2016/10/02

「メアリー・カサット展」横浜美術館


 
 
 印象派の女性画家…、いつか一周回って好きになれる日がきたらよいな。(?)
 
メアリー・カサット(1844-1926)は、米国ペンシルヴェニア州ピッツバーグ郊外の裕福な家庭に生まれました。画家を志し、21歳のときに父親の反対を押し切ってパリに渡りました。古典絵画の研究から出発し、やがて新しい絵画表現を模索するなかでエドガー・ドガと運命的な出会いをとげ、印象派展への参加を決意します。カサットは、印象派から学んだ軽やかな筆遣いと明るい色彩で家庭の情景を描き、独自の画風を確立していきました。特に母子を温かい眼差しで捉えた作品は人々の共感を呼び、カサットの名を不朽のものとしています。晩年には、その業績に対しフランス政府からレジオン・ドヌール勲章が授与されました。女性の職業画家がまだ少なかった時代に、さまざまな困難を乗り越えて意志を貫いたカサットの、力強くエレガントな生き様は、現代の私たちにも勇気を与えてくれるでしょう。  

本展では、カサットの油彩画やパステル画、版画の代表作に加え、エドガー・ドガ、ベルト・モリゾなど交流のあった画家たちの作品、画家が愛した日本の浮世絵版画や屏風絵なども併せて約100点を展観し、初期から晩年にいたるまでのカサットの画業の全貌を紹介します。日本では35年ぶりの待望の回顧展となる本展は、愛にあふれるカサット芸術の真髄に触れる貴重な機会です。  
http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20160625-465.html  [2016/10/02]

「Radical Democracy」ASAKUSA

 サンチャゴ・シエラとトーマス・ヒルシュホーン。クレア・ビショップの「敵対と関係性の美学」で扱われていた二作家の作品、書籍の紹介やインタビュー映像等。ギャラリー自体が古民家を改装したという面白いところで、入る時にも本当にここで合ってるかしら…?と少し不安になってしまった。

 展示は小規模ながらインパクトの強いものだった。印象に残っているのはシエラの作品“133 Persons Who Dyed Their Hair ”(2001)、流れ作業式に雇われたひとたちの髪を脱色していく作業を記録した映像。強制収容所を連想してしまう。作業は淡々と進められ、和やかとはいわないが殺伐としているわけでもなく、美容師たちも脱色を受けている人たちも笑みを浮かべたりもしているのに、どこか異様な光景で薄ら寒さを覚えた。頭髪とはいえ、身体に加工、変工を加えるというのはやはりある種の暴力的な行為といえるのだろうか。色を抜いているわけだから、そのあたりにも何かしらの含みを感じる。いずれにせよ染髪が100人以上の規模で行われている図は見ていて気持ちの良いものではない……、ということを実際に感じることができたのは、展示に出向いた大きな収穫だったと思う。

『パロマンポルノポスター展 by Gaku Azuma』ポスターハリスギャラリー




 
 
 アツコバルーのエロトピア・ジャパンと同時期に開催していたもの。東學さんは以前の展示で好きになったけど、今回はかなり趣向が違う。
 
 へええ、なるほど…しかし、ロマンポルノというのものに全然詳しくないので、実際のそういう類のものの、どのあたりを揶揄していたりとかパロっているのか、というのはいま一つピンと来なかった。でも制作していてきっと楽しいんだろうなということは想像がつく。いいな、実践できて。

『「神は局部に宿る」都築響一 presents エロトピア・ジャパン展』アツコ・バルー








 
 行こうか、行くまいか、さんざん悩んだけど結局会期末近くになって訪問を決意。ひとりでこの類のものに出かけることに対して何も感じないというわけではない。だけど、家が近いし、通りがかりだし、仕方ない。話題性もあるし、ほら、風俗って、都市史とかすごい関係あるし。
 
