2017/04/02

鈴木理策 「Mirror Portrait」タカ・イシイギャラリー




 生まれて初めて、写真家さんの作品の被写体になりました。以下、自分の感想をFacebookから転載。

不思議な体験だった。このポートレートのシリーズではモデルの前にあるのは一見ただの鏡でモデルから見えているのは自分の姿だけであり、実はその鏡の裏の反対の部屋にカメラがあって秘かに撮影されている、という仕組みが用いられている(所謂マジックミラー)。

見られていることをこちらが完全に知らないのであればそれは単なる窃視であるけれど、向こう側から確実に自分が見られているということを知っていながらもどのように見られているのか、いつシャッターを切られているのか分からないというのも奇妙なものではある。向かい合っているのは自分の顔なのに、本当はその奥に自分を覗いている存在があるということは知ってしまったら意識しないではいられない。鏡の前に立つ恐らく僅か1分程の間、レンズに射竦められる感覚で身が強張ってしまうことはない一方で、自撮りはおろか中高時代からプリクラを撮るのも苦手だった私には(これまでのFBのプロフィール写真だってずっと人形だったし)、目の前の鏡を活用して自分の今日一番の決め顔をしてやるわ、なんて余裕があるはずもなく、どこかずっと気が落ち着かないでいた。 
 
仕上がった写真にあらわれた自分の表情にはそうした戸惑いというか居心地の悪さのようなものを感じている様子がありありと出ているなと苦笑していたのだけど、一緒に展示を見たひとにそれを伝えると、私がとても頻繁にしている表情と仕草だよ、ということを言われる。やっぱり私は普段からなにかしらにソワソワしているみたい…?


自分の写真が展示されていること、そしてそれが値段をつけられて売られていることへの気恥ずかしさと嬉しさと奇妙な感覚が入り混じった状態で展示を眺めることになった。自分以外の方の写真も面白い。それぞれ表情や仕草に特徴があり、素があらわれてしまうというか。撮影者が見えているかのように、あるいは未来に自分のことを眺めてくる鑑賞者に、挑発的に視線を送り返す人もいれば、私のように目線を逸らして戸惑った表情を浮かべている人も。放心しているように見えたり、哀しみを湛えているようだったり。自分自身に酔っているかのような人もあり。

実は、『芸術新潮』にも採用されたので少し嬉しい。思わぬ形で美術雑誌デビュー…。

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