2014/10/21

でろり、についてのめもがき

でろり、とは言い得て妙なことばであると思う。ひらがな(あるいは片仮名でもまた違った趣があるけれど)が喚起する独特な効果と、それを口にするときの舌の動かし方……
発音する側にも躊躇いが生じ、発せられたその音を耳に入れた側にも、厭らしさを禁じ得ない。こんなにも、それの意味する対象を適確に表現した言葉はないのではなかろうかという気さえする。


でろりという言葉自体は岸田劉生が甲斐庄楠音という画家の作品をたとえて使った表現らしく、

「濃厚で奇怪、卑近にして一見下品、猥雑で脂ぎっていて、血なまぐさくもグロテスク、苦いような甘いような、気味悪いほど生きものの感じを持ったもの」(芸術新潮より)

といったもののことを示す。

洗練、優美、上品、幽玄、などのいわゆる「日本的な美」といわれているものに思い切り真っ向から反撥して、下卑で、ギトギトで、グロテスクで無骨、淫靡、無学的…なもろもろを愛好する精神が実は日本美術の根底には脈々と受け継がれてあったのだということで、その美を見出し諸々を崇め讃えましょうとするのがデロリズム。
2000年の芸術新潮にて、とある美術史専門の先生の監修によって、「デロリ」特集が組まれた。縁あって(嘘です、無理矢理作りました)この先生の講義をお聞きすることが叶った。
ので、思ったことをメモ程度に。


でろりを取り上げた理由としてはおそらく、明治維新後に日本に輸入されたヨーロッパ伝統の(古代ギリシアの)美の価値観に影響を受ける前の日本人の感性が、我々の普段慣れ親しんでいるいわゆる「日本の伝統美」のイメージからあまりにも掛け離れていて、いってしまえば「ほらすごいだろうこんな世界もあるのだぞ」ということを示すため、というのがあると思う。大教室で行う講義なのか(こういうものは独占するからこそ良いのじゃない、というegoismに起因する問題提起)どうかについてはさておき、見直すべき意義があるだろうという、それ自体には同意する。

下品でエグいものをひっそりと楽しみ味わうような感性は古今東西どこにでも、どこかの表に出ない社会の裏側においてはあったことではあると思うが、このデロリについては日本人独特と言ってしまえるのだろうか。
東洋美術も西洋美術も全く疎いので下手なことは言えないが、西欧的というよりはどちらかといえば中国に近いものがあるような気がする。
けれど大陸ともまた少し風味が違っていて、少なくともあの派手派手しさにはないものがあるのではないか。唐の煌びやかさを輸入して模倣しようとしたはずの美しき平安京、その羅生門がまた、下人と老婆の醜く見すぼらしい掛け合いの現場というイメージをも私たちに呼び起こすように。(たぶん違う。)

というのは全く的を射ないたとえとしても、中国の紫禁城と西太后で想像するような、スケールの大きいギラギラしたイメージとは異なる何かというのは必ずあるだろう…。
もっとずっと土着的で、密教的なというか、のっぺり、べったりして内に篭った感じというか、あるいは岩井志麻子の小説にみられるような農耕民族的なじめじめとした陰惨な雰囲気というか。


仏像たちの剥脱前の復元予想図を見てみると、確かにどきつくてケバケバしい。あんなに心の安らぎを与えてくれるはずの落ち着いた仏像たち、仮に現在もこの姿だったなら、仏像好きを自称しているお姉さまおばさまがたが、これらにあうために長蛇の列を作ってまで会いに行っただろうか?仏像たちはいまのようにみんなから愛されただろうか?という疑問(反語?)が先生によって提示されていたのだが、なるほどこの問題はまた非常に興味深いものだと感じた。物体も人のものの考え方も、幾年を経て移り変わってゆくものなのだ。


しかしまあ、これらの絵たちをたとえばお部屋の壁に飾って毎朝おはようとかいって愛でられるほど私も肝が座っているわけではなく、個人的な趣味としてはまあ若干の慎ましさと、下卑に堕しすぎることを拒む精神の気高さというのも要求したいところではある(最後に先生がおっしゃっていたように、ガングロがデロリ…であるとするならば、やはり私はこれを手放しに礼讃するというわけにはいかなくなると思う)。

