2017/01/10

『杉本博司 ロスト・ヒューマン展』東京都写真美術館



 恵比寿の写真美術館のリニューアルオープン。その展示の第一弾がこの展覧会。事前に評判を少しだけ聞いてはいたけど(「写真」を見に来た人にとっては「写真」が全然ないので肩透かしを食らう、とか)、想像以上にこの展示はちょっといただけないと感じてしまった。とにかく、寒くて、痛々しくて、気恥ずかしい。展示内容はまずメインとなるシリーズがかなり大規模なインスタレーション。展示室内の各スペースに文明の終りに関する33のシナリオがあって、一つ一つのシナリオはある職業の人間が書き残した手記やら日記やらという体を取っているのだけど、「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という出だしで手書きで書かれ(各界のかなりの著名人たちが選ばれている)、そこに描かれたものから想像される状況が様々なものたちのインスタレーションで表現される。
 展示空間が細かく分けられて、それぞれに世界の終り、要するにディストピアが延々と繰り広げられているわけだけど、問題なのはそのどれもがちょっと呆れてしまいそうになるくらいに陳腐で薄っぺらでしかないということ。こんなシナリオはこれまでのSF小説のなかにどれだけありふれて量産されてきただろうというか、素人臭いというか、もはや誰もこんなの使わないのだけど…まさかこれを本気で考えたのかな、と疑わざるを得ない。
 じゃあ仮に、このディストピア観が「ださい」ものであったとしてもよいだろう、しかしではこのシナリオを使うことによって作者は何を言いたいのだろう?…ということもいま一つこちらに伝わってこない。展示のあいさつなどを見る限りでは作者には何か伝えたい、鑑賞者に訴えかけたいらしいことが確実にあるようなのに、それがなんだかあまりはっきりとしない。人類にとって暗く悲惨な将来が訪れることの予言、それを避けるために現在において私たちが何をすべきか?の再考、あるいは単なるペシミスティックな状況を愛好する被虐的な気質なのか。ディストピア的状況だけぽーんとただ列挙されても、こちらとしては「はあ、そうですか」としかならない(私だけ?)。ともかく、この展示の優れた点を見つけるように言われても、私には残念ながら、よく分からなかった。
  
 今回展示されていた他のシリーズのうち、廃墟劇場はとても美しく好きだった。映画を投影されたスクリーンから発される茫漠とした白い光と劇場の荒廃との対比が神々しくもあり、いつまでも見つめていたくなる…。


東京都写真美術館はリニューアル・オープン/総合開館20周年記念として「杉本博司ロスト・ヒューマン」展を開催します。杉本博司は1970年代からニューヨークを拠点とし、〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉などの大型カメラを用いた精緻な写真表現で国際的に高い評価を得ているアーティストです。近年は歴史をテーマにした論考に基づく展覧会や、国内外の建築作品を手がけるなど、現代美術や建築、デザイン界等にも多大な影響を与えています。

本展覧会では人類と文明の終焉という壮大なテーマを掲げ、世界初発表となる新シリーズ<廃墟劇場>に加え、本邦初公開<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない>、新インスタレーション<仏の海>の3シリーズを2フロアに渡って展示し、作家の世界観、歴史観に迫ります。
展覧会はまず、文明が終わる33のシナリオから始まります。「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という杉本自身のテキストを携え、≪理想主義者≫≪比較宗教学者≫≪宇宙物理学者≫などの遺物と化した歴史や文明についてのインスタレーションを巡り歩きます。これは2014年パレ・ド・トーキョー(パリ)で発表し、好評を博した展覧会を東京ヴァージョンとして新たに制作したもので、自身の作品や蒐集した古美術、化石、書籍、歴史的資料等から構成されます。物語は空想めいていて、時に滑稽ですらあります。しかし、展示物の背負った歴史や背景に気づいた時、私たちがつくりあげてきた文明や認識、現代社会を再考せざるを得なくなるでしょう。

そして、本展覧会で世界初公開となる写真作品<廃墟劇場>を発表します。これは1970年代から制作している<劇場>が発展した新シリーズです。経済のダメージ、映画鑑賞環境の激変などから廃墟と化したアメリカ各地の劇場で、作家自らスクリーンを張り直して映画を投影し、上映一本分の光量で長時間露光した作品です。8×10大型カメラと精度の高いプリント技術によって、朽ち果てていく華やかな室内装飾の隅々までが目前に迫り、この空間が経てきた歴史が密度の高い静謐な時となって甦ります。鮮烈なまでに白く輝くスクリーンは、実は無数の物語の集積であり、写真は時間と光による記録物であるということを改めて気づかせてくれるこれらの作品によって、私たちの意識は文明や歴史の枠組みを超え、時間という概念そのものへと導かれます。その考察は、シリーズ<仏の海>でさらなる深みへ、浄土の世界へと到達します。<仏の海>は10年以上にわたり作家が取り組んできた、京都 蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)の千手観音を撮影した作品です。平安末期、末法と呼ばれた時代に建立された仏の姿が、時を超えていま、新インスタレーションとなって甦ります。
人類と文明が遺物となってしまわないために、その行方について、杉本博司の最新作と共に再考する貴重な機会です。ぜひご高覧ください。 
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2565.html[2017/01/10] 