 秘宝館、ラブドール、ラブホテル…といった内容についての考察は、たまに本が出ていたりするけれど研究書というよりサブカル書のイメージ。専門家の方とかいるのだろうか。ともかくこのテーマの展示が渋谷の立派なギャラリーで開催された、ということには大きな意味があると思う。失われつつあるエロ文化。個性豊かでトンデモなラブホテルたちが風営法の強化によって淘汰されつつあるというように、猥褻なはずのものさえオシャレなものとなりつつあることを嘆くべきなのかどうかは知らない。しかし変わりゆくものとして捉えておくのはだいじな試み、たぶん。地味に波がきているのかもしれない。
 


日本を訪れる外国人観光客は、氾濫する性的イメージにいきなり圧倒される。通りにはみ出す風俗看板に、路傍でチラシを配るメイド少女に、DVD屋のすだれの奥に、コンビニの成人コーナーにあふれ匂い立つセックス。そしてハイウェイ沿いに建つラブホテルの群。

この息づまる性臭に、暴走する妄想に、アートを、建築を、デザインを語る人々はつねに顔を背けてきた。超高級外資系ホテルや貸切離れの高級旅館は存在すら知らなくても、地元のラブホテルを知らないひとはいないだろうに。現代美術館の「ビデオアート」には一生縁がなくても、AVを一本も観たことのない日本人はいないだろうに。そして発情する日本のストリートは、「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」だらけなのに。

ラブホテルもイメクラも秘宝館も、その作り手たちは、自分がアートを作ってるなんて、まったく思っていない。彼らが目指すのはただ、自分と受け手の欲望と妄想をもっとも完璧に満足させる装置である。性欲と金銭欲とを両輪にドライブしつづける、そんな彼らのクリエイティヴィティの純度が、いまや美術館を飾るアーティストの「作品」よりもはるかに、僕らの眼とこころに突き刺さってくるのはどういうことだろう。アートじゃないはずのものが、はるかにアーティスティックに見えてしまうのは、なぜなんだろう。

さげすまれ、疎まれることはしばしばでも、敬意を払われることは決してないまま、それらはひそかに生き延び、いつのまにか消えていく。

日出づる国のブラインドサイドに響く、その歌が君には聞こえるだろうか。

都築響一



○展覧会に寄せて 
都築響一の仕事はユニークで筋が通り、とにかく勇敢である。芸術と言う肩書きを持たないが心打つもの、周りからは変人としか見られていないが自分の価値観を曲げずに生きている自由な精神を持つ人達を取材すること何十年。彼のメールマガジンには毎週、紙ページにしたら60ページくらいになるかと思う記事が載せられている。

○隠れた、でも実は有名な日本文化
テーマは「エロ」である。昭和30年生まれの女子である私は躊躇した。男性の飽くなき性欲とか妄想、と言うのは辟易するテーマ(実は不快)である。しかし自分に張り付いた社会の道徳や取り決めを取り払って観察すると、日本の「エロ」は確かに特殊で詩的ともいえる。ラブホやイメクラには物語があり、物語に男性は酔う。実際いやらしいのだが、西洋のそれのように後ろめたく陰湿ではなく遊び心にあふれている。西洋の「エロ」がおぞましい肉と肉のぶつかり合いに終始するのとは全然違うのだ。いかに男性の精神と体が複雑になれるかを表している。日本の「エロ」は文化的で進歩形だと思う。

○神は本当に局部に宿るのか
国や社会は個人を統制する大きな機械である。しかしどんな精巧な機械の下でも、凡庸な個人が自由を味わえる瞬間がある。それは恋愛、セックス(結婚ではなくて)、お酒、ドラッグ、そしてアートによってもたらされる。故にセックスは悪いもので隠れて行われるべきと思われる。しかし上記のものをたしなんでいる時、人は完全に自由な個人として宇宙に存在する事ができる。その瞬間の継続を探るのが哲学であり宗教である。