そういう意味ではやはり、幽玄とデロリズムを兼ね備え、見事に調和させており、やはり赤江瀑が日本の美の極致、完成系であると思うのだが。(唐突。でも私の中で赤江美学は確固たる不動の究極の地位を占めてしまったので異論は認めたくても認められない…。)


いずれにせよ問題なのはこういう悪趣味なものを美とする感性が存在するという事実を知らない人がいるのは、勿体無いことなのかもしれないということだろう。
芸術新潮が出てからは14年も経ったのだから、もう一度くらいどこかが特集なり組んでもよいのかもしれないとも思うが。


それにしてもこの講義、かなり大きな教室で行われているわけなのだが、これを聞いてデロリズムに開眼する方が毎年どの程度いるのかはとてもきになるところではある。

今自分でこれを書いている間にも次から次へと考えてみたいことが浮かんできてしまった。でもいまはそこまで時間がないので、またいつの日かに回そう。

2014/10/12

『美少女の美術史』展 について

青森での開催を知った瞬間から、訪れないわけにはいかない、と思っていた。今年の夏から来年の冬にかけて青森、静岡、島根の三県を巡回するというので、夏休み中に青森まで飛んでゆきたいところを我慢をして、結局、静岡に回ってきたタイミングで訪問。

よりによって三連休の中日に、高速バスを利用するという愚の骨頂ともいうべき手段をとる。東名高速、ぜんぜん動かない。(おかげで往復で合わせて3時間以上はロス…。)


静岡駅に到着し、すぐにJRに乗りかえて数駅目の草薙駅へ。そこから美術館行の直行バスに乗る予定だったのになぜか行先を間違えて乗る。幸いなことにすぐに気付くことができ、そのため一駅目で下車して歩いて向かう。方向音痴のために行き過ぎて戻ったりとかしつつ結局歩いた時間は合わせて20分くらいか。最寄り駅からは充分に徒歩圏内であり、このくらいの陽気であればむしろ歩いた方が楽しいかもしれない。

並木道の坂を上ると、やがて県立美術館と図書館のある敷地内に入る。緑豊かで、美術館の敷地らしくところどころに彫刻やオブジェが置かれ、あちこちにデッサンをするひとたちがいたり、子供連れの家族が散歩を楽しんだり。

もしバスで来ていたらこれらの場所を素通りすることになっていただろうから、バスを乗り違えたのもある意味では怪我の功名とも言っても良いのかもしれない…。



静岡県立美術館は非常に良い所だった。街中にあるこぢんまりとした美術館なのかと思っていたら、敷地が大変に広く緑が豊かだ。そして、高台にある。都心の美術館ではまず味わうことの出来ないであろう開放的な雰囲気。訪れたその日は曇りだったためにほとんど見ることはできなかったのだが、もし晴れていれば少し外れたところから大変に美しい光景が眺められることだろう。

途中、大きな看板の前で2人の若い男性に記念写真の撮影を求められる。(彼ら二人が何を目的として見に来たのかは気になるところだったが、聞きそびれた…。)
美術館の建物に到着。朝に渋谷を出発して13時ころまで昼を取るタイミングが無くおなかがすいていたので、美術館の中にあるカフェに入った。ここもまた、大変に雰囲気と居心地がよい。

コーヒーとサンドウィッチをいただいて、いよいよ企画展である「美少女の美術史」展へ。例の巨大四つん這い美少女ふうせん(?)は展示会場の外、美術館の中央のホールにでかでかと鎮座して、来場者たちを出迎える。

階段を上がりチケットを購入…する必要はなく(大学生以下は無料なのだ!)、そのまま展示会場へ。



ここからが一応、本題ではあるはずなのだが…、展示に関しては正直に言って、見終わって1週間近くが経った現在においてもなお、語るべき言葉が見つからない。展示されていた作品については、あのわりといっちゃった絵とフォントが話題になった表紙の、『美少女の美術史』の図録を参照のこと。展示については各展覧会場によりだいぶ違いがあるようなので、それぞれの美術館における展覧方法の違いというのも本来であれば確認しておきたかったところだ。

スケジュールをかなりタイトに設定していたこともありものすごく急ぎ足で見ることになってしまったのだけれども、いろいろと思ったり感じたりしたところをメモ程度にここに記しておく。



