2017/01/10

「人造乙女美術館」ヴァニラ画廊


 
 

オリエント工業のラブドールたちに、ついにお目にかかることが叶った。「人造乙女美術館」。ポスターには「世界で一番、美しい人形。」という意味深なコピー。前回の展示がどうであったかわからないけど、今回の展示では各々のドールが絵画や文学作品(『未來のイヴ』のハダリーとか)からそのモティーフを取ってくるもので、日本美術史家の山下裕二さんが監修し、日本画を再現したドールも。

 話題性もあったからか展示にはそこそこの人がいて、男女比はちょうど半々。年齢層はだいたい20代~50代くらい。

 ドールの感想。見た目はこれまで見た写真から予想していた通り、という感じ。触ることができるドールも用意されていたので、手を握ったり胸を押したりしてみた。触感はかなりしっとり、ぺたぺたしていて独特。人間の肌のすべすべとした触り具合とは大きく異なる。これはこういうものだとみないとならないかもしれない。
 一応は現実の女性の代替として、これを現実の女性と完全に置き換えて想像する、というのが想定された使い方だとおもうのだけど、このラブドールのファンの一部には、彼女が「ドール」だからこそ欲情する、という方が大きいのかもしれない。それは一種の「倒錯」の部類。生の無い対象。ネクロフィリアと人形愛の狭間。

 気になった点としては、オリエント工業のドールたちとは、私たちは決して目が合うことがないということ。人形たちはそもそも正面は向いていないし、目を合わせようと顔を覗き込んでもなかなか合わせることができない。すべてのドールがそうであったから、おそらくそれは意図的なもので、「恥らい」的なものの演出なのか。




 今回展示されていたドールたちは「展覧会」向けに制作されているということもあって、やはり通常販売している商品の女の子たちとは違う。重要な「用途」のひとつである性器の部分は隠されているし、第一お洋服を着ていて、大きな着せ替え人形かマヌカンといったところ。
 
 あえてそのようにしているのは、販売者側のイメージ操作の問題(いやらしくない、美術作品のよう、本物の女性みたい)というのがあるのはもちろんあるとは思うが、他には倫理的な問題云々もあるかもしれない、とも思った。
 男性がプライベートな空間においてあくまでも「リアル」と同じように扱う女性である、すなわちヒトガタにおいて「人」という性質を最大限に見てとっている。ラブドールという「人形」においては、「人間の代理」という役割が何よりも大事。

 それを女性側の視点から考えるならば、本物の女性と同じものである以上は、人前で破廉恥な恰好はさせられない、とか。ドールに一応の敬意を払っているということ。
 また男性側からしたら、自分たちの親密な関係性を結ぶ「女性」とその間の関係性を見世物のように鑑賞者たちに面白がられるというのは気分の良いものではないだろうから、そのあたりの会社側の配慮も多分にあるだろう。

 ただ、どれほどそれらしさを消そうとするとしても、展示されているのは紛れもなくラブドールであってダッチワイフであって、私たちはそのドールの精巧さときれいさとに感心してしまうけれども、良く考えれば実際に男性が「使用」しているさまというのは全く想像もさせない空気というのは逆に妙なものである。
 ともかく、今回の「人造乙女美術館」で展示されていた彼女たちには少なからず「よそ向き」という印象があった。本当のラブドール「らしさ」を感じるためにはやはりショールームへと出向くことが必要かも。


 



人形でありながら生活に密接し、社会性を持ち、何より愛を受けるために創られた「ラブドール」という存在。オリエント工業製のラブドールは、女性の似姿の中で最も愛を受ける形を極限まで追求した職人技術と、 「人と関わり合いを持つ人形」を制作するという志の結晶ともいえるでしょう。

ヴァニラ画廊では過去4度にわたり、オリエント工業の協力の元、不気味の谷を一足飛びで跳躍するラブドールの魅力の系譜を辿り、人形の新たな側面を異なる角度から見つめてきました。

今回は特別に、美術評論家の山下裕二氏監修のもと、日本画家・池永康晟の美人画をラブドールで完全再現し、ドールの持つ美しさと美術表現の新たな魅力と可能性に迫ります。
また、他にも絵画の中から再現した美女たち、近未来を予感させる最新ドールインスタレーションなどを展示予定です。 人には宿ることのない不思議な魅力を持った、最も美しいドールたちの魅力を是非ご覧ください。

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2016/20160425ab.html [2016/5/31]

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