2017/01/10

『あゝ新宿―スペクタクルとしての都市』展 早稲田大学演劇博物館




 60年代の新宿!ほんとうに、素晴らしいテーマ。展示空間で、タイムスリップをして思いきりあの時代の空気感に浸ることが出来て(生まれていないけど)。
 東京の色々なエリアのなかで新宿は、なんだかんだ自分が強く愛着を抱いている街ではある。 色々な層やタイプの人がいて、雑多で、人も物も溢れてごちゃごちゃしていて、でも歩いている人たちは互いに各々の目的を持っていてすれ違いだけ。「若者の街」の渋谷、ファッションの街としての原宿、のように何か人々の特定の部分に働きかけてそこを目指させるような街の求心力があるというよりも、新宿は仕方ないからここにきている・通過している、という感じで、むしろそれがとても心地が良い。
 60年代というのは新宿にとってもきっとまた特別なものがあるのだろうが、新宿の地に降り積もる歴史を追ってみたいなと思っていたら、どうやら「新宿歴史博物館」なるものがあるらしく、これはぜひとも行かないとならない。


1960年代、新宿は明らかに若者文化の中心だった。紀伊國屋書店、アートシアター新宿文化、蝎座、新宿ピットイン、DIG、風月堂、花園神社、西口広場……。そこには土方巽、三島由紀夫、大島渚、唐十郎、寺山修司、横尾忠則、山下洋輔らさまざまな芸術文化の担い手たちや若者たちが集結し、猥雑でカオス的なエネルギーが渦を巻いていた。新宿という街自体がハプニングを呼び込む一つの劇場、一つのスペクタクル、あるいは一つの祝祭広場を志向していたのだ。では、現在の新宿はどうか。かつてのようなエネルギーに満ち溢れた新宿独自の文化は失われてしまったのだろうか。
本展では、新たに発見された劇団現代人劇場『想い出の日本一萬年』(作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄、アートシアター新宿文化、1970)の貴重な舞台映像や大島渚監督『新宿泥棒日記』(1969)の上映をはじめ、写真やポスターなどさまざまな資料から新宿の文化史を辿り直すとともに、新宿の今を検証する。そして磯崎新による幻の新都庁案で提示されていた祝祭広場の思想を手がかりに、祝祭都市新宿の未来像を構想したい。

【磯崎新の新都庁案とは】
 現在の東京都庁舎建設に際して、1986年に行われた指名コンペでは、9つのプランが提案され、そのうち8案は、100mを超す超高層案だった。唯一、磯崎新は、これに真っ向から対立する案を提出。磯崎は、新宿の文化が孕む「闇」の覚醒を画策していたのだ。
 本展では、未来の新宿文化を予言する意図で、展示室一室を使って、1986年に準備された、磯崎新による「東京都新都庁舎のためのプロポーザル」の原本とその全ページ、当時最新だったCAD(computer-aided design)による透視図を展示している。さらに、近年、磯崎新の新都庁舎計画を大胆に再評価したテレビ番組『幻の東京計画〜首都にありえた3つの夢』から、CG映像を上映する。 
http://www.waseda.jp/enpaku/ex/4395/ [2016/09/11]

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