私が「『少女らしさ』について ~少女の誕生、形成、役割~」という題で"なんちゃって"課題論文を書いたのが高1のときだから今から約5年ほど前のことだろうか。少女に対して抱いていたもやもやのようなもの。まさかここで、まざまざと見せつけられているとは思わなかった。企画展示に際し参考にしたのは間違いないであろう(図録にも引用されていたりした)渡部周子さんや今田絵里香さんの書籍をたどたどしく継ぎ接ぎ(違法はしてないよ)させていただき、少女が社会においてどのように形成されてきたのかということについて考えた。ここでいう少女とは明治期に社会的な概念として形成された、かなり特殊な「少女」…とりわけ女学校と女学生に着目したものである。

その課題論文の結論部分を、下に引用してみた。ちょっと気を入れて取り組む調べ学習の程度のものだったから、内容的にも体裁的にもあまりに稚拙で論文などと呼べるような代物では到底ない。(「結論」はもはやそれまでのギロンをガン無視した自分の理想でしかない。)

また当時の私も言っているように、「少女」であった私自身の感情が強く前面に、押し出されてしまっている(それは今も一緒だが)。しかし、とにもかくにもこの「『少女』らしさ」という言葉に関心と若干の違和感とを抱いて、そして書いた、ということを示すために触れてみた。

この作業が思いのほかに面白かったことがあって、以来、私は憑かれたように少女という言葉を追求しはじめることとなる。

このレポートを書いた16歳の当時から今現在の20歳11ヶ月である私に至るまで、根本的な関心と疑問とは常に通底し、変わっていない。それを成長できていないと失笑するのか、執着心と探究心が旺盛であると超ポジティヴに捉えて良いものなのかは分からないが、ばばあになっても「少女少女」とか言っている自分を想像するとかなり寒気がすると思うのでさすがにそろそろ引退しなくてはならないかもしれない。(少女期において自分の属する「少女」というアイデンティティに異様な関心があったのも相当不健全なナルシシズムに汚染されてはいるが。)しかしどう頑張っても、なかなか頭の中から消えてくれることが無いような気もする。結局のところ、

「少女とは何か?」

この一言に尽きるのだ。そもそもの原点へと私が導かれたのも「聖少女」によってであった。私にとっての根本的な疑問としてずっと存在し続けるであろうことは間違いないと思う。


大学に入ってから、こんな漠然としてしょうもない疑問を言葉によって解き明かしてゆく方法のひとつ…いわゆる「学問的」な手法というものの存在を知った。

社会学をはじめフェミニズムから精神分析、イメージ論やら身体論やら。一歩間違えれば(間違えなくても?)こじ付け以外の何物でもなくなってしまうような性質のものたちではあるのかもしれないが、疑問と一対一の真剣勝負として向かい合うという作業、そしてその苦闘の末にひとつのかたちとして何らかの言語化が叶ったその瞬間は何よりも楽しく至上な喜びを与えてくれる。しかし、何かが「分かった」かと思えば、また新たな疑問が次々と立ち現われる。その連鎖だった。
あるいは、もともとは特定の文脈における「少女」を主としていた興味関心の対象が、これまで目に入っていなかった新たな方面へと開かれてゆくこともある。たとえば、セクシュアリティの問題には目を逸らすことなく向き合えるようにもなった。少女性などというものを分析する上では切っても切り離せない、いやむしろ逆にそれでしかないといえるような観点。


どちらかといえば、最近においてはむしろそうした性的な側面にやや気を取られつつあり、セクシュアリティを除外した純粋な少女性(というものなど存在しないと思うので、一応それらしきものとして考えたい)そのものを忘れかけていた、そんなときに、この展覧会の企画を知ったのである。そしてはじめて何かのニュースサイトでこの知らせを見たときには正直なところ、眉をひそめてしまった。


「少女」ではなく「“美”少女」、ときた。


「美少女」と言う概念に対しては、私はひどくマイナスな印象を持ち、かつて覚えた不快感が今でも続いているためか、その言葉にずっと距離を置き嫌悪し続けてきた。(Googleでの「美少女」の検索結果一覧なんて本当に、反吐が出そう!)美少女を集めるだなんて、気味の悪い思いが渦巻いた息苦しい空間であるに違いないだろう。立派な美術館で行われる展覧会で、そんな破廉恥なものを開催するなんて有り得るのだろうか。