「ヴェルサイユ宮殿≪監修≫ マリー・アントワネット展」


 
 
 マリー・アントワネット展。来場者は女性がほぼ95パーセントくらい。展示の感じはおおむね予想通りだなという感じで、決してつまらないわけではないけど、格別に面白いというわけでもない。原寸大のマリー・アントワネットの私室の空間再現コーナーがあったけど、ヴェルサイユを一度見たことがあるというひとにとってこれも再現度という点では限界があるし…。
 どちらかというこの展示自体というよりも、ヒルズ内のレストランでの展示とのコラボスイーツのほうを楽しみにしていたのだけど、気付いたらなぜかしゅらすこで、肉という肉たちをがっつり食べていた。

『あゝ新宿―スペクタクルとしての都市』展 早稲田大学演劇博物館




 60年代の新宿!ほんとうに、素晴らしいテーマ。展示空間で、タイムスリップをして思いきりあの時代の空気感に浸ることが出来て(生まれていないけど)。
 東京の色々なエリアのなかで新宿は、なんだかんだ自分が強く愛着を抱いている街ではある。 色々な層やタイプの人がいて、雑多で、人も物も溢れてごちゃごちゃしていて、でも歩いている人たちは互いに各々の目的を持っていてすれ違いだけ。「若者の街」の渋谷、ファッションの街としての原宿、のように何か人々の特定の部分に働きかけてそこを目指させるような街の求心力があるというよりも、新宿は仕方ないからここにきている・通過している、という感じで、むしろそれがとても心地が良い。
 60年代というのは新宿にとってもきっとまた特別なものがあるのだろうが、新宿の地に降り積もる歴史を追ってみたいなと思っていたら、どうやら「新宿歴史博物館」なるものがあるらしく、これはぜひとも行かないとならない。


1960年代、新宿は明らかに若者文化の中心だった。紀伊國屋書店、アートシアター新宿文化、蝎座、新宿ピットイン、DIG、風月堂、花園神社、西口広場……。そこには土方巽、三島由紀夫、大島渚、唐十郎、寺山修司、横尾忠則、山下洋輔らさまざまな芸術文化の担い手たちや若者たちが集結し、猥雑でカオス的なエネルギーが渦を巻いていた。新宿という街自体がハプニングを呼び込む一つの劇場、一つのスペクタクル、あるいは一つの祝祭広場を志向していたのだ。では、現在の新宿はどうか。かつてのようなエネルギーに満ち溢れた新宿独自の文化は失われてしまったのだろうか。
本展では、新たに発見された劇団現代人劇場『想い出の日本一萬年』(作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄、アートシアター新宿文化、1970)の貴重な舞台映像や大島渚監督『新宿泥棒日記』(1969)の上映をはじめ、写真やポスターなどさまざまな資料から新宿の文化史を辿り直すとともに、新宿の今を検証する。そして磯崎新による幻の新都庁案で提示されていた祝祭広場の思想を手がかりに、祝祭都市新宿の未来像を構想したい。

【磯崎新の新都庁案とは】
 現在の東京都庁舎建設に際して、1986年に行われた指名コンペでは、9つのプランが提案され、そのうち8案は、100mを超す超高層案だった。唯一、磯崎新は、これに真っ向から対立する案を提出。磯崎は、新宿の文化が孕む「闇」の覚醒を画策していたのだ。
 本展では、未来の新宿文化を予言する意図で、展示室一室を使って、1986年に準備された、磯崎新による「東京都新都庁舎のためのプロポーザル」の原本とその全ページ、当時最新だったCAD(computer-aided design)による透視図を展示している。さらに、近年、磯崎新の新都庁舎計画を大胆に再評価したテレビ番組『幻の東京計画〜首都にありえた3つの夢』から、CG映像を上映する。 
http://www.waseda.jp/enpaku/ex/4395/ [2016/09/11]

「人造乙女美術館」ヴァニラ画廊


 
 

