多くを占めている。たてものは比較的新しく、室内もとてもきれいだった。

 観光のためにどこへ寄ろうかと手持無沙汰になりかけていたころに、思いがけずたくさんの人形たちに出うことができたことがなによりも嬉しい。





森茉莉『甘い蜜の部屋』を読むふつくしい少女の人形


3階のようす



公式サイトがみあたらなかったので、栃木観光サイトのページ。
http://kankou.4-seasons.jp/asobu/870.shtml


『新印象派―光と色のドラマ』展 東京都美術館

 東京都美術館の『新印象派―光と色のドラマ』展。展示はモネ、スーラ、シニャック、リュス、クロスなど。確立した理論や技法の存在しない印象派から脱し、点描画法を確立した科学的印象主義(よく考えるとすごい名前)の最盛期を迎えたのちに、やがて規則から色彩が完全に解放され、マティスに代表されるフォービズムに至る―という流れに沿った分かりやすい展示だった。

 個人的に印象に残ったのはアンリ=エドモン・クロスの作品。点描画の技法の試行錯誤を経て、小さな点ではなく、モザイク画のように描くスタイルを定着した新印象派を代表する画家である。
彼の作品が気に入って絵葉書も購入してしまったのだが、そのきわめてワタシ的な理由のひとつとして、作品にピンクが使われているということがある。それも小学生が水彩絵具で赤と白を混ぜて作ったかのような、典型的なももいろ、ピンクいろなのだ。ピンク以外にもいわゆる"七色"が見事に配置されるという色遣いは現在において眺めても斬新に感じられ、タブローに描かれた公園は虹色の楽園であるかのようだった。
 主題についても、時代が下るにつれて、カンヴァスには風景や肖像だけではなく、徐々に心の内奥や神話世界を表現するかのような神秘的なテーマが描かれるようになってゆくことも見て取ることができ、興味深い。

 マティスはクロスから新印象派を学び、のちに遂にそれを打開する。マティスの初期の作品には確かに新印象派の名残が見て取れる。こうしてフォービズムの画家たちが、規律の枠に留まりきらずそこからあふれ出しつつあった色彩の完全解放を成し遂げたのだという事実を展示によって知らされるのは、感慨深いものがある。

 普段から画集の図版やPC上の画像だけではなく、機会が得られたなら可能な限り実物の作品を観賞するということを心がけてはいる。だがマティエールに特色を持つ新印象派は特に、タブローをこの目で見ないことにはその作品を知ったとは決して言えないと強く感じた。更にいえば、手でそっと、表面に触れることができたら。…しかしそれは不可能だから、ひたすら舐めるようにじっと見つめ続ける。凹凸を認識する目の触覚が少しずつ、鍛えられてゆくかのよう。

2015/02/07

金子國義『美貌の翼』展 Bunkamuraギャラリー

 その存在を知ってからも機会を取り逃すことが続き、ここに至って初めて、作品と対面することが叶った。今回は『美貌帖』という自伝の出版を記念して催された展覧会であるらしい。場所はおなじみの、渋谷のBunkamuraギャラリー。




 定番・アリスや美青年たちをはじめとして、数々のリトグラフや油彩画が並ぶ。『Les Jeux』の写真集も展示されている。ギャラリー奥に飾られている大きなタブローの作品たちは間近で見ると眩暈に近いものを覚える。(よいこはぜったいに、みてはならない…。)



 この日は午後3時より、金子画伯と津原康水さんとのトークショーと、両氏によるサイン会。
「かわいい」という言葉が最も嬉しいというお話をされていたが、まさにこの言葉がこれ以上似合う方もいないだろう、ともいえるかのような、茶目っ気たっぷりの方であった。


 初の自伝である『美貌帖』は、美しい装丁を実現してくれる出版社を探し求め、金子氏の大ファンという編集者の方(しかも美青年らしい)がいらした、河出書房新社が出版するという経緯があったという。

ページを捲るごとに金子画伯の地下世界を覗き見ている気分になる。美しいものに囲まれ、美しいものだけを喰って生きてゆく。そうして美しいものへ浸って生きていれば、虚飾や取るに足らないものに溢れた世界のなかからも直感的に美しいものをかぎ分ける嗅覚が研ぎ澄まされてゆくものだ。ここでの美というのは、あえて言うまでもなく反世俗的でありデカダンスの極みのそれであるのだけれど。
 自分の部屋を飾るために絵を描き始めた、という金子氏の絵のスタイルはそれゆえ根本的なところで閉ざされている。しかしどうしても、この類の美というのは閉鎖的な場でしか醸成されることのできないものなのだろう。受けることを狙っていては、それは生まれては来ない。不純なものが一切混じり込むことなく、ここまで徹底した反逆の美を追究することのできる芸術家が、今現在においていったい何人存在するだろうか。

2015/02/03

ゴダール「さらば、愛の言葉よ」(2014)


日本版のポスター、よいなあ。

公開2日目に観に行きました。シネスイッチ銀座、初めての訪問。
(都内で一か所しか上映していないなんて思わなかった…。)

 この映画については様々な感想が飛び交っているし、これまでのゴダールの作品は気まぐれに4本程度しか観たこともない私が、何か多少なりとも意味のあることを付け加えられるとも思えないから、特にはコメントしない。
のだけれど多くの人が言うのと同じことを私も言うならば、画面で一体何が起こっているのかわけも分からず圧倒されっぱなしの1時間だった。上映後の客席も狐につままれたような表情を浮かべている人が大半。
見るか迷っているなら間違いなく、見るべき作品ではある…のだろう。

とりあえず、ユリイカのゴダール特集を読み直しか…。


そういえばこの映画、原題は“Adieu au Langage”、
邦題だけなぜ、「言葉」に、「愛の」が付いたのだろう?