しかし展覧会のポスターを見たときに、私の考えは大きく変容する。


「美少女なんて、いるわけないじゃない。」
眼鏡の女学生の投げる反抗的な科白が真っ先に目に飛び込んでくる。
そして、よく見なければ読めないようにタイトルの下に小さく書かれた一言、
「憧れと幻想に彩られた私たちの偶像」。



当たり前のことであるが、今回の展覧会を企画された方々は、「美少女」という言葉がいかに曲者であるのかということを痛いほどに熟知していた。分かっりきっていて、そのうえであえて「少女」ではなく、「美少女」という言葉に真っ向から挑戦したのである。

そんな「美少女」想いのかたたちによって演出された幸運な「美少女」たちは、日常的に目にする「美少女」と名付けられたモノたちに見られる、アイドルの媚びから発せられる不快感も、AV女優の自慰補助装置のごとき非人間性も、胸と目が誇張されたアニメキャラクターの如き乾ききった精彩の無さも、一切示してはいなかった。いや中には美少女フィギュアも含まれていた。しかしどういうわけだか、彼女たちはあのレイプを受けた後のような瞳孔の開き切ったかのような眼とはあまりに程遠いものだったのである。展示会場に足を踏み入れたその瞬間から、何百人と存在するであろうあの美少女たちに親しみの感情を覚える。

「美少女」も厭うべき存在ではないということを、今回の展示を通じて知るに至ったのであった。


これはいったい、なぜだろうか。「美少女」の“美”は、異性の視点によって付け加えられたものにすぎない。自分で認知できるレベルの感情の問題として、たとえば一般的には女性が男性に美という言葉を付けるときに比べて(彼女たちが自分の欲求を表現するときには「抱かれたい」という表現を取る)、男性が抱く女性における「美」に対する思いには、その相手を欲望を直接的に向ける対象としてみることが多いというのは、一般的にそれほど反対されることでもないと思う。この言葉に対してあまり心地好い印象を覚えない女性が多いのもやむを得ないことだと思う。(こう考えると、犯す男性と犯される男性というBLに萌える女性が多いことは新たな問題として面白く感じられるが、だいぶ話が違うのでやめておく。)


しかし、美少女という言葉も、(私のように過敏に反応してしまう一部の人を除けば特に)女性にとっては快の感情を与える存在となる場合もある。

少女文化が規範と囲いの中で男性によって骨格を作られてきたものだという事実を知りながらも、なおも吉屋信子の世界に耽溺し、中原淳一の描く女の子に憧れをもって眺める少女は数多くいる。そのことを滑稽だと嗤い、可哀想にと気の毒がる人間は少なくともいないのではないか(嶽本野ばらさんなどの存在の特殊性などについてはまた別の機会にでも考えてみなくてはならないが)。何よりも彼女たち自身が、その世界に遊ぶことを喜びとしていることが多い。

それと同じようにして、尽きることの無い暴力的な視線により欲望の客体となり、犯され続ける対象であるはずの「美少女」と言う概念に対しては、女である人々もいつしか惹き付けられてしまうことがしばしばである。でなければ、こんな展覧会が成立するはずもないし、そこに女性たちが大勢訪れるなどということは有り得なかったであろう。


とはいえ、「美少女」をこれほどまでにひとつ創り上げた今回の展覧会の意義は、「美少女」という言葉にとって大変に大きな意義があったことだと感じている。

これまでの人生において美術には縁がなくまた哀しいほどに疎かった私は、展覧会というものが開かれることによって何が起きるのか、また展覧会によって何かしらのものが生まれ出てくるものであるというそのこと自体を、これまで実感をもって知ることがなかった。正統なプロセスを得て、ということではなかったのかもしれないけれど、この事実に気付くことができたことも本当によかったことだと感じている。

この企画を実行した方々に、心からの感謝の念と敬意とを表したい。



さて、それでも未だに我々(男性も女性もともに)は、「騙されて」いるのか。それこそ答えなど分からないものだけれど(そもそも、誰によって?)、決してそうではないのであると信じたい。男性によって作られた装置の中に存在する数多くの「文化」の中には、慰安婦という忌まわしき制度やFGMという悪習など、廃絶しなくてはならないものもあり、現在においては「なかったこと」とされ、触れられることさえもしばしば憚られる。これに対して「美少女」文化に関してはこれらとは明らかに異なる性質の様相を呈している。

