2016/08/22

「Tadao Ando: Drawing, Photograph, Maquette」Akio Nagasawaギャラリー



 
 
 安藤忠雄の展示。「光の教会」「住吉の長屋」「直島プロジェクト」などを紹介する写真や模型。
 
「光の教会」は日本で見る教会の中ではすてきかも。写真でまともに見たのも初めてだったが、いつか訪れてみたいと思う。

「清水真理 ~Romantic~」銀座人形館Angel Doll


 
 
 銀座人形館での清水さんの個展。お友達になりたい、と思える子が何人か。

「伊藤文學コレクション オールド・ロマンーー歴史の小片を掻き集めて」


 
 
 
 絵葉書と蔵書票に大きく流行した時期というのがあったことは知らなかった。世界の絵葉書の流行は日本とおよそ時期を同じくしていて、そのきっかけが1900年の国際郵便の開始。1904年の日露戦争を機に戦勝記念絵葉書が販売されて、以降急速に普及したという。政府の政策にも結びつくものだったという点は興味深い。夢二をはじめ、絵葉書にイラストを提供することで小金を稼いでいた画家などもいたとか。
 
 「絵はがき芸術の愉しみ展」というのが過去に開催されているようで、その図録には日本における絵葉書の誕生と変遷が書かれている。オールド・ロマン、歴史の小片。一枚一枚の小さなピースがそれぞれの記憶を留めていて、私たちの前に姿を現しているのだと思うとふしぎな気持ち。



今から約150年前、黒船がやってきて日本に新しい風が吹いた。数多の人が自らの手で未来の設計図を思いのままに描いたロマンティックな時代が訪れた。それからというもの、いくつもの戦争と改革を重ねて社会が変わり、文化は成熟していった。

そのひとときを刻む文字、絵図があった。明治・大正の時代のすがたと熱量を一枚に込めた絵葉書や蔵書票等。これらは量産され、多くの人の手に渡り、未来への高揚感や希望へと結びついていった。こういったロマン溢れる歴史の小片を伊藤文學氏は蒐集した。

オールド・ロマンは自由な時間軸の往来を可能にする。名も知らぬ数多くの物語が込められた一枚からロマンの敷石を辿ると、私たちの生きる現代が見えてくる。

「描かれた夢解釈――醒めて見るゆめ/眠って見るうつつ」国立西洋美術館




 国立西洋美術館、版画素描展示室での企画展。

「目醒めているときには見られないような、偉大な理論と優品を、夢のなかでいかにしばしば見ることであろうか。だが、目醒めれば、その記憶は失われるのだ」(下村耕史訳)――ドイツ・ルネサンスを代表する画家、アルブレヒト・デューラーは、未完に終わった『絵画論』の草稿に、そう書き残しています。

「優れた画家の心は形象で充ちている」と記し、晩年には終末的な洪水の夢を見たことでも知られるデューラーは、人間の心内に蓄積された無数のイメージ記憶が、目醒めているときよりも眠っているときにこそ活発に動きだし、豊かな変容を遂げていくことを、20世紀におけるシュルレアリスムの台頭などより遥か以前、16世紀初頭の時点で、どうやら敏感に悟っていました。

こうしたデューラーの思考が物語るように、西欧の芸術家たちはルネサンス期以来、しばしば「夢」に対する関心を露わにしています。しかも、彼らはそれをただ言葉で論じるだけでなく、絵画や版画によって描きだしてもいました。それらは1900年にジークムント・フロイトが『夢解釈』を書くのに先立ってなされた、「描かれた夢解釈」とでも呼べる試みではなかったでしょうか。

当館の所蔵作品によって構成されるこの小企画展では、デューラーやジョルジョ・ギージ以降、フランシスコ・デ・ゴヤやマックス・クリンガー、フェリックス・ブラックモンやオディロン・ルドンといった近代画家たちまでの「夢」の表象を集め、さらには「メフィストフェレス」や「聖アントニウスの誘惑」といったテーマに光をあてることで、西欧における「眠り」や「夜」、無意識の「欲望」や「誘惑」のイメージに迫りたいと思います。 
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016dream.html [2016/07/03]




Gothic&Lolita Bible vol.60


 
ゴスロリバイブル。vol.60 記念号。
 
私が初めてバイブルを買ったのが、中学生の頃?
「少女貴族」のDress Hat、欲しかったけど諦めてしまったのだった。

2016/08/12

「犬神左兵衛の密かな愉しみ」「犬神左兵衛の密かな愉しみ 第二章」マリアの心臓(銀座)





 マリアの心臓、銀座での二回目の展示。演出、美術を手掛けているのは劇団で、寺山の戯曲「犬神」のときのセットをそのまま利用しているのだそう。

 本当に言葉も出ず圧倒されて、移動するたびにため息ばかり。この世界観にはもちろん大原のを訪れてかなり慣れてはいたのだけど、展示数も人形の種類も多く、ここまで気合の入った凄まじい演出だとまた。
 一畳くらいの小部屋が4つくらい並び、中央の一番大きな部屋には日本人形からビスクドール、三つ折れ人形、現代日本人形作家の最近の作品までさまざま。勿論、人形だけではなくて絵画や彫刻なども同時に展示されているが、それがひとつのマリアの世界を形づくっている。

 「人形」が内包しているありとあらゆる雑多性、そのカオスの演出という点でいったら、それを最も素晴らしく体現できるのは個人的にはやはりマリア以外には有り得ないとあらためて感じた。
 第二章も行って、こちらもだいたい第一章のときと同じ。

 佐吉さんにも二回とも遭遇。一回は若い女の子とのアルバイトの面接中でした。