安藤忠雄の展示。「光の教会」「住吉の長屋」「直島プロジェクト」などを紹介する写真や模型。
「光の教会」は日本で見る教会の中ではすてきかも。写真でまともに見たのも初めてだったが、いつか訪れてみたいと思う。
今から約150年前、黒船がやってきて日本に新しい風が吹いた。数多の人が自らの手で未来の設計図を思いのままに描いたロマンティックな時代が訪れた。それからというもの、いくつもの戦争と改革を重ねて社会が変わり、文化は成熟していった。
そのひとときを刻む文字、絵図があった。明治・大正の時代のすがたと熱量を一枚に込めた絵葉書や蔵書票等。これらは量産され、多くの人の手に渡り、未来への高揚感や希望へと結びついていった。こういったロマン溢れる歴史の小片を伊藤文學氏は蒐集した。
オールド・ロマンは自由な時間軸の往来を可能にする。名も知らぬ数多くの物語が込められた一枚からロマンの敷石を辿ると、私たちの生きる現代が見えてくる。
「目醒めているときには見られないような、偉大な理論と優品を、夢のなかでいかにしばしば見ることであろうか。だが、目醒めれば、その記憶は失われるのだ」(下村耕史訳)――ドイツ・ルネサンスを代表する画家、アルブレヒト・デューラーは、未完に終わった『絵画論』の草稿に、そう書き残しています。
「優れた画家の心は形象で充ちている」と記し、晩年には終末的な洪水の夢を見たことでも知られるデューラーは、人間の心内に蓄積された無数のイメージ記憶が、目醒めているときよりも眠っているときにこそ活発に動きだし、豊かな変容を遂げていくことを、20世紀におけるシュルレアリスムの台頭などより遥か以前、16世紀初頭の時点で、どうやら敏感に悟っていました。
こうしたデューラーの思考が物語るように、西欧の芸術家たちはルネサンス期以来、しばしば「夢」に対する関心を露わにしています。しかも、彼らはそれをただ言葉で論じるだけでなく、絵画や版画によって描きだしてもいました。それらは1900年にジークムント・フロイトが『夢解釈』を書くのに先立ってなされた、「描かれた夢解釈」とでも呼べる試みではなかったでしょうか。
当館の所蔵作品によって構成されるこの小企画展では、デューラーやジョルジョ・ギージ以降、フランシスコ・デ・ゴヤやマックス・クリンガー、フェリックス・ブラックモンやオディロン・ルドンといった近代画家たちまでの「夢」の表象を集め、さらには「メフィストフェレス」や「聖アントニウスの誘惑」といったテーマに光をあてることで、西欧における「眠り」や「夜」、無意識の「欲望」や「誘惑」のイメージに迫りたいと思います。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016dream.html [2016/07/03]