やはり、それを女性自身の力が生み出したものである、という希望を抱く以外に説明可能な方法はないのではなかろうか…。


こんな思考へ短絡的に結び付けることが、男性への虚しい対抗心だとか、自己正当化だとか言われるかもしれないし、男性コンプレックスの塊を原動力に動いているように見せてしまう…、ということは覚悟の上で、それでもこう言い切ってしまって構わないのではないだろうかと感じる。何も問題の解決にさえもなっていないことも承知だ。この考え方はまた、4年前の私からなにひとつ進歩はしていない。めぐりめぐって(というほどめぐっているわけでもなかった)ここまで舞い戻ってきてしまった。今の段階だと批判的な視点が一切含まれていないし、また違った思考の方法というのもいくらでも提示できるはずであるから、もう少し頭を冷やしてから挑戦してみたいと思う。

しかし改めて、「少女」という言葉の怪物性である。


捕まえようとすれば蜥蜴のように逃げ隠れ、ある種怪物的ともいえるような途方の無さを拡げてゆく。
“美”少女という言葉のためにますます、掴みどころのない存在となってしまうのではないだろうか。

そんな存在を、自分の手に入れたいと、強く強く欲してしまう。
その行いが、百人中百人の人がどう逆立ちしてひいき目に見ても、何か「意味」のあることだとは認めてくれないものであったとしても。


それからもうひとつ大事なこと。この展示会に関連して、11月3日の文化の日に、原宿のcoromozaにおいて、

“美少女 × ファッション 「美少女の美術史」展から考える”

というイベントが行われるとのこと。


そもそも今回の「美少女の美術史」展を企画されたのが、トリメガ研究所というグループを結成されている(「身体とロボット」展というのも数年前に開かれたらしく、これもああぜひとも見たかった…。)3名の学芸員の方であるようなのですが、そのみなさまと、あとお慕い申し上げている先生を含めた3名の専門家の方々とのトークショーがあるらしいので、これは仮に当日原因不明の高熱が出ても這ってでも参ります。以下に登壇者の方々をメモ…。


・川西由里 島根県立石見美術館主任学芸員
・工藤健志 青森県立美術館学芸主幹
・村上敬 静岡県立美術館上席学芸員

・小澤京子 表象文化論 (建築史、身体論、ファッション論)
・菊田琢也 文化社会学 (ファッション研究) 
・柴田英里 現代美術作家、文筆家

ああ、なんて楽しみ…!


そして、Bunkamuraギャラリーで開催されていた「新世紀少女宣言」展…


これは…もう、思い切り見損ねました。本当に失敗。何かを犠牲にしてでも、見に行けばよかった…。










―――――――――――


3.結論

「少女」が社会において特殊な存在であった時期というのはだいたい、明治時代から始まり、昭和時代、第二次世界大戦が終わるまでの時期であるとされる。それ以降、社会の仕組みの変化などにより、「少女」の規範は以前ほどの意味を成さなくなった。そして現在わたしたちが暮らしているような状況がある。

わたしたちの生活している今現在では、明治時代の「少女」と同じ年代である女の子たちに、果たしてこの三つの規範は機能しているだろうか。それを即断することはできないにしても、社会の仕組みの変化などにより明治時代に「少女」が誕生した時よりもずっと弱まっているということは確実であると思う。

しかし、弱まったとはいっても、長い期間人々の“普通”であった性別役割の仕組みが、今でも根強く残っていることには違いない。というのも、日々使用される「女の子らしい」という言葉に含まれている意味は、これらの規範を少なからず反映していると見ることが出来るからだ。

 先に挙げた例では、例えば「優しい」というのは、愛情規範に少女の優しさという要素が含まれているし、「おとなしい」とは活発で奔放なのを戒めるつもりで言うならば純潔規範に、上品に見せるためという意味で捉えると美的規範に当てはめて、考えられる。

先程のように「少女」という存在は男性によって作られたものであるから、それが現代にも残っているというのは、“男女平等”が望まれるような社会の中では、好ましいことではない。それゆえに、「女の子らしい」ということを否定的に捉える人は増えている。