○なぜ、今「エロ」なのか?
世界が不安である。日本の社会も同様だ。いくら亀のように手足を引っ込めてやり過ごしたくても、私たちは嵐に巻き込まれている。そんな時代が20世紀の初めにもあった。第一次大戦前夜である。戦争に走る世論の中で平和運動に身を投ずる者もいれば、個人の精神と妄想、神秘的な経験に自由を求めた学者や芸術家達もいた。それは現実逃避ではなく、怒濤に飲み込まれない精神の自由を勝ち得る為の手段だった。彼等とは、アールブリュットの作家を取り上げた人たちやユングやシュタイナー*である。しかし、そんな遠い国の昔の文献を読まずとも、我々には運の良い事に都築響一がいる。エロの楽園、エロトピアに遊びにきてください。この名もなき芸術家(?)達の提示する妄想のブレーンストーミングを受ければ、あなたにも社会に惑わされない強いエゴ=エロが出てくるはずです。

*ユングとシュタイナー:2013年のヴェネチアビエンナーレのエントランスを飾った強烈な展示はユングのレッドブック(精神病患者の妄想を彼が絵にした巨大な赤い本)とルドルフ・シュタイナーの黒板(彼の講義中に描いた黒板)、そして女性画家で神秘主義と象徴主義のヒルマ・アフ・クリントなどに続いて澤田真一、大竹伸朗、吉行耕平。という強烈なラインナップで私はそこにはっきりとしたメッセージを感じた。言葉で説明しないと成り立たない現代アートにもう限界を感じているのだ。霊的な物、魂の根源からくるもの、町で拾った紙のスクラップブック、そして覗き写真。あそこに都築響一の秘宝館コレクションは絶対あってよかった。と確信している。皆さんヴェネチアにいると思って下さい。とても運がいいです。飛行機代なしでビエンナーレが見せたかった物が見られますよ。
私にとって今回の展示は2014年の6月に行ったアントワーヌ・ダガタの展覧会『抗体』とメッセージは同じです。ただあの展覧会では皆泣いてしまったが今回は皆さんに笑って欲しいです。

2016年 春 アツコ・バルーhttp://l-amusee.com/atsukobarouh/schedule/2016/0611_3709.php [2016/09/11]

宮本隆司「九龍城砦」+トークイベント キヤノンギャラリーS(品川)


 
 
  九龍城砦、という名はこの展示の案内をみるまで聞いたことがなかったのだろうと思う。もしどこかで目にしたり耳にしたりする機会があったなら、そのときに興味を持たなかったはずはないから。
 
 香港を旅行で訪れたのは中学生の時だったから記憶もかなり曖昧ではあるが、香港の超高層建物群にただただ圧倒されたことははっきりと覚えている。その建物はオフィスだけではなくて古くからある一般の人々の住居。十を優に超えるほどの階数があるのに、エレベーターがないのだとか知らされたり。
 
 「100万ドルの夜景」だなんてまったく素敵でもない表現で世界三大夜景のひとつに数えられてはいるけれども、さしてロマンチックな気分になどなれず、心が不穏に掻き乱されてざわついたのを思い出す。
 
 
 私が訪れた時にはこの九龍城砦はもうすでに解体されてしまっていたけれど、今思うとその気配は街全体に微かに残っていた…という気がするのはさすがに後付けの妄想の投影だろうか。
 熱気、混沌、欲望。あらゆる要素が混在して黒々と渦巻く城砦の怪物的な様相に、写真を通して見るだけでも思わず声を失ってしまう。このとてつもない空間が、小説や映画をはじめ様々な芸術家たちの霊感源となっていたことは容易に肯ける。川崎には九龍城砦をモデルとしたアミューズメントパークがあるというし。(http://matome.naver.jp/odai/2137081929174999701
  