オリエント工業のラブドールたちに、ついにお目にかかることが叶った。「人造乙女美術館」。ポスターには「世界で一番、美しい人形。」という意味深なコピー。前回の展示がどうであったかわからないけど、今回の展示では各々のドールが絵画や文学作品(『未來のイヴ』のハダリーとか)からそのモティーフを取ってくるもので、日本美術史家の山下裕二さんが監修し、日本画を再現したドールも。

 話題性もあったからか展示にはそこそこの人がいて、男女比はちょうど半々。年齢層はだいたい20代~50代くらい。

 ドールの感想。見た目はこれまで見た写真から予想していた通り、という感じ。触ることができるドールも用意されていたので、手を握ったり胸を押したりしてみた。触感はかなりしっとり、ぺたぺたしていて独特。人間の肌のすべすべとした触り具合とは大きく異なる。これはこういうものだとみないとならないかもしれない。
 一応は現実の女性の代替として、これを現実の女性と完全に置き換えて想像する、というのが想定された使い方だとおもうのだけど、このラブドールのファンの一部には、彼女が「ドール」だからこそ欲情する、という方が大きいのかもしれない。それは一種の「倒錯」の部類。生の無い対象。ネクロフィリアと人形愛の狭間。

 気になった点としては、オリエント工業のドールたちとは、私たちは決して目が合うことがないということ。人形たちはそもそも正面は向いていないし、目を合わせようと顔を覗き込んでもなかなか合わせることができない。すべてのドールがそうであったから、おそらくそれは意図的なもので、「恥らい」的なものの演出なのか。




 今回展示されていたドールたちは「展覧会」向けに制作されているということもあって、やはり通常販売している商品の女の子たちとは違う。重要な「用途」のひとつである性器の部分は隠されているし、第一お洋服を着ていて、大きな着せ替え人形かマヌカンといったところ。
 
 あえてそのようにしているのは、販売者側のイメージ操作の問題(いやらしくない、美術作品のよう、本物の女性みたい)というのがあるのはもちろんあるとは思うが、他には倫理的な問題云々もあるかもしれない、とも思った。
 男性がプライベートな空間においてあくまでも「リアル」と同じように扱う女性である、すなわちヒトガタにおいて「人」という性質を最大限に見てとっている。ラブドールという「人形」においては、「人間の代理」という役割が何よりも大事。

 それを女性側の視点から考えるならば、本物の女性と同じものである以上は、人前で破廉恥な恰好はさせられない、とか。ドールに一応の敬意を払っているということ。
 また男性側からしたら、自分たちの親密な関係性を結ぶ「女性」とその間の関係性を見世物のように鑑賞者たちに面白がられるというのは気分の良いものではないだろうから、そのあたりの会社側の配慮も多分にあるだろう。

 ただ、どれほどそれらしさを消そうとするとしても、展示されているのは紛れもなくラブドールであってダッチワイフであって、私たちはそのドールの精巧さときれいさとに感心してしまうけれども、良く考えれば実際に男性が「使用」しているさまというのは全く想像もさせない空気というのは逆に妙なものである。
 ともかく、今回の「人造乙女美術館」で展示されていた彼女たちには少なからず「よそ向き」という印象があった。本当のラブドール「らしさ」を感じるためにはやはりショールームへと出向くことが必要かも。


 



人形でありながら生活に密接し、社会性を持ち、何より愛を受けるために創られた「ラブドール」という存在。オリエント工業製のラブドールは、女性の似姿の中で最も愛を受ける形を極限まで追求した職人技術と、 「人と関わり合いを持つ人形」を制作するという志の結晶ともいえるでしょう。

ヴァニラ画廊では過去4度にわたり、オリエント工業の協力の元、不気味の谷を一足飛びで跳躍するラブドールの魅力の系譜を辿り、人形の新たな側面を異なる角度から見つめてきました。

今回は特別に、美術評論家の山下裕二氏監修のもと、日本画家・池永康晟の美人画をラブドールで完全再現し、ドールの持つ美しさと美術表現の新たな魅力と可能性に迫ります。
また、他にも絵画の中から再現した美女たち、近未来を予感させる最新ドールインスタレーションなどを展示予定です。 人には宿ることのない不思議な魅力を持った、最も美しいドールたちの魅力を是非ご覧ください。

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2016/20160425ab.html [2016/5/31]

『大妖怪展――土偶から妖怪ウォッチまで』、『伊藤晴雨幽霊画展』江戸東京博物館



 
 