ここではそれについてあれこれ述べることは、本論の内容から外れてしまうので、やめておこう。ただ、この課題研究を通してひとつ、わたしが感じてきたことがある。

吉屋信子の『花物語』を読んでいるとき、そしてその時代のことを思い描きながら空想に耽っている時…わたしは幸せだ。この上も無く。常日頃、男の子になれたら、と夢見ているわたしだけれど、このときに関しては、少女であることの喜びを、ひしひしと感じるのである。男性が中心の社会によって形成された、言ってしまえば縛られ囲われていたとも言えるような状況の少女たちに憧れさえ抱き、美しいと感じるとは、なんと皮肉なことだろうか―それに気付いてわたしは思わず苦笑してしまうのだが。・・・いや待てよ、それについて少しだけ、考えていただきたいのだ。裏を返せば、すなわちそういうことなのである。つまり、当時の少女たちは果たして「少女」であることを嫌悪して、或いはそれを拒絶していただろうか―?

少女たちも、自分たちが自分の将来を決められて、歩かされているのだと知っていれば抵抗したのかもしれない。何も知らなかった、そうすることが“普通”だった状況ではどうしようもない。だから、閉じ込められていた少女たちは、可哀相だ。そう考える人もいるかもしれない。

もちろん、その意見はもっともである。男性中心の、男性によって敷かれたレールの上を歩んで生きることを耐え難い屈辱だと感じる女性は少なくないはずだ。仮に、それが露呈した今では、わたしたちをその囲いの中へ再び閉じ込めることは不可能だろう。

しかし、「少女」たちは必ずしも不幸であったと考えることは出来ない。むしろ、その逆の場合のほうが多かったのではないだろうか。

そう考える理由が、少女雑誌や少女小説などに見ることのできる、少女文化に現れる。「少女」たちは、囲われた世界に屈することもなく、独自の文化を創り出していった。あれこれ検討してみたがこればかりは、ゼロから他者によって作られたということは考えにくいのだ。「少女」たちは与えられた環境に柔軟に対応し、自分たちの愉しみを自分たちで見つけた。与えられた規範も(少女たちにその自覚は無かったけれど)、少女たちの世界の中で、上手に完結させていた。それゆえにこの規範というものは、必ずしも無いのが良いというわけではなかった。そもそも「少女」たちはたとえ囲われていなかったとしても、その状態が囲われている時より愉しいものだろう、と安易に決め付けることは出来ない。規範があったからこそ誕生した文化…これは実際に「少女」たちを夢中にさせていたのだから。

本論では詳しく取り扱うことは無かったものの、少女文化というものの特殊さ、特異さは、他に類を見ないのではないか、とも思われるのである。もし「少女」に興味がお有りならば、少女文化に触れることによって初めて、「少女」というものの本質を理解するための、やっと出発点に立つことになるでしょうということを、頭に入れておいてみていただきたい。

社会的仕組みという理屈が通用しなくなった今、男女は、どちらがどちらにも偏らず、ともに平等に扱われなければならないのだろうと思う。だから、現在でも上の三つの規範のように、女性は愛情豊かで、純潔で、美しいのが至上だとすることを肯定的にとらえるのは差別だと捉えられるし、良くないことなのだろう。また、男性の中には、昔のような「少女」が現代には存在しなくなってしまったと嘆く人もいるようであるが、現代の女の子たちにかつての規範を掲げて「女の子らしく」することを強いることの必要性は、無い。

けれども、男女差別の撤廃に夢中になるあまり、そうした「女の子らしい」というものが「少女」から来ているとするならば、それをやみくもに根絶しようとすぐに考えるのは早すぎはしないだろうか、とわたしは思う。かつて、「少女」たちが築き上げてきたものがあるということをどうか、忘れないで欲しい。何も覆うものなど無く自分の意志で自由に生きていると信じている私たちだって、何に囲われて、動かされているのかなどということは、全く分からないのだから―。

さて、ここまで小論文という形で、「少女」についてわたしが調べてきた事柄やわたしの意見を書いてきたわけであるが、正直、まだまだ伝えたいことがたくさんあると感じてしまう。日本の明治時代におけるこの限定された「少女」だけでなく、少女という存在は、古今東西問わず実に不思議だ。

しかし、それはさておいて、最後にひとつだけ、忘れてはならないと思うことを書こう。

それは、わたしが今現在“2010年の1月”に存在している、16歳のひとりの少女であるということだ。この論文を書く際、わたしはなるべく外の立場から、感情から自分を解き放って書こうと努めてきたのだが、それでも今これを書いているのは、所詮1人の人間のある一時点での思考に過ぎない。そして今現在は永遠ともいえるような人間の長い時間のうちの、たった一点、である。わたしもまた、この今という一点における、様々な囲いに覆われているのだ。