 
 展覧会の概要解説には「アジアン・ゴシック」とあり、「チャイニーズ・ゴシック」などの用語は私は勝手に一般化していると感じていたのだけどどうやら全然そうではないらしかった。でもこの言葉は九龍城砦という空間を巧みに形容していると思う。
 押井守が『イノセンス』の世界を創り上げる時に、都市の設定は「中華ゴシック」にしようと決めたというエピソードは、彼の『イノセンス創作ノート』(徳間書店、2004年)に記述がある。同様の世界観として『ブレード・ランナー』を嚆矢とする系譜がもちろんあるだろうが、この九龍城砦にもかなりの影響を受けているのは間違いないのだろう。(あとは、「Asian Gothic Label」という名前のアーティストがいるそう。)
 
 
 西欧において「アジアン・ゴシック」的な雰囲気に対応するのは、私のステレオタイプ的なイメージでは、中世。まさしくゴシックの時代。
 しかしアジアにおいてみられる「ゴシック」という言葉に託されたイメージは近代化の過程で生じてきたもの。天に焦がれるかのように高く聳える教会の円塔は、ここでは人の溢れた地上とは反対に重力に逆らってただ上へ上へと伸び行く摩天楼。勿論、天上に神など存在してはいないのだけれど。
 
 
 
 ちょうどタイミングがあったのでトークショーも聞くことができた。宮本隆司さん×巽孝之先生。以下、メモ書き。
 
・「境界の解体」―サイバーパンク、スリップストリーム
W・ギブスンが九龍城砦を取り上げる。国境を含め様々な境界が解体。
 
・ジョージ・スタイナー“extra territorial”(治外法権)⇒「脱領域」(by由来)
亡命作家、多言語使用、母語以外で執筆する作家
e.g. ナブコフ、エリオット、ヘミングウェイ…
 
・「橋」のモティーフ
・樹上建築からのインスピレーション?
 
・赤瀬川源平『超芸術トマソン』に登場、ギブスン『あいどる』(1996)
・白金のギーガー・バー
 
・廃墟が逆説的にも孕む有機性・生命力。
 パイプ・コードや壁に這う蔦などの植物。増殖し続け、未完成(結)でもある
 
・「権威」ではなく、「悪」の象徴としての建築(群)
 無法地帯―ユートピア性、どこにも帰属しないこと。難民の逃避先
 
 

■開催概要
本展は、写真家宮本隆司氏による写真展です。
かつて香港の九龍地区にあった高層スラム、九龍城砦を撮影した写真約50点を展示します。
無法地帯、迷宮と呼ばれ、4万人が息をひそめて棲む巨大コンクリートスラム 九龍城砦。この地に流れ着いた人々の生活を写し撮り、スラムの状況を今に伝えます。現代の無秩序と闇の具現体である九龍城砦が、宮本氏の操る光と影によって見事に再構築されました。
九龍城砦が取り壊された現在、想像を絶した謎多き空間を新たに提示する貴重な作品となっています。作品はすべてキヤノンの大判プリンター「imagePROGRAF」でプリントし展示します。


■作家メッセージ
九龍城砦が消滅してから20年が過ぎた。
香港に鎮座していたアジアン・ゴシックと称される高層スラム、九龍城砦が今でも話題になることがある。
あの巨大コンクリートスラムの建造物が意味するところは一体、何だったのだろう。
2.5ヘクタールの土地に4万人もの人々が暮らしていた巨大高層コンクリートスラムは、悪の巣窟、魔の具現体としてさまざまな表現媒体で繰り返し象徴的に描かれ語られてきた。
現代の魔窟、アジアン・カオス、無法地帯と恐れられながら悪と魔性の象徴として映画、劇画、SF、ゲームの世界でしぶとく生き続けてきた。
数々の謎と伝説をまとった九龍城砦は、困難な歴史を背負った無数の人々がたどり着いた極限の住居集合体であった。
東アジアの香港に出現した、中国人の集合的無意識の結晶体であった。
人々が生活し、まだ生きていた九龍城砦を改めて見つめ、その存在を問い直してみたい。

http://cweb.canon.jp/gallery/archive/miyamoto-kowloon/index.html [2016/07/07]