 妖怪の夏、にしようと決めていた――わけではなかったけど、今年は結果的に例年よりも多くの時間、妖怪に想いを巡らせる夏になっていた。それもこの大妖怪展の開催というきっかけが大きかったかもしれない。毎年夏には何らかの妖怪系の展示や雑誌の特集が組まれることは近年特に定番になりつつあるが、その対象としていたのはどちらかといえば比較的もとから「こっち系」が好きな人がほとんどだったのに対して、この大妖怪展と、おそらくこれに合わせてユリイカが思い切り「ニッポンの妖怪文化」と来たのはかなり大きい。ユリイカ、迷わず購入したけれど、京極氏と小松先生のインタビュー、各々の論考も多方面の研究者の方によるもので、文学と美術と民俗学と比較文化…と実に充実している。多様な領域からアプローチが可能な妖怪、本当に愛おしい。永久保存版ではないかしら。
 
 大妖怪展は開催の告知を見てからはずっと楽しみにしていて、ただすでにこれほど多くの場所で語られている「妖怪」を取り上げてどれほどの新奇性が出せるかというところも、テーマが大きすぎるためにどのような切り口で構成し展開していくかどうかも難しい問題だと思うので、正直どれほど期待ができるのかという不安もあった。大体、「大」なんて、みずからハードルをあげるようなことをして…。
 だが良い意味で予想を裏切ってくれた。私自身、妖怪関連の言説をすべて追うことができているわけではまったくないが、ある程度の妖怪好きとしてもこれまで見たことのないような類の絵がいくつもあり満足だった。
 もちろん「大」とつくからにはもっとあらゆる絵画や史料が膨大にあるのが理想だし、あれもないこれもない、というのは見つかるし、最後の妖怪ウォッチは“取って付けた感”しかないし、全体的にかなり駆け足になっている感じは否めないけれど、そもそも妖怪なんていうものを全部網羅することなんて不可能。だからコンパクトという意味で肯定的に捉えてしまって良いのかな。マニアの人からしたら色々と文句はあるのかもしれないが、何か決定的な過不足や偏りをすぐに指摘できるほどに、妖怪に詳しいわけではない…。
 
 
 大妖怪展はメインではあったけれど、もうひとつの今回の大事なお目当てが、伊藤晴雨。まさかあの晴雨と、夏休みファミリー子ども向けの妖怪展を同時開催なんて…と知った時には驚いたけど杞憂でした。言うまでもなく晴雨といえば責め絵、というイメージが定着してしまっているように、私も彼には20禁の和製フェティッシュSM画家、という印象ばかり抱いていた。それはそれで大いによろしくはあるのだが、あれほどに強烈な絵を描く人が、今にも消えいってしまいそうな幽玄の美を表現することのできる画家であったとは知らなかった。案外にも融通の利く人なのだ…。
 けれど、ただの薄ぼんやりとした幽霊の絵、というのとは違って、けしておどろおどろしいわけではないのに、一体一体の幽霊たちは生き生きと(?)していて、どこか凄みを感じさせるところがある。どうも強く惹きつけられてしまった。画集が欲しかったな。
 

 妖怪は、日本人が古くから抱いてきた、異界への恐れ、不安感、また〝身近なもの〟を慈しむ心が造形化されたものです。「百鬼夜行絵巻」(ひゃっきやぎょうえまき)などに描かれた妖怪たちの姿は、一見すると不気味ながら、実に愛らしさにあふれています。

 日本絵画史上、異界の生き物としての「鬼」や「化け物」が登場するのは平安時代の末期、12世紀とされます。たとえば、平安時代末期から鎌倉時代にかけては、邪気を退治する神々を描いた国宝「辟邪絵」(へきじゃえ)や、国宝「六道絵」(ろくどうえ)に地獄の様相があらわされ、鬼が数多く登場します。これらが妖怪誕生のイメージ・ソースとなります。中世に入ると、いよいよ妖怪の登場です。気弱そうで同情を引く顔つきの妖怪が登場する重要文化財「土蜘蛛草紙絵巻」(つちぐもそうしえまき)や、古道具を妖怪化させて物の大切さを説く「付喪神絵巻」(つくもがみえまき)など、親しみやすさが色濃くなります。さらには、コミカルな鬼たちが京を闊歩する室町時代の重要文化財「百鬼夜行絵巻」や、江戸時代では葛飾北斎「百物語」や歌川国芳「相馬の古内裏」(そうまのふるだいり)などの作品が、後世に大きな影響を与えました。

 本展では、古くから日本で愛されてきた妖怪、すなわち〝異界への畏れの形〟の表現の展開を、縄文時代の土偶から、平安・鎌倉時代の地獄絵、中世の絵巻、江戸時代の浮世絵、そして現代の「妖怪ウォッチ」まで、国宝・重要文化財を含む一級の美術品で紹介します。民俗学にかたよりがちだった従来の妖怪展とは一線を画す美術史学からみた〝妖怪展の決定版〟です。 
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ [2016/09/11]