 わたしのこの見方は、50年後のわたしには、あるいは1世紀後の16歳の少女の心には、果たしてどのように感じられることだろうか。自惚れだ大げさだと嗤われてしまうかもしれないが、わたしにとっては、それはとてつもない疑問であるように思えてしまう。なんて恐ろしくて、興味深い。その答えには、今ここに存在する1人の人間である限り、どう思考を巡らせたところで、けっして辿り着くことはできないだろう。



2014/10/05

恋月姫人形展「アンドロギュノスの双宮」と、薔薇のお茶会。

9月の最終週の日曜日の夜、パラボリカビスでの恋月姫の展覧会に伴って開催されたお茶会に顔を出してみました。紅茶とお菓子(なんと和菓子!)とを味わいつつ、人形の写真たちに囲まれながら、恋月姫さんと今野さんの対談を聞くというぜいたくな時間…。


トークは、恋月姫さんが人形を作っているときに考えていることだとか、「アンドロギュノスの双宮」というテーマでの展示だったので、アンドロギュノスについての話がいくつか出ました。前日に、美少年に扮する美少女について考えていたというところだったから、(わたし的に)とってもタイムリーでわあああと興奮しながら聞いていた。


恋月姫の人形のお顔は少女としてつくられているにもかかわらず「少年的」だと捉えられてしまうが多い、という話を聞いて、これまで私は彼女たちを純粋に女の子としてしか見ていなかったので驚いた。けどなるほど言われてみれば、確かに男の子というほうが近い…? 顔の造形においては「女の子らしさ」は、ほとんど強調されてはいないようである。目は鋭くて、眉もきりっとしていて、凛々しい。仮に髪をばっさりと切り落として少しお着替えさせてみたならば、少年といわれても違和感は生じないかもしれない(…あ、美少年か)。中性的、というやつか。

アンドロギュノスをつくってみるという試みも今後もしかしたら挑戦してみるかもしれない…とのことで!期待!!



しかし、両性具有を人形で作るとしたら丸裸にして、「ほらどっちもあるでしょ!!」と(失礼。)下半身を露出しないとならないんだろうか…とするならちょっと味がないな…まさかそんなはずはな…。


にしても、今回もまた結局「性の境」という、ここに収束した。

 このテーマにぶちあたって近ごろ感じるのは、「性別」にまつわるいろいろと「普通」じゃない事象もろもろにも、様々なバリエーションがあって、それぞれ性質においてはかなり異なるものだということ。

融かしぼかされた境界線のうえに浮遊するもの。
境界のあちらとこちらにまたがって存在するもの。
双方の側を自由に行き来するもの。
境界へとにじり寄りながらもぎりぎりのところで決して踏み越えないもの。
etc…


性の境界に対して、人それぞれ対応に大きくちがいがある…。
心理と、実際に示す態度と、といった様々な要素を考慮して、幾通りに分類ができるだろう?そのうち時間があるときにでも挑戦してみようかな…。

 あと、少し気になったこと。展覧会のタイトルである「アンドロギュノスの双宮」における「双」という一文字は、もしかしてかなり大きな意味を有するキーワードのひとつなのかもしれないと感じた。

性別という軸に対称に位置するふたつの存在をひとつの肉体という器に抱え持つというアンドロギュノスの性質はまさに「双」という字にあらわされている。それから、恋月姫の作品によくシャム双生児も。接合部分を軸として、左右対称に存在する肉体…。なぜ私たちが両性具有者や、シャム双生児というモティーフに、恐れをなしながらも惹かれ、うしろめたさを覚えつつも接近してしまうのか。

"Freaks"―畸形、というものに対するタブーをめぐる我々の心理は前提として考慮に入れねばならないこととして、
とある軸と、その軸をめぐる両側というひとつの平面上に考えることのできるテーマとしても、検討してみてもよいのかもしれない。 


(展覧会の感想だよ~~と行きたいところだけども、ぱらぼりかに到着した時間があんまりぎりぎりすぎて、けっきょっく人形にあうことができないという大失態を犯したのは秘密です。)